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34年前の全米オープン 中嶋常幸の“メジャーV逸”が生んだ日本勢の奮起【名勝負ものがたり】 | ゴルフのポータルサイトALBA.Net

80年代の中嶋常幸は数々の記録を打ち立てた

歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

日本勢トップ 松山英樹のドライバースイング【連続写真】

今週は全米オープンゴルフ選手権がカリフォルニア州ラホイヤのトリー・パインズGCで行われる。実はこのコース、意外と知られていないことだが、日本の中嶋常幸が一時期コースレコードを保持していた。

時は1984年1月29日。米国男子ツアーの「いすゞアンディ・ウィリアムス・サンディエゴ・オープン」最終日、中嶋は「63」という爆発的な好スコアをマーク。大まくりを演じ11位タイまで浮上した。のちにコースは改造されていくが、日本の選手も度々参戦し、中嶋の63はその都度話題に上った。

その中嶋に「最も印象に残る全米オープンは?」と尋ねたところ、「1987年のオリンピック」という答えが返ってきた。コース名を聞いてピンと来たゴルフファンも多いことだろう。去る6月6日、笹生優花が畑岡奈紗と3ホールに及ぶプレーオフのすえ、メジャー初優勝を飾ったのが、このオリンピッククラブ・レイクコースだった。

87年の全米オープン、中嶋は3日目の15番で待望の首位に立った。カリフォルニアの青い空が頭上に開け、さわやかな風が吹き抜ける土曜日の午後。当時を振り返って、中嶋が言う。「ゴルフに対しては、自信を持っていた時期。だけど15番でトップに立ってから、急に苦しくなってしまった」。

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