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マスターズ初制覇 ジョン・ラームを支えた愛妻ケリーとの歩み【舩越園子コラム】

優勝カップを分かち合うジョン・ラームと愛妻ケリー(撮影:GettyImages)

今年のマスターズを制したのは、スペイン出身の28歳、ジョン・ラームだった。最終ラウンドを迎えたとき、ラームは首位を独走していたブルックス・ケプカ(米国)から2打差の2位だった。だが終わってみれば、ラームがケプカに4打差をつけ、見事な逆転によるマスターズ初制覇を成し遂げていた。

ウイニングパットを沈めて18番グリーン上で両手を挙げてガッツポーズを取り、相棒キャディと抱き合って喜びを噛み締めたラーム。その下へ、愛妻ケリーが2人の息子を連れて歩み寄った。

この優勝はラームにとって今季4勝目で通算11勝目。2021年「全米オープン」に続く2つ目のメジャータイトル獲得となり、世界ランキングでは1位に返り咲いた。マスターズを制した4人目のスペイン人選手となったラームが家族と喜び合う姿を眺めながら、彼がPGAツアーにデビューしたばかりだった17年ごろのことを思い出した。

あの年、1月の「ファーマーズ・インシュランス・オープン」でルーキーにしていきなりツアー初優勝を挙げたラームは、その資格でマスターズに初出場し27位タイになった。その後、どうしてだかラームは松山英樹と同組になることが多く、取材のために松山の組に付いて歩いていた私は、当時はまだラームの妻ではなく恋人だったケリーとそのたびに顔を合わせ、親しくなった。

初めて会ったころのケリーは、Gジャンを羽織り、マスターズのロゴが付された緑色のキャップを被って軽快に歩いていた。

「先月、ジョンが初めてマスターズに出たから私も初めてオーガスタに行って記念に買った帽子なの」

ケリーとラームはアリゾナ州立大学の同窓生。彼女は槍投げの選手として活躍していた。

「大学で出会ったころのジョンは、英語があんまり喋れず、太り過ぎでポチャポチャしていた。私もアスリートとして肉体管理や栄養学を学んでいたから、その知識を生かして、この私がジョンをここまで痩せさせたのよ」

ラームの「昔のポチャポチャ写真」をスマホで見せながらちょっぴり得意げにそう言ったケリーは、「すべての努力はジョンが誰よりも尊敬しているセベ・バレステロスのようなすごいゴルファーになるため。ジョンはセベが勝ったマスターズや全英オープンで優勝することを目指している」と、ラームが追い求める究極のゴールを教えてくれた。

ついでにケリーはこんな秘話も苦笑しながら明かしてくれた。

「ジョンは試合で悔しい終わり方をしたラウンドの後は、部屋に1人でこもって、しばらく出てこない。独り言を言ったり怒声を上げたりすることもあるけど、そんなとき私は彼の気が済むまで好きにさせておく。1時間ぐらい経つと、彼はすっきりした顔で部屋から出て来て、『ハングリー!(お腹が空いた)』って言う。いまはずっとその繰り返しだわ」

「全英オープン」初出場を控えていたときは、「イギリスの宿は値段が高くてビックリ。まだジョンはあんまり賞金を稼いでいないから、他の選手たちと一緒に3人で一軒の家をシェアすることにした。だって、プロゴルファーはいつ何が起こるかわからないから、今は出来る限り倹約しなきゃ!」

ケリーは真顔でそう話してくれたが、ラームが2勝目、3勝目と勝利を重ねるにつれ、最初はカジュアルだった彼女の服装は徐々に高価で派手になり、ラームの成績アップとケリーの出で立ちのグレードアップは完全に比例していた。それが私には、とても眩しく、楽しく、そして頼もしく見えた。

18年に2人は結婚し、21年には長男ケパくん、22年には次男エネコくんが誕生。ラームの家族もビッグになり、歳月とともに、いろんなことが変化していった。だが、母国の英雄バレステロスへのラームの熱い想いは、昔も今も変わってはいない。

「セベがマスターズを(最後に)制した日から、ちょうど40年後の今日、彼のバースデーの4月9日に僕がマスターズで優勝できたことに、とても大きな意義がある」

ふと気づけば、ラームの相棒キャディのビブに付されたレジストレーション・ナンバーは4月9日を示す「49」だ。偶然のようで必然のようなラームのマスターズ初制覇を、愛妻ケリーは誰よりも喜んでいるはずで、私も思わず「コングラチュレーション!(おめでとう)」と胸の中で祝福の声を上げた。

文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)

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