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「人生でいちばんの思い出」 兼本貴司のバッグを担いだハウスキャディが涙の感謝【全米シニアOP取材記】

4日間ともに戦った兼本貴司とブライアン・シッソンさん(撮影:ALBA)

<全米シニアオープン 最終日◇2日◇セントリーワールド(米ウィスコンシン州)◇7218ヤード・パー71>

全米ゴルフ協会(USGA)主催の「全米シニアオープン」がウィスコンシン州のセントリーワールドで開催された。米大手保険会社のセントリーが保有する一大スポーツ施設内にあるパブリックコース。ロバート・トレント・ジョーンズJr.の設計で、過去にはUSGAのアマチュア、ジュニア選手権を2度開催してきた1982年創設の新興“名門”コースだ。

男子、女子、シニアのオープン競技を開催するのは初とあって、会場には連日多くのギャラリーが詰めかけた。過酷で巧みなコースセットアップは、ポテンシャルの高いコースをさらに引き立てた。大会は65歳のベルンハルト・ランガー(ドイツ)が記録的な勝利を収め、大成功に終わった。

都会からほど遠い、米国中西部にある田舎町。周辺には栄えた町もなく、見渡す限り牧場や畑が広がるのんびりとした土地だ。そんな町に大イベントがやってきたとあって、町をあげて歓迎ムードが高く、また地元のボランティアはみなフレンドリー。連日カメラを持って取材する筆者のことも覚えてくれたようで、各ホールの担当ボランティアが毎日話しかけてくるなど、皆さん人が本当にいい。

そんな平和な土地で育ったある36歳の男性が印象に残った。寡黙で、実直で、優しくて、思いやりのある、言い方は失礼だが、米国人としてはあまり出会ったことがないタイプ。その人は同コースでキャディの仕事をするブライアン・シッソンさん、36歳。地元出身のナイスガイだ。

親しみを込めてブライアンと呼ぶことにする。彼は兼本貴司のキャディとして、練習日からバッグを担いだ。筆者が最初に会ったのは水曜日。日本人選手3人が練習ラウンドをするというので取材に出かけたときのこと。ブライアンとも挨拶を交わすと、丁寧な口調で話をするのが印象的だった。

兼本は日本からキャディを帯同せず、コースをよく知る現地キャディにバッグを任せ、ブライアンさんに白羽の矢が立った。もちろん日本語が話せるわけもなければ、兼本も英語はダメ。コミュニケーションを聞いていると、ゴルフとは不思議なもので、共通の単語が多いからか、意外と通じるものなのだということも分かった。

「ここは右はOK?」と兼本が日本語混じりで右方向を指さしながら聞けば、「Yes」とブライアン。2人でヤーデージブックを見ては残り距離や戦略を練りながら、入念に準備をしていた。USGAならではのタフなコースセッティングは、ブライアンが知っているいつものコースと違っていたという。「こんな機会はないから楽しみ」とも話していたが、初日は苦しい船出となってしまう。

兼本は初の全米シニアオープンに四苦八苦した。なんと、「82」を叩いてしまう。ホールアウト後、「一生懸命距離を測ってくれるブライアンに申し訳ない」とつぶやいた。ラウンド中、常にヤーデージブックを見ながら、ホールの目印を見つけては走り、距離を測り、兼本に伝える。そんなブライアンは特に落ち込むわけでもなく、もしくはただ表に出さなかっただけかもしれないが、至って普通に見えた。筆者がホールアウト後の取材を行っているときも、兼本のバッグの横で背筋を伸ばして待機。終わると「また明日」と言って去って行った。

はじめて大きな大会でキャディをするブライアンには、多くの人から声がかかっていた。地元の友人や知人がギャラリーとして来ており、コースでプレーしたことのある人からブライアンに激励の言葉やうらやむ言葉が飛ぶ。「シニアオープンでキャディをすることは光栄なことなんだ」とうれしそうに話してくれた。

できることなら4日間やりたい、そんな思いとともにスタートした2日目。兼本の猛チャージが始まった。前日の大叩きがウソかのように、兼本はスタートからバーディラッシュを見せる。それでもブライアンの表情も仕事ぶりも変わらない。結果、絶体絶命の大ピンチから、兼本は大逆転で決勝ラウンドに進むことになった。横を見ると、ブライアンも満足そうな、それでいてどこか遠慮がちな笑みを浮かべた。

その2日目。コース内で兼本の組について写真を撮影していると、1人の女性が近づいてきた。「実はあのキャディは息子なの」。その後ろにはお父さんも観戦しており、家族でブライアンと兼本を応援していた。このままのスコアで行けば決勝ラウンドに進めるという終盤。残り4ホールの段階で会ったとき、「予選通過できるようにみんなで祈りましょう」と言われた。そしてそれが達成されると、夕方の帰りがけにまた声をかけられた。握手を求めてきたのはお父さん。お母さんと友人も一緒で、みんなで“ブライアンの”決勝進出を喜んだ。

そんなブライアンに「週末も仕事があるね」と話しかけてみた。そのとき見せた笑顔が本当にうれしそうだったのを覚えている。決勝ラウンドに入ってもその喜びをかみしめるように、ブライアンは“主”のためにひたすら働いた。プロキャディではないし、それに近い経験もないなかで、決勝ラウンドでも一生懸命に距離を計算した。姿勢良く歩く姿。兼本がピンチのときには前を歩き、黙々とホールを進んでいった。

最終日、スコアカードを提出して取材も終わった兼本を待っていたブライアンが筆者に言ってきた。「Takashiに伝えてほしいんだ。この機会を与えてくれて本当にありがとうって。ボクの人生のなかで最高の1週間だった、と」。感極まったブライアンの感情が高ぶっていた。きっと日本語でお礼を言いたかったのだろうが、それはムリというもの。その言葉を兼本に伝えると、2人は友情のハグを交わして4日間の波瀾万丈な激闘を思い、別れを惜しんだ。

弊サイトを見たいということで、連絡先を交換した。すると、大会終了翌日の月曜日早朝。ブライアンからメールが届いた。「親切にしてくれてありがとう。本当に楽しかった。Takashiは、ボクの人生で出会ったなかでも特に優しい人で、キャディができてうれしかった。あの金曜日のラウンドは生涯忘れないと思う。最高の1週間だったし、ありがとう。もしウィスコンシンに来るなら、家族で大歓迎すると」と。海外取材は大変だが、こういう出会いが次の活力になる。

言葉が通じなくとも、上位でなくとも、難コースを相手に立ち向かった即席コンビの晴れやかな別れ。もう会うことはないだろうが、もしこのコースでラウンドする機会があったなら、きっと兼本はまたブライアンを指名するだろう。(文・高桑均)

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