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北の大地で決めた!天国の母に送るツアー初優勝【名勝負ものがたり】 | ゴルフのポータルサイトALBA.Net

優勝を決めてようやく安ど(撮影:ALBA)

歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

今から50年前の青木功 わ、若い!

前日の晴れた空とはうって変わって、頭上には重い雲が垂れ込めていた。それは弱冠25歳、ツアー未勝利である横田真一の心境にも似ていた。札幌ゴルフ倶楽部輪厚コースの18番。3段グリーンの1番上の段に切られたカップの、さらに上1メートル強の距離が残ったウイニングパット。これを決めることは、横田にとって重要な意味を持っていた。1年近くになる初優勝に向けての戦いに、ようやくピリオドが打つことも意味していたからだ。横田は、ゆっくりとそのパットのアドレスに入った——。

話は約1年前、1996年の10月15日までさかのぼる。ブリヂストンオープン(千葉・袖ヶ浦CC袖ヶ浦C)の開幕を2日後に控えた火曜日の晩のことだ。「(母親の瑞枝さんが)家に帰ると黄色い顔して寝込んでいた。それで翌日病院に連れて行ったら、『末期のがんで余命半年』と言われたんです」。

衝撃を受けるとともに、横田は「頑張らなきゃ」と一念発起。ブリヂストンの初日は8バーディ、1ボギーの「65」を叩き出す。しかし初優勝が、そう簡単に転がり込んでくるものでもない。結局この試合は10位タイに終わった。

デビューシーズンから2年連続のシード獲得を決め、迎えた1997年のシーズン。「4月19日に母親が死ぬときに『私が死んだら、あんた優勝するよ』と言ったんです」(横田)。チャンスは約1か月後の日本プロ(茨城・セントラルGC西C)でやってきた。初日から68-69-66と好スコアを並べトータル13アンダーで首位タイに並んだ。しかし最終日は「自滅の格好」で「76」を叩く。9位に終わり霊前に優勝を報告することはできなかった。

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