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「飛ばそうとしたことで…」 ツアー通算5勝の松村道央が語る苦悩と光明 | ゴルフのポータルサイトALBA.Net

2018年にシードを喪失した通算5勝の松村道央。今年は再起元年と位置付けた

「松は松でも松村だ!」。2013年の「中日クラウンズ」でそんな見出しが躍った。この年はマスターズ覇者・松山英樹のプロデビュー。松山は2戦目の「[松村道央が美人妻と優勝カップを掲げる2ショット【写真】]()

■3年目で初シード獲得と順調にプロ生活をスタート

名門・日本大学ゴルフ部出身の松村は、プロ2年目の07年に国内男子下部のチャレンジツアー(現・アベマツアー)で2勝を挙げて賞金王となり、08年のレギュラーツアーの出場権を手にした。レギュラーツアー1年目は「〜全英への道〜ミズノオープン」で3位タイに入るなど、トップ10入り6回を重ね、賞金ランキング28位でシード権を初獲得。10年には「東海クラシック」で藤田寛之らとのプレーオフを制して初優勝を遂げた。順風満帆なプロ生活のスタートを切り、優勝5回、10年連続賞金シード選手の勲章を持つ。

長年シード選手として活躍した松村は「調子が良かったのは2010年ぐらいまでです。それ以降はごまかしながらやっていました」と振り返る。調子を落としながらも優勝を手にすることもあったが、「ドライバーの飛距離に魅了されてしまいましたね」と話すとおり飛距離を求めたことで自分の持ち味を失い、成績も下降していった。

デビュー当時の松村は、右に曲がるフェードボール一辺倒で結果を残した。2000年頃、フェードボールを武器にタイガー・ウッズ(米国)と世界ランキング1位を競いあったデビッド・デュバル(米国)に見立てて、“和製デュバル”と呼ぶ解説者もいたほどだ。2010年には“飛んで曲がらない”指標であるトータルドライビング部門で1位を獲得したが、どちらかというと飛距離よりも方向性が持ち味。フェアウェイからチャンスを量産して、勝負強いパットで戦ってきた。

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