37歳マルク・ガソルの今。「恩返し」のために母国スペインでクラブ運営と選手の二刀流に励む日々<DUNKSHOOT>

昨夏の東京五輪でスペイン代表としては引退したガソルだが、現在は自身が設立したクラブで運営と選手の二刀流に挑戦している。(C)Getty Images
 トレード・デッドラインで多くの移籍に沸いたNBAだが、そんななか「そういえばあの選手は今どうしてるんだろう?」という選手も何人か思い浮かぶのではないだろうか。

 たとえばスペイン人センターのマルク・ガソル。現在37歳のビッグマンは、2008年のNBAデビューから10シーズン半にわたってメンフィス・グリズリーズで活躍。その間3回(2012、15、17年)オールスターに出場し、13年には最優秀守備選手賞、15年にはオールNBAファーストチームにも選ばれている。

 2019年2月にトロント・ラプターズに移籍すると、そのシーズンに初優勝を経験。栄光から数か月後には、中国で開催されたワールドカップでもスペイン代表で優勝し、NBAと国際タイトルを同年に獲得した。

 2020−21シーズンはロサンゼルス・レイカーズと契約し、前半戦はスターティングセンターとして出場したもののシーズン後半戦は出場機会が激減。オフに古巣グリズリーズにトレードされ、その後に解雇となっていた。
  21年オフは引退や、プロ入り初期に所属した古巣バルセロナへの復帰も噂されたが、1月下旬に37歳になったガソルが選んだのは、母国で自らが設立したクラブ、バスケット・ジローナでプレーすることだった。

 昨年12月3日に初めて試合に出場すると、21分のプレータイムで19得点、16リバウンドとさっそくダブルダブルをマーク。89−47の大勝に貢献した。

 そんなオーナー兼プレーヤーという新たな挑戦をしているガソルが先日、スペインのラジオ局『Cadena SER』に近況を語った。

「もしNBAでプレーを続けることを自分が望んでいたら、いま自分はそこでプレーしていただろう。しかしそれは最優先ではなかった。自分にとっていま優先すべきは、フィジカルコンディションを整え、リカバリーすることだったんだ」

 ガソルが加わったジローナは最初の試合で連敗を7で止め、そこからの9試合は5勝4敗と調子を上げている。現在はスペインの2部リーグ「LEB ORO」で18チーム中13位と下位ではあるものの、ユーロリーグ経験もあるスペインの老舗クラブ、CBエストゥディアンテスも在籍するリーグのレベルは低くない。しかもジローナは、シニアの男子チームが発足してからまだ今年で5シーズン目の新生クラブだ。
  ガソルがこのクラブを立ち上げたのは2014年。当初は『CEB(Club Escola de Basquet)マルク・ガソル』という“バスケットスクール”を冠した球団名であったように、青少年の育成を目的としたユースチームのみのクラブだった。

 ジローナの地を選んだのは、マルクが長年恩返ししたいと思っていた町だったからだ。2001年、兄のパウがグリズリーズに入団すると、ガソル一家はメンフィスに引っ越したため、マルクも同地の高校に通っていた。しかし卒業後はスペインに戻り、パウも活躍した名門バルセロナでプロデビューした。

 しかしマルクがプロ選手として飛躍するきっかけになったのは、その後2006年から2シーズン在籍したCBジローナ(現CBサンツ・ジョセップ)だった。

 そこでユーロカップ(FIBA主催のクラブコンペティション)に優勝するなど、中心選手として活躍すると、2007年のNBAドラフトでレイカーズから全体48位で指名を受けるに至った。翌シーズンはスペインのトップリーグであるACBの年間MVPにも選出され、自国で上り詰めた自信を携えてアメリカへと旅立つことができた。それ以来ずっと彼は、「自分を成長させてくれたジローナの町に恩返ししたい」という思いを抱いていたという。
  8年前、クラブの立ち上げ発表会に市長らとともに出席したガソルは、「皆さんのおかげで私の夢は叶いました。ジローナの皆さんが私に与えてくれたすべてのものに対して、いつか恩返しをしたいと私はずっと願ってきました。それが形になって、とても嬉しいです」とスピーチしている。

 2017年からは男子のシニア部門も加え、現在のバスケット・ジローナに名前を変えてまずは4部リーグからスタート。順調に昇格して3シーズン後の昨年には2部リーグ入りを果たし、初年度は14位で終えた。

 自身のバルセロナ復帰については、かつてのスペイン代表のチームメイトで、現在バルサのチームマネージャーを務めるファン・カルロス・ナバーロと話をしたとマルクは認めている。兄のパウはNBAに別れを告げた後、バルセロナで約半シーズンを過ごして、昨年10月に現役引退を発表した。
  しかしマルクは、「彼(ナバーロ)にはただ私の現状を伝えただけで、それ以上の話はしていない。彼は私の考えを尊重し、そして理解してくれた」と、入団交渉はしていなかったことを匂わせている。

「引退するほうがイージーかもしれないと思ったこともあったが、あえて成長中のクラブを率いていくというチャレンジを選んだ。ここでは2つの異なる責任を負っている。マネジメント側、そして選手としても、日々挑戦がある。よりシンプルなのは、これまでの人生でずっとやってきた選手のほうで、これは自然にできることという感じだが、もちろん課題はある」

 バルセロナから電車で1時間ほどの場所にあるジローナは、中世の面影が残る、こじんまりとした町だ。人口10万人ほどのこの町の体育館で、NBAチャンピオンが、CBジローナ時代からNBAまで背負い続けた「33番」をつけてコートを走る姿を見るのは、地元ファンにとってたまらないことだろう。
  そしてマルクにとっても、未来のスターの卵がひしめくスペインで、若手の発掘、育成に取り組むのは、やりがいのある仕事に違いない。

「人は昨日のことや明日のことを考えがちだけれど、それでは今日を楽しめない。先のことは、その時の状況がどのようになっているかによって決めたらいい。2、3か月先のことをいま決断する必要はないし、そのことにエネルギーを費やすことはしたくないんだ」

 今は引退については考えていない様子のマルクだが、現役選手としてプレーしながらマネジメントにも携わるというジローナでの新たな挑戦は、セカンドキャリアへと移行する理想的な形であるようだ。

文●小川由紀子

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