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「レブロンはチームの構築方法の概念を変えてしまった」元同僚が語る“スリーキングス”結成の功罪<DUNKSHOOT>

2010年夏、レブロンはヒートへ移籍しスリーキングスを結成。以降、移籍に関して選手側が力を持つようになった。(C)Getty Images
NBAの“キング”ことレブロン・ジェームズは、キャリア19年間でクリーブランド・キャバリアーズ、マイアミ・ヒート、ロサンゼルス・レイカーズの3チームを渡り歩き、4度の優勝を手にしてきた。

圧倒的な実力を誇るがゆえに、2010年夏にキャブズからヒートに移籍した際は大きなバッシングを受けたが、元同僚のイマン・シャンパートは、この時の決断がリーグの概念を変えてしまったと見解を述べている。

2003年のドラフト全体1位指名でNBA入りしたレブロンは、1年目に新人王を受賞すると、2年目の2004−05シーズンからは不動のエースとして君臨。4年目の06−07シーズンには初のNBAファイナルに進出し、翌年には平均30.0点で得点王にも輝いた。

しかし在籍7年間で優勝には手が届かず、2010年オフに『ESPN』の特別番組『The Decision』でヒート行きを発表。トロント・ラプターズの大黒柱だったクリス・ボッシュもサイン&トレードで加入し、生え抜きのドゥエイン・ウェイドを含めた03年ドラフト組の3人がヒートに集結。衝撃の移籍劇に、キャブズファンの中にはレブロンのユニフォームを燃やして怒りを露わにする者もいたほどだった。

ヒートは結成1年目から4年連続でファイナルに進出し、12、13年には連覇を達成。14年のファイナルで敗れた後、レブロンがキャブズに復帰して“スリーキングス”は解体となった。

2015年1月から3年半にわたってキャブズで共闘したイマン・シャンパートは、ポッドキャスト番組『Bootleg Kev Podcast』で、レブロンのヒート移籍がNBAを変えてしまったと主張する。
「ブロン(レブロンの愛称)はバスケットボールをより良くしたと自分で思っているが、逆にバスケットボールを台無しにした。彼はNBAには忠誠心があると思っていたし、それが好きだった。ブロンは『オーナーなんてたわごとを言うクソだ。俺たちは自分のやりたいことをやる』と言わんばかりに第四の壁(フィクションと現実世界の境界線)を打ち破った。素晴らしいビジネスの動きだが、実にクレイジーだ。ブロンがマイアミに行った時、必死だと思った。ファンには忠誠心は何の意味もないという風に見えただろう」

レブロンの移籍後、ケビン・デュラント(現ブルックリン・ネッツ)も9年間を過ごしたオクラホマシティ・サンダーからゴールデンステイト・ウォリアーズに移って“スーパーチーム”を結成するなど、近年は移籍に関して選手側が大きな力を持っている印象は否めない。

シャンパートは自身のツイッターでも、レブロンの移籍劇の影響について持論を展開している。

「トッププレーヤーがほかの誰かと組んだ年を見てほしい。一番近い例はシャック(シャキール・オニール)だが、彼はペアを組む必要があり、コビー(ブライアント)が活力源となった。ブロンにはその必要がなかった。俺はこれについて1日中議論することができる。ブロンはチームの構築方法の概念を変えてしまった。契約年数の長さを見てみるといい」

レブロンはあくまで選手の権利に則って移籍をしたまでだが、絶大な影響力を持つスーパースターの決断が、その後のNBAに変化をもたらしたのは間違いない。

構成●ダンクシュート編集部

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