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【NBA背番号外伝】ミラー、テリー、マリオンらが着用も…背番号31は“ドラフトを巡る負の記憶”のイメージが<DUNKSHOOT>

ミラー(左)、マリオン(右上)といった実力者が着用した31番。しかしドラフト2位指名のビッグマンが袖を通すと、たちまち“負の番号”に?(C)Getty Images
背番号31は、ドラフトを巡るドラマに欠かせない番号である。ただ残念なのは、それは悪い意味で記憶に残る選手が多い番号だということだ。

1984年のドラフトは、全体1位でヒューストン・ロケッツがアキーム・オラジュワンを指名。2位指名権を持っていたポートランド・トレイルブレイザーズは、ノースカロライナ大のマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)ではなくケンタッキー大のビッグマン、サム・ブーイを獲得するドラフト史に残るミスを犯した。後にオラジュワンとジョーダンがチームを優勝に導いたのに対し、故障続きのブーイは10年間の現役生活で通算10.9点、7.5リバウンド。背番号は1年目が30で、2年目以降は引退するまで31だった。

それから約20年後、2003年のドラフトで同じ過ちが繰り返された。1位でクリーブランド・キャバリアーズがレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)を指名したあと、2位のデトロイト・ピストンズはシラキュース大のカーメロ・アンソニー(現レイカーズ)が残っていたにもかかわらず、セルビア出身のダーコ・ミリチッチを選択。ミリチッチもブーイと同じく10年間NBAでプレーしたが、成績は平均6.0点、4.2リバウンドと期待を大きく裏切った。現役最後の年、ボストン・セルティックスで99番だったのを除き、背番号はずっと31。この先、2位指名のビッグマンは31番を着けない方がいいかもしれない。
ブーイやミリチッチを筆頭に31番はビッグマンが多いが、大成功した選手はあまりいない。アトランタ・ホークス時代に2度、その後ABAに移って3度オールスターに出場したゼルモ・ビーティ(NBA8年間で平均16点、10.4リバウンド)が成功した部類に入るくらいだ。

ほかにはセルティックスでビル・ラッセル、レイカーズではウィルト・チェンバレンの控えセンターを務めたメル・カウンツ。1970年代には珍しかったヨーロッパ(オランダ)出身のスウェン・ネイター(元レイカーズほか)は、1980年にリバウンド王に輝いている。

そのほか、ショータイム時代のレイカーズでハッスルプレーヤーとして名を売ったカート・ランビスも31番。2003年にサンアントニオ・スパーズの優勝に貢献したマリック・ローズ、2000年代初頭にサクラメント・キングスでプレーしたスコット・ポラードも似たようなタイプの選手だ。現役のビッグマンではジャレット・アレン(キャブズ)が活躍している。
他の31番の名選手としては、1950年代にロチェスター・ロイヤルズ(現キングス)で活躍し殿堂入りもしているジャック・トワイマンや、1980年代にセルティックスでラリー・バードとコンビを組み、1981年のファイナルMVPに輝いたセドリック・マックスウェルがいる。マックスウェルは2003年に、31番で最初の永久欠番となった。

だが、一番有名な背番号31は間違いなくレジー・ミラーだろう。インディアナ・ペイサーズ一筋18年、レイ・アレン(元セルティックスほか)に抜かれるまで史上最多の3ポイント成功数の記録を持っていただけでなく、クラッチシューターとしてもその名を轟かせ、数々の劇的な一撃でチームを勝利に導いた。2012年に殿堂入りし、永久欠番にもなっている。

また、背番号31は姉のシェリルと同じ番号。シェリルは史上最高の女子バスケットボールプレーヤーの1人で、選手として殿堂入りした姉弟はシェリル&レジーが唯一のケースとなっている。
ジェイソン・テリーもミラーに引けを取らない勝負強さの持ち主で、2011年のダラス・マーベリックス優勝に大きく貢献。セルティックス時代の4番、現役最後の2年を過ごしたミルウォーキー・バックスでの3番を除けば、キャリアを通じてずっと31番だった。

そのマーベリックスに2011年のファイナルで敗れたヒートは、同年オフに守備職人のシェーン・バティエを獲得して2012、13年の連覇につなげた。メンフィス・グリズリーズ、ロケッツにも所属したバティエは、31以外の番号を着けたことがなかった。

4度のオールスターに選ばれた好選手ショーン・マリオンは、全盛期を過ごしたフェニックス・サンズ時代、トロント・ラプターズ時代と、最後のチームとなったキャブズで31番。この番号にしたのはミラーに憧れていたのが理由だった。

1995年のオールスターでフリースローラインからダンクを決め、チャンピオンに輝いたブレント・バリーは、1971年12月31日生まれ。ロサンゼルス・クリッパーズ、シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)などでは“日”のほうの31、スパーズなどに在籍していたときは“年”の71をひっくり返し17番でプレーした。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2015年9月号掲載原稿に加筆・修正

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