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「京都国際さんの思いを背負って」——代替出場から“執念の勝利”を収めた近江。今大会のさらなる躍進を占うカギは?

延長13回タイブレークの激闘を制した近江。開幕2日前に急きょ代替出場が決まったばかりだった。写真:滝川敏之
いつも以上に深々と頭を下げる近江・多賀章仁監督の姿がとても印象的だった。

校歌を歌い終えた後のアルプススタンドに挨拶をしたときの一幕だ。

おおよそのチームは敗れた時に、それまでの応援に感謝を込めて挨拶するものだが、この日の近江は勝者でありながら、この場にいることの重大さを感じているかのようだった。

「昨年の夏は(コロナで大会が無くなった)前年の3年生の気持ちを力にしてベスト4まで勝ち上がることができた。今大会は京都国際さんの無念の思いをしっかり背負って、野球が当たり前にできることじゃないんだと。こうして甲子園という球場で試合ができることに感謝して、今日はやろうと選手たちにハッパをかけた。そういう意味では、京都国際さんの思いをしっかり持って戦ってくれたかなと。それが私としては嬉しい」

多賀監督はそう話している。

大会直前に出場校が差し代わったのは開幕2日前のことだった。昨秋の近畿大会でベスト4に進出し出場が決まっていた京都国際がチーム内のコロナ蔓延により出場辞退、代わって、近畿地区の補欠1位校だった近江が繰り上がりとなった。

その初戦で、近江が長崎日大に6−2で勝利。見事に1回戦突破を果たしたのだった。

「出場辞退をされた京都国際の選手の気持ちを思うといたたまれない気持ちになりました。ただ、チャンスをいただいたので、全力でやろうと思いました」
選手たちは口々にそう話したが、それほど今大会には今までとは異なった想いがあったのだろう。

もっとも、試合は苦しい展開だった。

昨秋は肘痛の影響で登板することができなかったエースで4番・主将も務める山田陽翔が先発。変化球を多投するピッチングは力投派の山田からすれば、本来の姿にはあまり見えなかった。

6回裏、山田は2死二塁のピンチを招くと、連続長打を浴びて2失点。粘りきれなかった。攻撃陣も1、2番がなかなかチャンスメークできず、打線は分断。0−2のビハインドのまま、敗色濃厚の様相を呈していたのだった。

ところが9回、近江が粘りを見せる。

先頭の3番・津田基が右翼二塁打で出塁、続く4番の山田が死球を受けて1、2塁とすると、5番の岡崎幸聖が右翼前適時打で1点を返した。6番・川元ひなたの左翼飛球で三塁走者の山田が本塁で憤死。ダブルプレーとなって万事休すかと思われたが、2死・1、2塁から8番・大橋大翔が右翼前に落として同点としたのだった。

土壇場での同点劇にチームは一丸となった。

延長に入ってからエンジンの回転数を上げたエースの山田がピンチを背負いながらも無失点で切り抜けた。怪我明け初の公式戦登板と思えぬほどの気合のこもった投球を見せて、延長13回タイブレークに持ち込んだのである。
延長13回のタイブレークは4番・山田からの好打順だった。無死、1、2塁から山田は初球を左翼前に運んで1点。さらに、その後も攻め込むと犠打エラーや暴投などを絡めて一気に4点を奪って、試合を制したのである。

土壇場の粘りは先の言葉にある、京都国際への想いともらったチャンスをいかに自分たちのものにするのかの執念が繋がったに違いない。それは冒頭の指揮官の言葉にも表れていると言えるだろう。

改めて今年の近江を語る上で切り離せないのが、エースで4番、主将も務める山田の存在だ。「感動発信をできる子。この子は甲子園に来ると何かをやってくれる」と近江・多賀監督も高く評価するほどだ。

昨秋はこの山田がほぼいない状態で戦った。昨夏の甲子園で近江はベスト4に進出したが、その陰で、疲労の蓄積が山田を襲った。昨夏の甲子園は近年、類を見ないほど雨に祟られた大会で、近江は過密日程を強いられたからだ。

2回戦の大阪桐蔭戦から準決勝までの6日間で4試合を消化。山田は全試合で先発登板を果たしていた。スプリットやスライダーを持ち味とする投手だけに、どれだけの疲労があったかは想像に難くない。

新チーム結成以降は右肘の治療に専念。県大会では試合に出場することもなかった。多賀監督はそんな山田にエースナンバーを与えベンチに入れたものの、試合で起用したのは近畿大会で打席のみだった。
その分、チームはセンバツ出場の当確圏内である近畿大会ベスト4進出を果たせなかった。好ゲームを展開するも、投手陣が崩れ、失点が多く目立ったのだった。1月28日の選考委員会では「投手力」を課題に挙げられ、補欠1位校に甘んじていた。

昨秋、怪我を押して山田が強行出場を果たしていたら、もしかすると、近畿大会ベスト4進出を果たせていたかもしれない。それほどの大黒柱だからだ。一方、もし、強行させていたら、この日の山田の姿はなかっただろう。彼の身体は大きな重症を負っていた可能性は否定できない。

昨秋は山田を温存して、結果は出なかった。

しかし、運命のいたずらか、こうして、山田を中心にした近江がセンバツの舞台に立ち、勝利を挙げたのである。

昨秋の選択と山田の存在が改めて近江にとって大きなものであるということがわかったに違いない。ただ、問題はこれからだ。

「昨年夏、甲子園のベスト4の中に僕も山田と一緒に出ていましたが、個人的には良い成績を残すことができませんでした。その悔しさはあるので、今大会は山田より目立ってやろうと思っています」

3番打者としてこの日2安打の津田はそう語っている。

代替出場の近江が好スタートを切った。ただ、これから先を占うのは山田なしで戦った昨秋からの成長力にほかならない。

取材・文●氏原英明(ベースボールジャーナリスト)

【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園という病』(新潮社)、『メジャーをかなえた雄星ノート』(文藝春秋社)では監修を務めた。

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