同世代の大谷翔平は遠い存在に。どん底を味わった北條史也が、いま牙を研ぐ理由「無理やったら終わり」
阪神タイガースの藤浪晋太郎には、密かな夢がある。
「1回は北條と一緒に甲子園のお立ち台に上がってみたいですね。高校野球のファンの方にも喜んでもらえると思うんですよね」
しかし、そんな話を聞いたのも、もう数年前になってしまった。
約10年前の2012年10月25日。あの日を境に、藤浪と北條史也は「タイガースの希望」となった。聖地・甲子園で、全国制覇を懸け、鎬を削った大阪桐蔭のエースと光星学院の主砲は、同年のドラフト1位、2位指名でタテジマに袖を通す運命に導かれた。
エース・藤浪が甲子園のマウンドで仁王立ちし、中軸の北條が快音を響かせる——。ファンの幻想は膨らみ、そう遠くない未来に描かれる“絶景”になると疑わなかった。しかし、ともに27歳になった両雄がお立ち台で並び立つことは、10年が経過しようとしている今でも実現に至っていない。
今春、再起をかけて沖縄キャンプで奮闘を続ける背番号19。その背後に背番号26はいない。北條は、寒風吹きすさぶ高知県安芸市で黙々と汗を流している。昨年10月に受けた左肩手術の影響で春季キャンプは2軍スタート。現在もリハビリ過程にあり、開幕に間に合わせることは極めて厳しい。焦りをぐっと胸に押し込めながら過ごす日々だ。
昨年12月の契約更改時には、かつて有望株として期待された1人のプロ野球選手の無情と言える時の流れと、厳しい現状への危機感がにじみ出た。
「試合に出ないと僕も来年10年目なんで、この世界にいられないというのはある。来年しっかり巻き返したいと思います」
プロの扉を叩いた瞬間に夢見た10年後と、現実の10年は全く違った。「若い時は自分も成長して、(プロ)4年目終わりで次は大卒の同級生が入ってくるので大卒の人より給料を多くもらっておきたいという思いもあったり。でも、ここまできたら1年でも長くという気持ちで……。今はやっています」。
まさに「しがみつく」という言葉が思い浮かぶ背水の決意に聞こえた。
ずっと歯を食いしばってきた。高卒3年目の15年に1軍デビューを果たし、翌年には就任1年目だった当時の金本知憲監督の目に留まり、出場機会を得た。夏には不振で連続フルイニング出場が667試合でストップした鳥谷敬に替わる、遊撃手として定着。キャリア最多となる122試合に出場し、背番号1の“鉄人”の後継者として大きな期待を背負った。
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しかし、上昇の兆しを見せたキャリアの成長曲線はこの後、大きくゆがんでいく。自身初の開幕スタメンに名を連ねた17年は、持ち味の打撃が沈黙して6月には2軍に降格。83試合の出場にとどまり、半分腰をかけていたレギュラーの座から滑り落ちてしまった。
追い打ちをかけたのが度重なる故障だった。18年9月14日のヤクルト戦(甲子園)で三遊間の打球にダイビングを試みた際に負傷し、担架に乗せられて球場を後にした。「左肩の亜脱臼」の重傷。シーズン途中に昇格し、打率.322と結果を出していた矢先の悲劇だった。
北條が生きているのは、結果を残した強き者だけがのし上がるプロの世界だ。自身がもがき苦しむ間に同い歳の木浪聖也が台頭し、その木浪も1年目から盗塁王に輝いた中野拓夢の影に隠れてしまった。
そんな激しい生存競争が日々繰り返される。昨春のキャンプ、北條が初日の守備練習で就いたのは一塁。二遊間の争いにも加われず「めちゃくちゃ悔しい」と唇をかんだ。9月には2軍戦で、ふたたび左肩を亜脱臼。何とか回復して臨んだ10月の教育リーグで再発し、プロでは初めて手術を受ける決断を下した。
それでも、「今はおじいちゃんみたいなことしかできない」と苦笑いを浮かべて、ギプスで固定された左腕を見つめた目は死んではいなかった。メスを入れる時点で、大きな出遅れは覚悟。18年から苦しめられてきた古傷の完治こそが、逆襲への第一歩になると心に決めた。 ファンはもちろん、誰よりも自分自身が期待していた「遊撃手・北條」へのこだわりも封印した。
「(守備位置も)ここでというのは、自分のなかでもあまりないので。だいたいはレギュラーとか決まっていると思うんで、そこに食い込んでいってチャンスも多くない立場ですし。少ないチャンスをしっかりものにしないと試合にも出れないと思う。無理やったら終わりです。それぐらい(の気持ち)です」
大谷翔平、鈴木誠也ら同世代のライバルとして、かつては並列で語られてきたスラッガーたちは、気づけば、ずっと遠い存在になってしまった。ただ、北條が紡ぐストーリーはまだ終わっていない。彼はどん底から這い上がる“ハイライト”があると信じている。
2軍監督時代から練習への真摯な姿勢や、負けん気の強さを目にしてきた矢野燿大監督は言う。「練習で手を抜くことなんて見たことないし、ジョーは(出番が来るまでの)準備とかそういうことをしっかりできる選手」。
優先的にチャンスが与えられる立場ではなくなっても、来る“その時”に備えて牙をとぐことはできる。クビも覚悟して臨む、長いようで短い1年。プロ10年目は、北條史也がプロ野球選手としての「答え」を出す年になる。
取材・文●チャリコ遠藤
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