西内まりやのバドミントンの腕前がすごい!恩師との関係性も!
西内まりやさんについてこのようなお悩みはありませんか?
「西内まりやさんのバドミントンの腕前がすごいってほんと?」
「西内まりやさんはなぜバドミントンを辞めてしまったの?」
「西内まりやさんと恩師との関係性は?」
本記事では、西内まりやさんのバドミントンの実力や恩師との関係性についてご紹介していきます。
西内まりやのバドミントンの腕前は?
西内まりやさんはファッションモデル・女優・アーティストとして幅広く活動している芸能人というイメージが強い女性ですが、実はバドミントンの腕前はトップクラスで学生時代は当時監督をしていた方からオリンピックを目指せると言われるほどの実力を持っていたのです。
西内まりやさんは小学3年生から地元福岡市でバドミントンを始めると、福岡市大会で4度の優勝をするという驚異的な成績を収めました。
このような好成績を収めて福岡県大会に出場したことから、福岡県のバドミントン選手としてはかなり有名だったようで、今でも西内まりやさんが出場した大会の記録をSNSにアップしている方もいるくらいです。
西内まりやがバドミントンをやめたきっかけ
福岡市大会を4度優勝して、なおかつオリンピックを目指していた西内まりやさんがバドミントンをやめてしまった理由は、バドミントン選手として活躍するほかに夢だった「芸能界に入る」という夢を諦めきれなかったからです。
西内まりやさんは、バドミントンを続けていた中学1年生の夏に芸能事務所にスカウトされてからバドミントンの練習の合間をぬって歌やダンスなどのレッスンを受けるようになりました。
芸能事務所からスカウトを受けてから1年間はバドミントン選手とモデル活動の両立をしていましたが、今までバドミントンしかしてこなかった生活から、いきなり華やかで女性らしいことに触れることで「やっぱり芸能界に入りたい」という気持ちが強くなり、さらに中学2年生のときには芸能界の仕事も徐々に忙しくなります。
ここで西内まりやさんは「芸能界に入るか、バドミントンに集中するか」の2択に迫られた結果、中学2年生の10月に芸能界を目指すことを決意してバドミントン選手としての生活に幕を閉じました。
西内まりやと恩師の素敵な関係性とは?
西内まりやさんを含めたバドミントンチームは福岡市でも強豪チームで、個人・団体含めて日本一を取りに行くと意気込んでいたときに、突然西内まりやさんがバドミントンをやめて芸能界に入ることを恩師・松尾さんに伝えたこともあり、恩師・松尾さんから「どんな気持ちでここまでやってきたと思ってるんだ!」と怒鳴られて泣きながら体育館を後にしたそうです。
その後は恩師・松尾さんとは一切連絡を取らずに芸能界で大人気となった西内まりやさんでしたが、「行列のできる法律相談所」というテレビ番組で恩師・松尾さんと再会し、突然バドミントンを辞めてしまった後悔を口にしました。
その後の関係は良好で、西内まりやさんは自身のInstagramで「バドミントンの監督であり私の恩師であり尊敬する人」と一緒に食事をする姿も投稿しています。
バドミントン選手という道は辞めてしまったけれど、西内まりやさんが活躍できた要因のひとつとして恩師である松尾さんの指導があったのでしょう。
まとめ
本記事では、西内まりやさんのバドミントンの実力や恩師との関係性についてご紹介していきました。
多くのファッション雑誌やテレビ番組で見る機会の多い西内まりやさんの今の姿からは想像できないですが、学生時代はバドミントンの腕前がトップクラスであることがわかりました。
今の姿から分からないバックボーンを見ることで、さらに西内まりやさんの魅力について知ることができたのではないでしょうか。
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