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二度も目の前から逃げていった夢 亀澤理穂が2025東京デフリンピックに懸ける思い
亀澤(旧姓:佐藤)理穂(かめざわりほ)の名前を知っているだろうか。
ろうあ者(聴覚障碍者)スポーツの最高峰、デフリンピック卓球競技に4大会連続で出場、これまで8個のメダルを獲っている“レジェンド”アスリートである。
日本において、デフリンピックの知名度は低い。
こんなに強いアスリートが卓球競技にいるにも関わらず、である。
丁寧な手話通訳者にも同席してもらった今回、多くの質問を投げかけた。
生まれつき耳が聴こえず、卓球を愛する家族の元に生まれてきた、一人の“ママアスリート”に。
シングルス決勝トーナメント直前で日本選手団全員が棄権
前日までに、亀澤さんは団体銀メダル、ダブルス銅メダル。シングルスに懸ける思いは強かったはずです。
これまでデフリンピックに4回出場して、それぞれ2つのメダルを獲ってきたので、2022年ブラジル大会こそ、3つのメダルを目指していました。
戦う前にまたメダルが2つになってしまうこと、正直それは残念でした。
でも、コロナ禍で無事に開催できたことへの感謝と喜びもあって、うん、半々くらいの気持ちでした。
例えば、2013年ブルガリアのデフリンピックのダブルス決勝戦。
元々小さいときから知っている、上田萌選手(2014年に引退)とペアを組んでいました。
最後はデフリンピックで金メダルを獲ろうね、という約束を二人でしていました。
決勝まで進んで、あと1回勝てばというところで、3ゲーム目の途中で私が左足首を捻挫したんです。回り込もうとした一瞬。
結局、靭帯が伸びていたんですが。
写真:亀澤理穂(住友電設)/撮影:ラリーズ編集部
佐藤真二監督「これはダメだ」
タイムアウトのベンチで、父でもある佐藤真二監督から「これはダメだ、もうあきらめなさい」と言われました。
でも私は最後まで戦いたいという気持ちが強くて、痛みはありましたが、最後まで戦いました。その後1ゲームは取ったんですけど。
写真:当時の監督である父・佐藤真二と亀澤理穂/提供:卓球レポート/バタフライ
でも、あのとき続けなかったら一生後悔したと思います。やってよかったと思っています。
写真:亀澤理穂(住友電設)/提供:卓球レポート/バタフライ
写真:上田萌(写真右)・亀澤理穂ペア/提供:卓球レポート/バタフライ
写真:亀澤理穂(住友電設)/撮影:ラリーズ編集部
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