デサント『ベンチコート』
日常生活の中で、スポーツと関わる時間はどのくらいあるだろう。ウォーキングやジョギングなど、実際に体を動かすことを日々のルーティンに加えている人も少なからずいるだろうし、正月には箱根駅伝、昨年はサッカーのW杯に熱中したように、スポーツを “見る” 時間までカウントすれば、ライフスタイルの中に占めるスポーツの割合は決して小さくはない。
このようにライフスタイルの中に組み込まれたスポーツは、とりわけ自分で体を動かそうというシチュエーションにおいては、シリアスというよりむしろライトなスポーツ感覚がベースとなっている。フルマラソンまではチャレンジしなくともジョギングを続ける。競技会に参加するほどではないが、仲間と月イチでゴルフには出かけるくらいの感覚だろうか。
実はスポーツウエアの世界でもこうした意識を反映してか、例えばジョギングや、ワークアウトをするときには適度に機能的なスポーツウエアとなり、さらにそのまま街着として着こなしてもスマートに見えるウエアが増えている。名だたるスポーツブランドはもちろん、マスなファッションブランドに至るまで、こうした “マルチに着られるスポーティな服” がトレンドとなっている。
だがここで紹介するデサントのベンチコートは、今どきの “マルチに着られるスポーティな服” を想定してはいない。むしろ、スキルの違いはあるにせよ、アスリートマインドをもつ人のために開発されている。言ってしまえば “ガチ” に寄せたスポーツウエアだ。
このベンチコートは、MOVE SUPER SPORTS(以下MSS)シリーズに位置づけられたアイテムである。このMSSシリーズは、世界で戦うアスリートたちが信頼を寄せる高機能なウエアを提供するデサントが、競技者の抱えるさまざまな課題を解決するシリーズだ。
このベンチコートの開発を手がけたデサントジャパンの日野智也さんはこう話す。
「私たちが考える競技者・アスリートというのは、トップアスリートと呼ばれるような人ももちろん含まれますが、もっと速くなりたい、もっとうまくなりたいという気持ちを持ち続ける人も想定しています」
つまり向上心をもってスポーツと向き合う人のために作られるのが、このMSSシリーズのウエアなのだ。この立ち位置こそ、巷にあふれる “マルチに着られるスポーティな服” との大きな違いとなっている。
このMSSシリーズがスタートしたのは一昨年。不破聖衣来の快走が話題となった東日本女子駅伝のオフィシャルサプライヤーを務めたことがきっかけだ。出場全チームに提供されたユニフォームは女性ランナーたちの課題を解決するためのアイデアが込められていた。なかでもきめ細かな配慮がうかがわれたのが、赤外線透過を防止する裏地を装着したランニングショーツだ。これは昨今問題となっている女性アスリートに対する盗撮を防ぐためのもの。女性ランナーの心配を取り除くことで、ベストなパフォーマンスを発揮できるようにと考えられた。
このベンチコートは昨年の東日本女子駅伝に出場した選手に提供されたものと同じ仕様。当然ながらトップランナーたちの課題を解決するものでなくてはならない。駅伝の中継所で、ウォーミングアップをしたり、待機したりするときには欠かせないウエアだ。それだけにMSSらしさをどのように見出すのか、日野さんは頭を悩ませた。
「ランナーの課題や悩みはもっと早く走りたいという根源的なニーズばかりではありません。翌日も変わらぬパフォーマンスを維持するためのリカバリーも求められるし、一昨年の盗撮を防止するランニングショーツのように、アスリートのモチベーションを維持することも課題の解決につながります。さらなる課題解決を導き出すためには何が必要なのかをブラッシュアップしていきました。その間には、おつきあいのある実業団の陸上チームに何度も足を運び、トップランナーの声も取り入れながら生まれたのがこのベンチコートです」
あくまでベーシックなデザインを保ち、ロゴのあしらいも控えめなアスリートライクなベンチコート。だがよく見ると気づく部分がある。フードの内側からものぞく、総裏のボアが用いられていない。ボアはボリューム感がある起毛が特徴で、暖かさを直感的に感じられる保温力がある。またソフトな起毛の肌ざわりを好む人も多い。そのためベンチコートではよく目にする素材だ。
だがこのMSSのベンチコートはボアの代わりに、タフタで包み込んだ中綿を使用している。タフタとはポリエステルを用いて、極細の糸を高密度に織りあげた素材。ツルっとした質感で、一般的な冬のアウターにもよく利用される素材だ。馴染みのあるボアを避けた理由を日野さんはこう話す。
「ボアは起毛があるのですぐに暖かさを感じられる反面、ウォーミングアップのあと汗ばんだときに着ると、素材として吸水力があるわけでもなく、汗ばんだ肌が起毛に触れる着心地が気になるという声を競技者たちからも聞いていました。そこで防寒衣料に用いられる中綿を使用し、保温性を保ちながら競技者たちの課題を解決できないかと考え、風を通しにくい特性もあるタフタを裏地に使用することにしました。
確かにアスリートが抱える課題を解決できる素材の選択なのだが、ひとつ懸念が思い浮かぶ。それは表面のツルツルしたタフタは、寒い冬の屋外で袖を通して肌に触れたとき、冷たさを感じてしまうのではないか。これが新たな課題になってしまわないのか。だがそれに対する回答も日野さんは用意していた。
「このベンチコートの裏地には、背中の首の下あたりにサーマルポケット(写真上)をつけています。これは使い捨てカイロのような防寒小物を入れるためのもので、首元から暖かさを感じてもらえる仕様にしています」
ベンチコートの裏地についた “熱源” ポケット。これまでデサントのベンチコートにはなかった工夫で、ほかのメーカーのベンチコートでもあまり目にしないアイデアだ。こうした柔軟な発想こそ、MSSシリーズが目指すアスリートの課題の解決につながる。実はこのサーマルポケットは、野球のグラウンドコートの裏地に採用されていたものをヒントに、ベンチコートに取り入れたものだ。このMSSの企画に携わる以前、デサントの野球用ウエアを担当していた日野さんならではの発想だ。
大きなスポーツショップに出かけると、競技ごとにウエアがディスプレイされているのが見慣れた光景だ。その競技に即した機能を取り入れてウエアは開発されている。だがアスリートが抱える課題を解決するというMSSの目標を実現するためには、一定の競技に特化された機能をそこだけで完結させるのではなく、競技の枠を超えて横展開で活用することから新たな解決策が生まれると日野さんは考えている。しかもこのベンチコートが登場するきっかけとなったのは駅伝だが、このアイテムはサッカー、バレーボール、卓球など幅広い競技で着用されるのだからなおさらのことだ。こうなると、さまざまな種目の高機能スポーツウエアを通して培ってきたデサントのノウハウが頼りになる。
同じような視点から生まれたディテールに、フロントの脇にある大きなポケットの内側についた小さなポケット、ポケット イン ポケット(写真上)がある。通常のベンチコートにはグローブやアームウォーマーをそのまま突っ込めるような間口が広く、深いポケットがあるだけだった。そのため音楽などで気持ちを高めるために持参するスマホや、データなどを確認するためのタブレットが、ウォーミングアップ中、ベンチコートのポケットの中で揺れてしまったり、落としてしまったりすることもあった。これもアスリートにとっては集中力を妨げる悩みとなる。これを解決するために、収納のための小さなポケットを加えたのだ。
このポケット イン ポケットも、実は陸上競技用のロングパンツのウエストについた小さなファスナーポケットがアイデアソースだ。ランナーたちがランニングステーションのロッカーに貴重品などを預けたあと、キーをランニングしている間、持ちあるくことになる。これを通常の太モモのサイドにつくポケットに入れてしまうと、ランニング中に肌に触れる感触が気になったり、キーを落としてしまったりするリスクもある。そのために考案された工夫を、ベンチコートにも応用したわけだ。
この競技をするためのウエアとして開発されたMSSのベンチコート。日野さんによればまだトライアルの段階らしい。今後はシルエットや着丈などをアスリート目線で改良していきたいという。カラーは定番のネイビー、ブラックのほか、ホワイト、ブルー、レッドが用意され、ユニセックス仕様となっている。
トップスポーツブランドだからこそ実現できる機能が細やかで、行き届いた心づかいとともに生かされている。それが少しでもレベルアップしたいと考えるアスリートのマインドに寄り添うこととなり、彼らのモチベーションの後押しをしてくれる存在となるはずだ。
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