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石川とマクガフの“覚悟”がかけさせた王手――ヤクルト投手陣が見せた接戦だからこその踏ん張り【氏原英明の日本シリーズ「記者の目」】<SLUGGER>

シリーズ初登板のベテラン石川(左)と、リリーフで3登板と試合終盤を支えるマクガフ(右)。2人の踏ん張りが今季のヤクルトを象徴していた。写真:塚本凛平(THE DIGEST写真部)
2度は逃げられない。そんな覚悟だったに違いない。

日本シリーズ第4戦はまたも1点を争う痺れるゲーム展開だった。特に9回表は、ヤクルトが1点をリードした展開で2死二塁のピンチを迎えるという局面だった。

打席にはオリックスの5番・T−岡田が立ち、マウンドにはマクガフ。一度、ピッチングコーチが間を入れているが、このシーンは昨日の第3戦とまるで同じだ。

前日の9回表、ヤクルトの高津臣吾監督は第1戦で救援に失敗したマクガフをマウンドに送ったが、先頭打者に出塁を許し、その後も犠打などで2死三塁のピンチ。そして打席に吉田正尚を迎えたところで、伊藤智仁ピッチングコーチがマウンドに向かい、敬遠が申告されたのだった。

吉田を避けたマクガフは次打者の杉本裕太郎をファーストゴロに打ち取って試合を締めた。好投したのは間違いない。だが、吉田を避けたということがわずかな悔いとして残ったのではないだろうか。

第4戦では打者こそ異なっていたが、岡田の次の打者はこの日2三振とまったく打てそうな気配のなかった安達了一。だが、マクガフが選んだのは敬遠ではなく岡田との勝負だった。そして前日に引き続き最後の打者をファーストゴロに抑えてゲームセット。日本一に王手をかけたのである。
「毎日接戦でちょっと疲れるんですけど、本当に競ったところでね、相手に1点を与えない、何とか1点を奪うというゲームが続けてできているのかなという感じがします」。

そう語ったのは高津監督だ。

マクガフだけでなく、この日のヤクルトは投手陣全員が踏ん張って点を与えない姿勢を貫き続けていた。

試合を振り返ってみる。先発マウンドに立った石川雅規は1回、1死から宗佑磨にレフト前ヒットを浴びて出塁を許すも、続く吉田を空振り三振、杉本は中飛に抑えると波に乗った。

ストレートは130キロそこそこだったが、変化球を散りばめて打者に的を絞らせなかった。カーブ、スライダー、シンカー、チェンジアップ、カットボール。持ちうる全ての球種を使って打者を抑えた。

今年で41歳になったベテランには懸ける思いがあった。6年前の日本シリーズで敗れて悔しい思いを味わい、今季はそもそも先発の軸を務められなかった。日本シリーズでの登板機会が4戦目となったのも、不甲斐ないシーズンを象徴していた。

しかし、この日は野球人生の全てを投げうつかのように腕を振った。
石川は言う。

「ストレートの球速は130キロですけど、バッターがどう感じるかが大事だと思って20年やってきた。(僕の持ち味は)変化球と思われがちですけど、しっかりまっすぐを両コーナーに投げられたら変化球も生きるので、いかにまっすぐを速く見せるかかなんです」

そうやって、6回を投げ切り3安打1失点(自責点0)としっかり役目を果たしたのだった。

一方の打線の方は、2回裏に、5番のサンタナが昨日に引き続き、逆方向への本塁打で1点を先制。そのサンタナのマズい守備もあって、6回表に同点を許すのだが、その裏には2死から四球と安打でつないだチャンスから、7番のオスナがセンター前へのタイムリーを放ち、1点を勝ち越した。

ここからはブルペンの出番だった。昨日、勝利投手となった石山泰稚が7回を無失点。8回は清水昇が走者は出しながらも得点を与えなかった。
そして9回からはマクガフが登板。1死から吉田には安打を浴びたが、それでも、杉本裕太郎や岡田といった一発のある打者に臆せず立ち向かい、得点を与えなかったことの意義は大きい。

先発投手が粘り、打線がなんとか勝ち越し。リリーフ陣でしっかり繋いだ試合でクローザーが締めた。

石川は「27個のアウトをいかにとって、いかに相手より点を取るかがスワローズの野球だと思う。東京で(日本一を)決めたいと思います」と力を込めた。

石川の予言通り、ヤクルトは明日の第5戦で、日本一を決めることができるだろうか。

文●氏原英明(ベースボールジャーナリスト)

【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園という病』『甲子園は通過点です』(ともに新潮社)、『メジャーをかなえた雄星ノート』(文藝春秋社)では監修を務めた。

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