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ペナルティを乗り越えて初優勝 青木功撃破でビッグマウスが始まった【名勝負ものがたり】 | ゴルフのポータルサイトALBA.Net
後に米ツアーにも参戦、海外メジャーにも出場した(撮影:ALBA)
歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまで鮮やかな記憶。かたずをのんで見守る人々の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の数々の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。
水巻善典初優勝の記憶は、1989年関東オープン。第2ラウンドで2打のペナナルティを払いながら、青木功相手に1打差をつける堂々の優勝劇は、その後のゴルフ人生に大きな影響を与えるものとなる。
残暑厳しい8月末から9月初めの日高CC(埼玉県)。当時は同日程で各地区オープンが、いずれもツアー競技として開催されていた。その後、なくなってしまった関東オープンは、地区オープンの中でも、有力選手が出場する傾向にあった。
水巻は当時、ツアー未勝利で、まだシードも手にしたことがないプロ5年目で、31歳の誕生日を迎えたばかり。並のプロゴルファーなら喉から手が出るほど優勝が欲しい頃合いだ。4月に長男、賢人君も誕生していたが、本人は淡々とプレーを続けていた。「う〜ん。学生時代から試合よりもみんなでワイワイやってるのが楽しいタイプ。(シニア入りした)今でもそうだけど、勝ちたいという気持ちより、自分が(うまくプレーを)できないことがイヤと言う気持ちの方が強いから、それほど勝ちたい、とかじゃないんだよね」と、あっさりしたものだった。
この大会までに10試合に出場して予選落ちが5つ。トップ10入りはNST新潟オープンの9位タイ1回だけと、今一つの成績に甘んじていた。
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