【フットサルに生きる男たち】「僕には変えることができなかった」。北海道・小野寺隆彦監督が、12年の長期政権で感じてきたチームのマンネリ
12年。Fリーグ参入から数えると11年という長期政権を築いた男が、退任する。
エスポラーダ北海道、小野寺隆彦監督。
その人物像を一言で表現するなら「男気」以外に見つからない。周囲から「デラさん」の愛称で親しまれる小野寺監督は、どんなときも真摯であり、誰に対しても実直。ただ優しいだけではなく、ピッチでは誰よりもアツい魂を持っているからこそ、選手の不甲斐ないプレーに対して声を荒げるシーンを何度も見せていた。
自ら「先生タイプ」と言うように、指導スタイルは選手の自主性を重視して、戦術や決め事よりもまず、選手には「最後まで戦い続けること」を求めた。今シーズンも第12節で名古屋オーシャンズに競り勝ち、第22節のシュライカー大阪戦は、0-3の局面から6-3と大逆転勝利を収めてみせた。
一方で、そのスタイルは常に結果を伴うものではなかった。
2016/2017シーズンから3年間の順位は、9位、10位、11位。3年連続で順位を落としただけではなく、特に昨シーズンはF2降格の危機さえもあった。プロスポーツの世界では、その成績で指揮官が続投するケースは限りなく少ない。しかし北海道に対して、これまで公の場で厳しい指摘が広がることは皆無だった。
クラブのGM職を兼任する監督が、居座っている──。もちろん、クラブにはビジョンがあり、結果が何より優先されるものではないとしても、決して健全とは言い切れない状況が続いていたのだ。
小野寺監督が、葛藤を抱いていないはずはない。でも、続けてきた。それはなぜか。
12月、クラブと小野寺監督は、ようやく大きな決断を下した。今シーズン限りでの退任。そして1月、北海道は今シーズンも11位でフィニッシュして、小野寺体制は幕を閉じることになった。
小野寺監督のFリーグ最後の采配となった駒沢セントラルで、本人を直撃した。
指導と選手の要求にギャップがありすぎた
──今シーズンも下位争いでしたが、昨シーズンの最後はもっと危機感があったように思います。
それはありました。何をやってもダメなシーズンでしたが、アグレミーナ浜松と順位を争っていて、向こうの勝ち点や結果を意識して、そのなかで落ちられないという緊張感をそれぞれが持っていたと思います。だからと言ってうまくいったわけではないですが。今年は(12位の)ボアルース長野との勝ち点は離れていたので、去年の11位と今年の11位の意味はまったく違うと思います。でもやはり、11位より10位がいいし、それよりも9位がいい。そういうところでもっと貪欲にならないといけないと思います。
──下位から上がれないシーズンが続いていました。
今年は昨シーズンの積み上げとFリーグ選抜から戻ってきた選手、それに堀米将太が(大阪から)帰ってきて、間違いなく去年よりも戦力が整ったので、面白さはありました。名古屋に急に勝ったり、大阪には0-3から6点を取ってひっくり返したり。スイッチが入ればやれるので、ポテンシャルとしてはそこそこある。でも、それを常に安定して引き出せるかどうか。トップリーグで戦い続けるためには、努力を続け、波をなくさないと上位には食い込めない。それを出すためにチームを盛り上げることや元気が、全然、足りないなと。
──そこは特に若い選手に求めたいところです。
水上玄太がリーダーであり、顔として引っ張ってくれるのは間違いないのですが、若手や中堅でグイグイ盛り上げてくれる選手が出てこないと、安定感や波を平らにしていくようなことにはつながらないと思いました。来シーズンに向けて、選手とは続ける、続けないという話をしますが、何をしないといけないのか、どんなことを求めているのかは、もう少しチーム全体に伝えていかないといけません。だんだん大人しい世代に代わっていくと思うので、そういう意味でも、チーム作りが難しくなっていくのかなと感じています。
──そうした状況下で12年続けてきた監督を退任。どのように決断したのでしょうか?
昨シーズンの11位、降格の危機もあったという結果を受けて、劇的に変えることができなければ、小野寺という流れでやり続けるのはよくない、続けてはいけないなという思いがシーズン前からありました。
──最初から決めていた。
結果が出なければ……というものはありました。
──それ以前から、自身の進退を毎年のように考えていた?
そうですね。日本のトップリーグですから。ただおかげさまで、クラブ側からも続投の使命をもらってきました。監督兼GMではありますが、僕がすべてを決定できるわけではなく、オーナーが決定するもの。やらせてもらえていたことには感謝しないといけないですし、僕自身も全力を尽くしてきました。
──決意を持ったシーズンでしたが、開幕当初は不調でした。
そうですね。だからやはり厳しいかな、と。でも勝ち点が少しずつ取れるようになってきて、やっぱり面白いなという感覚は正直、ありました。それが指導者としての醍醐味ですから。
とは言え、順位を考えても、次の候補を考えていかないと選手もマンネリ化してしまう。もともと僕が長く監督を続けてきてマンネリ化していますから、間違いなくやり方を変えていかないといけない時期にきているのだと思っています。
──マンネリがあった。
チーム作りの過程で、僕自身のやり方に対して選手がそっぽを向くようなことはありませんでした。でも、もう少し戦術的な部分が必要だなと。僕は細かいところまで指導しないですし、グループを作って、自分たちで話し合うことを求める。いわば先生タイプであり、チームにはそこに対する理解がありました。
でも、監督からもう少し細かく、戦術やフットサルのことを学びながら前進していかないといけない。もちろん、それが正解かどうかはわからないですが、やはり求めている。選手が知りたがっているところは絶対にあると思う。もっとこうしてほしいというオーダーがあった方がやりやすいと感じている選手も当然いると思うので、それを細かくセッティングできる人物が監督でないといけないかなと。
──先生タイプの限界を感じたとも言えますが。
もちろん、それは感じています。僕のなかでは、他クラブの監督のやり方を比較する物差しもありました。具体的に誰かと比較したわけではないですが、みなさん勉強されていて、リスペクトできる方々です。そういう相手に自分のやり方で勝てないという意味でも、何かが足りないということ。
選手だけの能力だけではない、もっと細かいところを設定しないといけないというのは、僕自身のスタイルの部分への反省です。と言いつつ、これまでは、失礼な言い方になってしまうかもしれないですが、どのチームも同じようになってきているというのも事実なので……。
──足りない部分を感じつつも、小野寺さんの信念もあった。
フットサルA級の指導者ライセンスができて、指導者の間で(チームの指針となる)「プレーモデル」という言葉が出るようにもなりました。そういうことが大事だと思いますし、否定するものではありません。でも僕は「人ありき」だと思っています。
結局、戦術のためではなく、ゴールを奪うため、勝利を奪うために戦うもの。自分たちの持っているカラーや力を引き出すために、(戦術があることで)半分は対応できても、半分は戦術をやるという頭になってしまうと、結局ゴールが生まれないかもしれない。ピッチで何をしなければならないのかというところが大事だと思います。
そのためにプログラミングすることが、僕にはうまくできていなかった。自分のやり方を貫き通しましたが、これから特に若い世代が中心になっていくので、ある程度は決め事やルール、戦術を見直していかないといけない。代表に入れる可能性があっても(戦術理解度や基礎となる個人戦術などが足りないために)入れなかったりすることもありますから。
──代表に定着できないという現実に直面してきた部分もある、と。
堀米や坂桂輔が時々、呼ばれていますし、これまでは宮原(勇哉)や水上もそうでしたが、普段からの戦術的な要素が足りないことで、おそらく代表に行くと頭が追いつかなかったり、ルールが多くて適応できないところもあるだろうと感じています。そこはまさに、僕の指導とのギャップがありすぎるところ。選手も難しさがあったことは間違いないと思います。
──そのために必要なものが戦術的な要素。
代表に選ばれない、定着しないから不正解だとは思っていないですが、北海道も、細かいことをもう少し積み上げていかないといけないという時期にきています。今は「戦術メモリー」なんて言われますが、個人がしっかりとした上でそれを増やしていかないといけない。そうやって、いろんなことを理解しながら、フットサルを楽しむとか、こうやったら相手を崩せるとかっていうことをうちの選手ができるようになると、きっと強くなれる。
下位からの脱却を目指すというときに、話は最初に戻りますが、ここで僕が劇的に変えられなければ監督を続ける意味はないですし、選手に対しても申し訳ない気持ちになってしまいます。だからそこは、僕には変えることができなかったと思っています。
──小野寺さんは、監督とGMを兼任されてきました。チームの強化とクラブ運営・経営の両軸に取り組むという部分では、物理的な難しさもあったのではないでしょうか。
そうですね、練習にいけないこともありました。ですが、コーチと信頼関係を築いてきましたし、今シーズンの土屋(浩)コーチやその前の金井(一哉)コーチとは連携できていました。
──監督は退任しますが、人と人とで向き合うことや、選手であり社会人の一人であることを求めるという部分では、小野寺さんの先生的な立ち位置は変わらない。
そうですね。選手との距離感で言えば、監督というものがあったから壁があったり、伝えきれないことがあったかもしれません。それがなくなることで、もう少し具体的に、生活指導ではないですけど、気を遣わずに言えることや、気を遣わずに聞けることがあると思います。
──ちなみに、後任監督については……?
OBからですね。その筆頭は金井ですし、上貝(修)や神(敬治)もライセンスを取ったり、努力をしてくれています。OBのなかからチーム作りをしていくことは、ずっと考えてきました。
──Fリーグ監督としての戦いが終わる。どのような想いがありますか?
戦うのが好きですし、Fリーグも好きですし、フットサルも大好きなので、一つの終わりとなることへの寂しさは正直にあります。でも、これで終わりじゃない。「終わり」と言っているのは、あくまでも僕自身の監督が終わるだけ。何かを捨てるわけではないですから。チームを強くするために裏方に回ることが次の使命。監督という立場はなくなりますが、僕に与えられているミッションは何も変わっていないと思っています。違う角度から、僕は戦い続けます。
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