“史上初”アメリカ開催決定の裏側 世界選手権には卓球人たちの心意気が詰まっていた
卓球インタビュー “史上初”アメリカ開催決定の裏側 世界選手権には卓球人たちの心意気が詰まっていた
2021.11.23 取材・文:槌谷昭人(ラリーズ編集長)
「世界卓球と世界選手権って同じものですか」
え、同じですけど。そう答えてくれる貴方にすかさず聞き直したい。
卓球の世界選手権は、いつから世界卓球になったのだろう。
恥ずかしながら、しばらく前まで「世界卓球」という別の派手な大会をテレビ東京が中継している可能性もわずかにあると睨んでいた。
見当違いの睨みだった。
冒頭で、はっきりさせておきたい。
世界選手権と、世界卓球は同じ大会のことです。
写真:世界選手権2013パリ大会の会場/提供:卓球レポート/バタフライこのページの目次
- [11 【連載】なぜ中国は卓球が強いのか?]()
2006年ブレーメン大会から
「“世界卓球”という呼び名を使い始めたのは、2006年ブレーメン大会からですね」世界卓球中継の総合演出を長く担当する、テレビ東京の河野乃輔(こうのだいすけ)さんは振り返る。
“当時のプロデューサーたちの話をまとめると、ですが”と断った上で、その意図をこう明かしてくれた。
「既に世界陸上や世界水泳が認知されていたので、その規模感や認知度まで私たちの卓球中継も持っていきたいという思い。もう一つは、当時卓球に馴染みのない多くの視聴者にとって、少しでも呼びやすく、見た目もわかりやすい漢字4文字の呼び名にしたかったんです」
写真:世界選手権2006ブレーメン大会男子団体準決勝の1番、ドイツの“皇帝”ボルが馬琳に逆転勝利し、会場が大いに盛り上がる/提供:卓球レポート/バタフライテレビ東京が卓球中継を始めた2005年上海大会はまだ「世界卓球選手権大会」という表記で放送していた。一年目に手応えを感じたテレビ東京が、二年目からいよいよ本腰を入れて“推し”始めたとき、その呼び名も“世界卓球”になったのだ。
写真:2006年ブレーメン大会で女子団体3位となった日本女子選手団/提供:卓球レポート/バタフライ## 世界選手権と日本選手団
ところで、卓球が五輪種目になったのは1988年のソウル五輪からだ。
それまで、卓球選手やファンにとって「日本が世界と真剣勝負する」場所は、いくつかの国際トーナメントを除けば、世界選手権のことだった。
ちなみに、卓球の世界選手権第1回は1926年にイギリスで開催された。
日本選手団が初めて世界選手権に出場したのは1952年、インドのボンベイで行われた第19回大会である。そこで日本選手団は、全7種目中の4種目で優勝する。
なんという鳴り物入りのルーキー感。
ただ、敗戦国・日本がこのボンベイ大会に参加するためには、その前に国際卓球連盟に復帰しなければならなかった(太平洋戦争の始まった1941年に日本は除名)。
反対する国もあり、なんとか条件付きで1949年に再加盟を果たしたが、このタイミングでの国際競技連盟への復帰は、日本の全ての競技の中で卓球が初めてだった。
なんという前陣速攻の鳴り物入りのルーキー感。
そして、世界選手権に正式に参加できたのがこの1952年の第19回ボンベイ大会だったのだ。そこには、当時お金のない日本卓球協会が“インドであればどうにか選手団を派遣できる”という財政事情もあったという。
なんという裸足の、もういいですか。
歴史を深堀りしすぎてしまった。2万字になってしまう。
卓球に世界選手権しかなかった時代には、多くの珠玉のエピソードが残されている。
史上初のアメリカ開催は「ピンポン外交から50年」
史上初のアメリカ開催となるヒューストン大会についてだ。
アメリカで卓球なんて、という大方の消極的な予想に反し、チケット販売開始と同時に準決勝・決勝、VIP席などは早々にソールドアウトした。
「地元ヒューストンでの関心の大きさを実感しています」現地大会組織委員会CEOのジャニス・バーク氏は語る。
写真:2019ブダペスト大会の会場/提供:卓球レポート/バタフライアメリカ国民は様々なスポーツが好きで、一度注目を集めてルールが理解できると興味を持つ傾向がある、とジャニス氏は期待を込める。
「1990年代にアメリカで開催されたサッカーワールドカップでは、各州で何千人もの若い選手がチームを組んでプレーしていて、今では主流のスポーツとなっています。ラグビーも近年アメリカで大きな国際試合が開催されるようになり、人気を集めています」。
今回の開催をアメリカでの卓球普及の契機にしたい。世界中の卓球人の願いだ。
「あと、2021年はピンポン外交50周年の年でもあります。開催するには素晴らしい年だと思い、招致を決めました」
ですよね、えーっと、ピンポン外交。
写真:国際政治の場面で登場する“ピンポン外交”のワード/提供:Press Association/アフロ## 1971年名古屋大会で起こった“ピンポン外交”
時は1971年。東西冷戦下の米中両国。中国は文化大革命の真っ只中にあったが、開催国日本卓球協会からの熱心な働きかけで6年ぶりに世界選手権に参加したのが、名古屋大会だった。
ある日、試合会場に向かう中国選手団のバスに、一人のアメリカ代表選手が間違えて乗車する。当時「アメリカの選手とだけは接触してはならない」とされていた中国選手団だったが、後部座席からエース・荘則棟選手が歩み寄り、お土産のペナントを渡して友好的な言葉を交わした。
それを契機に、中国が「アメリカ選手団を中国に招待する」と発表、卓球会場で起きたそのニュースは瞬く間に世界を駆け巡った。
その後の米中国交樹立に大きく貢献したと言われる出来事が“ピンポン外交”である。
“小さな卓球のボールが、大きな地球を動かした”年からちょうど50年の節目を、決して卓球がメジャースポーツではないアメリカの卓球人たちが覚えていて、世界選手権を初めて招致し、実現した。
古今東西の卓球人が大切にしてきた友好の思いを感じて胸が熱くなるし、あと、本当に原稿が2万字になりそうなので、現代に話を戻す。
写真:1971年名古屋大会での中国選手団/提供:卓球レポート/バタフライ## 個人戦と団体戦が毎年交互に開催される
世界選手権が少しわかりにくいのは、個人戦と団体戦が一年ごとに交互に開催されることかもしれない。
2001年の大阪大会までは2年に一度同時に開催していたが※、大会期間が約14日間にも及び、あまりに選手・関係者の負担が大きいということで、それ以降は個人と団体に分けて毎年行うようになった。 ※1999年と2000年は分離開催
ただ、実は覚えやすいのは、奇数年が個人戦、偶数年が団体戦なのだ。だからヒューストン大会2021は個人戦だ。
あと、いまだに覚えられないのが、スターバックスのドリンクカップサイズは、SはShort(ショート)なのに、MはTall(トール)で、LはGrande(グランデ)なのだ。でも、Lと言ってしまってもほとんどの場合、グランデですねと優しく再確認してもらえる。
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