清水・鈴木唯人が、強烈な自己主張でつかんだ大きな変化とは? 「だったらFWをやらせてくれ!」 #spulse

清水エスパルスのプロ3年目・鈴木唯人が絶好調です。

1年目の2020シーズンから清水にとって欠かせない選手として活躍し、今年1月にはフル代表に選出されるなど着実にステップアップ。今シーズンは開幕から2試合連続ゴール中とその勢いは止まりません。

そんな今シーズン注目の鈴木について、ユース教授の安藤隆人氏にこれまでの歩みを綴っていただきました。鈴木選手のプレースタイルや高校時代の思い出の試合を紹介していただきます。

■クレジット
文・写真=安藤隆人

■目次
ポジションにとらわれない器用なプレー
苦しみ続けた高校3年生
転機となった強烈な自己主張
エスパルスに欠かせない存在に

ポジションにとらわれない器用なプレー

2022年のJ1リーグで、開幕2戦連発と波に乗っているのが清水エスパルスの鈴木唯人だ。

市立船橋高校時代に何度か取材をして、当時の印象は『何でも出来る上手い選手』だった。ボールタッチやドリブル、パス、シュートなど、どのプレーをとっても上手い。しかし、今までも“ただ上手い”はたくさんいた。そういった選手は裏を返すと、突出した個性がなく、器用貧乏で終わってしまう危険性がある。

鈴木もその類の選手かもしれないと思った。しかしプレーを見れば見るほど「彼は違う」と確信を持てるようになった。

高校時代の主戦場はサイドだったが、生粋のサイドアタッカーではない。中央に置いたらボランチやトップ下、FWもできるなどさまざまなポジションで器用にプレーした。

サイドハーフで出場した場合でも、展開によってはボランチの位置に入ってゲームを作る。また、斜めの動きでDFラインの背後に抜け出してゴールに迫った。トップ下に入れば高い位置でチャンスに絡みながらも、ボランチの位置に落ちて、味方の選手を1列上に押し上げる。時にはサイドに流れてクロスを上げたり、カットインからラインブレイクを狙う。

FWならばフィニッシュワークで非凡なプレーを見せながらも、トップ下とボランチの選手と縦のスライドをしながら、サイドハーフが中に入ってくるスペースを作り出すなど、オフ・ザ・ボールの動きで攻撃を活性化させる。

このように鈴木は、ポジションにとらわれないプレーで、1試合を通した物語をピッチに作り上げる。市立船橋高の試合を観に行くたびに、鈴木がどのような物語を見せてくれるのか楽しみでもあった。

苦しみ続けた高校3年生

そんな鈴木を語る上で重要な1年間がある。それは彼が高校3年生だった2019年だ。

この年のプレミアリーグEAST開幕戦、右サイドハーフとしてプレーをした鈴木は、いつものように周りを圧倒するプレーを見せる。プレスを受けても慌てることなく、持ち前のスピードを生かした裏へのランニングや、中盤まで落ちてボールを受けて捌いてから再び前に飛び出していくなど、「なんでも出来る」プレーを披露していた。

この時、メインスタンドではある2人の人物からこのような会話が起こっていた。

「あの選手、戦隊モノだったらレッドの立場になれますよね」

「そうだな、あのクオリティだったら主役になれる存在だな」

この会話の主が、清水エスパルスの兵働昭弘スカウトと森岡隆三アカデミーアドバイザー(現・清水アカデミーヘッドオブコーチング)だった。バランサーとしてボランチからトップ下を幅広く動きながらも、時にはストライカーとしてゴールに迫る。

鈴木の能力とスケールの大きさに目を奪われた兵働スカウトは、「どのプレーもレベルが高いし、何より観ていて引き込まれる魅力的な選手」と、将来のレッド(主役)になれる存在として彼を追いかけるようになった。

しかし鈴木は順風満帆のキャリアを歩んでいたわけではない。ちょうどこの年、市船の監督が変わった。チームをインターハイ優勝と選手権優勝に導いた朝岡隆蔵監督(現・ジェフユナイテッド千葉U-18監督)から、コーチを務めていた波多秀吾氏が監督に就任。指揮官の交代の1年目は難しさもあるなかで、10番を託された鈴木は苦しんでいた。

「苦しい時が来ることは覚悟しています。でも、その時に監督が変わったとか、そういう周りのせいにしたくなかった」と、責任感を持って臨んでいたが、勝てない時期が続いたことでだんだん焦りが生まれるようになった。

「うまくいかない状況になったことで、自分が必要以上に『どうしたらいいのか』と考えすぎていました」

言い訳は一切したくない。だからこそ、絶対に自分たちが結果を出さないといけない。そう強く思えば思うほど、無意識のうちに周りが見えなくなってしまう自分がいた。

その焦りに比例するように夏の時期のプレーは精彩を欠いていた。特に試合終盤になるとピッチから消えてしまうシーンが増えた。兵動スカウトの言葉を借りれば、この時の鈴木は主役どころか脇役でも存在感を放てなくなってしまっていた。

転機となった強烈な自己主張

9月に行なわれたプレミアEAST第13節の柏レイソルU-18戦で、チームは1-4の大敗。この試合が鈴木にとって大きな転機となった。

試合後、鈴木は波多監督から「本気でやっているのか!」と叱責を受けた。確かにこの試合、鈴木を始めとした3年生に覇気を感じられなかった。失点を重ねてもピッチで声を出していたのは当時2年生のDF石田侑資(ガイナーレ鳥取)だけ。反撃の機運も全く感じさせないまま、90分が経過して いった印象だった。

波多監督による10番への檄は当然のことだった。石田から「悔しくないんですか? 本当に勝ちたいんですか? 最近の練習からも本気で勝ちたい気持ちが伝わってきません。特に前(攻撃のポジション)の選手は全力でプレーしているんですか?」と涙ながらに訴えかけられた鈴木は「全く言い返せない自分がいました」と言葉が出てこなかった。

鈴木の目にも涙が浮かんでいた。波多監督から「どう思っているんだ?」と問われてもやはり言葉が出てこない。緊迫した空気が流れているなか、ようやく鈴木が口を開く。

「だったらFWをやらせてくれ!」

初めて強烈な自己主張をした瞬間でもあった。これまではサイドハーフでも黙々とプレーをしていた。しかし、このポジションは自分が得意とするスピードは生かせるが、フィニッシュワークに多く関わることができず、中盤に落ちて起点となる回数も少なくなる。自分の持ち味をもっと引き出すには中央でプレーしたい。当時、絶対的なストライカーがいなかったチーム事情もあって、「もっと決定的な仕事ができるようになりたい」とFWでプレーしたい気持ちが初めて言葉として表に出たのであった。

「周りの仲間たちのそれぞれの胸の内がわかった。自分の中でもずっとモヤモヤした気持ちがありました。あの瞬間、市船として球際の厳しさや運動量、切り替えを全力でやるということを見失っていたことに気づけたんです。本当に甘かったと思えたし、目が覚めたと言うか…。だからこそ言われっぱなしも嫌だった。もう一度自分にチャンスが欲しいと思って言ったんです」

この一戦を境に鈴木は『レッド』への階段を登り始めた。

希望通りFWとして起用されるようになると、攻守において全力でスプリントをし続け、試合終盤になっても変わらぬ存在感を放つようになった。柏U-18戦の一週間後の第14節の尚志高戦を3−0で快勝すると、清水ユースに1−0、鹿島アントラーズユースに2−1、そしてアウェイでの流通経済大柏戦では鈴木が2ゴールを挙げて2−1の勝利を掴んで破竹の4連勝。最終節を残し、降格危機だったチームはプレミアEAST残留を手にした。

そして高校最後の選手権予選決勝では2連覇中の流通経済大柏を相手に、2度のリードを追いつかれるという苦しい展開だったが、2−2で迎えた57分に鈴木が抜群の動き出しでDFラインの裏に抜け出すと、冷静にGKの位置を見極めて左足一閃。3度目の勝ち越しとなるゴールを決めて3−2で勝利するなど、エースとして有言実行をして見せた。

「柏U-18戦から自分が変わりました。チームのために自分を生かして、時には犠牲にもなる。自分を見つめ直すことができたことで視野が広がりました」。

エスパルスに欠かせない存在に

そして2020年、鈴木は兵働からのラブコールに応える形で清水に加入。ここでも自分をもう一度見つめ直した。技術面では通用するが、フィジカル面やプレッシャーが激しいアタッキングエリアでのミスが多いことに気づき、1年目からプロサッカー選手として、兵働スカウトを始めとした首脳陣たちが期待をする『レッド』になるために自己研鑽を始めた。

「朝、クラブハウスに来て筋トレをやっていたり、全体練習が終わった後もトレーニングルームで筋トレや体幹、可動域を広げるストレッチなどを黙々とやっていた」(兵働)。

その結果、首回りは高校時代よりも太くなり、試合をこなすごとにフィジカル負けすることも少なくなっていた。

ルーキーイヤーでJ1リーグ30試合出場(うちスタメン12試合)という堂々たる数字を残した。プロ2年目を迎えた昨年、再び兵働スカウトからのアドバイスを受けてスケールアップを果たした。

「中盤エリアでのパスを引き出すプレー、何気ない横パスなどのミスが少し気になったので、より丁寧にプレーすることを心がけなさいと。一方で、アタッキングサードでは、持ち味を発揮し大胆にプレーしたら良いと思うと伝えました」

FWをメインポジションにしながらも、左サイドハーフ、トップ下、右サイドハーフなど複数のポジションをこなし、リーグ33試合出場(うちスタメン25試合)で2ゴールをマーク。清水に欠かせない主軸となり、日本代表候補に選出されるまでに成長を遂げた。

そして2022年、鈴木は最高のスタートダッシュを切った。第2節のジュビロ磐田との静岡ダービーでの先制ゴールは、フリーランニングの質とスピード、一瞬にして相手の背後を取り、寄せてきた相手を左半身でブロックしながら、浮き球のボールをしっかりと右足インステップに捉えて、GKの肩上を破ってゴールに突き刺すという、鈴木のこれまで培ってきた能力が凝縮されたものだった。

だが、まだこれが鈴木の完成形ではない。それは彼自身がよく理解しているはずだ。

何でも出来ることこそが、弛まぬ努力によって突き抜けた個性となる。

自分を見つめ直しながらベースアップをし続ける鈴木の姿勢がそれを証明しているし、これからも証明し続けていく。その姿に周りは日本サッカーの主役になることを夢見ている──。

■プロフィール
安藤隆人(あんどう・たかひと)

1978年2月9日生まれ。岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに転身。大学1年から全国各地に足を伸ばし、育成年代の取材活動をスタート。本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、柴崎岳、南野拓実などを中学、高校時代から密着取材してきた。国内だけでなく、海外サッカーにも精力的に取材をし、これまで40カ国を訪問している。2013年~2014年には『週刊少年ジャンプ』で1年間連載を持った。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)など。

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