【連載】その7〜その8|第3章 カスカヴェウの逆襲|第1部 黎明期|フットサル三国志

【連載】フットサル三国志|まとめページ 著者・木暮知彦

第1部 黎明期

第3章 カスカヴェウの逆襲(2000年2月~2001年2月)

その7 始まったカスカヴェウの逆襲
その8 カスカヴェウ大願成就

その7 始まったカスカヴェウの逆襲

2000年11月、駒沢屋内競技場では都予選の決勝戦が行われていた。この1年、あいまみえることのなかったフットサル三国志、両雄の戦いである。

ファイルフォックスは、目立った大会記録はコパジャルの3位くらいで、第2回リーガ天竜、関東リーグ、スーパーリーグなど、事情はあったものの出場せずと、今年の活動はそれほど活発ではなかった。

一方のカスカヴェウはブラジルツアーでプロチームにさんざんにやられ、関東リーグには出場できなかったが、FDCカップでウイニングドッグに敗れて2位、コパジャルはイパネマズKOWAに敗れて2位、第2回リーガ天竜は3位と無冠が続くものの、少なくとも活動は精力的だった。

その差が出たのであろうか、前半は3-3の同点だったが、後半2-0と今までにない粘りを見せたカスカヴェウがついにリベンジを果たす。しかも、第3勢力の小金井ジュール、府中水元クラブ、ガロを次々と倒しての東京都優勝であった。つまり、ストレートで全日本選手権出場の切符を手に入れたのである。

この結果、東京都は2位のファイルフォックスと、IPDとの3位決定戦を制したガロが関東予選に進むことになった。

2位のファイルフォックスは今までずっと東京都の開催地枠からストレートで全国大会に出場していたから、初の関東予選である。しかし、彼らには回り道したくらいの気持ちで余裕があり、敗戦のショックは少ないように見えた。

一方、3位のガロはカスカヴェウに敗れたとは言え、再び関東予選に進み、昨年、まさかの敗退の不覚を取り戻す絶好のチャンスを得たことで勝利の喜びを爆発させた。

神奈川予選は、決勝はウイニングドッグとブラックショーツの対戦となり、ウイニングドッグが5-3で下して優勝、2位のブラックショーツと共に関東予選出場を果たす。

エスポルチ藤沢から独立して再起を図ったロンドリーナは初戦ブラックショーツに敗れ、早々と姿を消してしまった。のちに全日本選手権優勝を果たすロンドリーナであるが、スーパーリーグに続く敗戦であり、当時は前途多難な船出となった。一方のブラックショーツは、設立の思惑どおりの船出となり、新興戦力である神奈川の2チームは明暗を分けるものとなった。

千葉はNACが優勝、プレデターは決勝で敗れたものの2位を確保して出場、茨城はマルバが優勝、3年連続関東予選出場を果たした。

そして関東予選、まずファイルフォックスは予選ブロックでプレデターを退け、準決勝ではマルバを退けて決勝に進む。プレデターは前回、ウイニングドッグと予選リーグ同組であり、結果的には2年連続、関東予選優勝チームと同組という不運なめぐり合わせであった。ちなみにNACも予選リーグ敗退となっている。

一方、ウイニングドッグは、決勝トーナメント1回戦でブラックショーツを、準決勝でガロを3-2で退けて決勝に進む。ウイニングドッグは、第4回全日本選手権の都予選でガロに負けたきっかけで本格的にフットサルに取り組んだのであるが、それ以降も関東リーグ、民間大会などでずっとガロに負けていた。ようやく、リベンジを果たしての決勝進出であった。

お互い、強豪チームを退けての決勝である。しかし、試合展開は思わぬ方向へ進む。ウイニングドッグは、ミスから気持ちを切らすと崩れる悪い癖がある。これが出て、前半だけでなんと0-5の大差がついてしまったのだ。後半からいきなりパワープレーで3点を返すが反撃はそこまで。6-3でファイルフォックスが関東予選を制するのだった。最後はファイルフォックスの余裕が勝因だったと言える。なお、ウイニングドッグにはこの年、ダニエル大城、シーナが助っ人に入ったがあまり機能しなかった。

これで組み合わせが良ければ、全日本選手権の本戦でファイルフォックスとカスカヴェウの対決の機会が生まれることになる。果たして、どうなるか。

日本が全日本選手権に向けて熾烈な戦いを続けている頃、グアテマラでは12月3日から世界選手権が開催されていた。日本はアジア予選で4位になったため、アジアからはイラン、カザフスタン、タイが出場、いずれも予選リーグで敗退してしまった。優勝は王国ブラジルを破ってスペインが初優勝を遂げる。のちにスペインが日本フットサルに大きく関わってくる予兆であった。

今回のお宝写真は、全日本選手権予選で何度となく死闘を繰り広げていたガロ対ウイニングドッグの対戦から、横田年雄の写真にしよう。

横田はすでに第1章で紹介したようにガロの創設者である。ウイニングドッグとは因縁めいたものがあり、全日本選手権予選でよくぶつかる。写真にはウイニングドッグの岩田も写っている。

その8 カスカヴェウ大願成就

明けて2001年2月、第6回全日本選手権が駒沢体育館で開催された。見どころは、ファイルフォックスの3連覇なるか、それともカスカヴェウのリベンジなるかに絞られた大会と言える。

ファイルフォックスは予選グループCを全勝で勝ち上がる。そのCグループには昨年3位のFC小白川がいた。

カスカヴェウは予選グループAを2勝1敗とし、得失点差で勝ち上がる。カスカヴェウに黒星をつけたのは、第2回全日本選手権で府中水元クラブに決勝で負けた三菱化成黒埼フットボールクラブで、サッカーチームの強豪である。その第2回全日本選手権の決勝戦を見て、カスカヴェウの前身とも言えるアズーが本格的にフットサルを目指したことを考えると因縁深いものがある。

そして、いよいよ決勝トーナメント準決勝、ファイルフォックスはボルドンを4-2で破り、カスカヴェウはBorn77を12-5で破り、決勝戦にコマを進める。こうして、両雄の再戦が実現した。

ところで、ボルドンは、スポンサーのアスパフットサルクラブから離れて独立したアスパのメンバーが主体のチームである。すでに述べたようにチーム名は2月にブラジルツアー遠征をした際に試合をしたチーム名が由来である。

Born77は、サッカーもするがフットサルに興味をもった1977年生まれの選手が集まった東海代表のチームである。のちにカスカヴェウに移籍する金山友紀、稲田祐介、三輪修也、GK古庄亨がいた。この大会の後に最初に上京、カスカヴェウに入団したのは金山で、すぐさま日本代表に選ばれるシンデレラボーイとなった。

ちなみに3位決定戦のボルドン対Born77は経験の差が出たか、7-2でボルドンが勝利、3位となった。
決勝戦は、前半は1-1で同点、しかし後半は3-1の2点差をつけて、都予選に続いてカスカヴェウが勝利、ついに大願成就となった。都予選も前半は同点で、後半2点差をつけている。これは、チームに厚みが増したことを示している。今までであれば、甲斐、相根、市原、前田のセットが最強であり、そのセットでないと戦力が落ちることもあり、彼らの負担が増えることで後半に脆さがあった。

その弱点を埋めたのはポラッコ、ドゥダ(のちにファイルフォックス,シュライカー大阪)、アドリアーノ(のちにシュライカー大阪監督)などの日系ブラジル人であった。

一方、ファイルフォックスの敗因は、マルコス山口、沖村ヒカルド(シニーニャとも呼ぶ、のちに湘南ベルマーレ)、チアゴらが助っ人になったが、昨年の比嘉、ジョナスに比べると戦力ダウンは否めなかった。それと今年の活動レベルが下がっていたことからもわかるとおり、チームの一体感が落ちていたことが敗因に挙げられる。

その背景には日系ブラジル人の助っ人問題があった。日系ブラジル人たちは、普段は一緒に練習しているわけではなく、全日本選手権が近づくと合流する。したがって、元々チームワークの問題や助っ人が来ることでメンバー入りできない日本人選手が出るなどの問題は承知のうえだったわけであるが、通年リーグがない時代はそれでも調整できる範囲であった。しかし、次第に通年リーグが当たり前のようになると、ますます全日本選手権だけの補強がチーム全体の運営にとって良いことなのか、課題が浮き彫りになってきたのである。

皮肉なことにカスカヴェウも日系ブラジル人起用の道を選んでリベンジを果たした。その後、この問題が新たなチームの合従連衡を生み、次の三国志の幕が開くのであった。

お宝写真は、悲願の優勝を叶えたカスカヴェウの集合写真である。前列左から、安田、甲斐、ドゥダ、前田、林善徹、相根、後列左からGK遠藤、ポラッコ、アドリアーノ、市原、中野歩、コーチ前川義信、GK松原の面々である。