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女王のままツアーを去ったバーティー。テニス人生で一番重要だったのは「最初の引退から復帰を決めた時」【シリーズ/ターニングポイント】
トップ選手には世界へと駆け上がる過程で転機となった試合や出来事があるものだ。このシリーズでは国内外のテニスツアーを取材して回るライターの内田暁氏が、選手自身から「ターニングポイント」を聞き出し、心に残る思いに迫る。今回は、先ごろ衝撃の引退表明をしたアシュリー・バーティーだ。
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モニターの向こうの彼女は、父のように慕うコーチのクレグ・タイザーと並んで座り、一切の曇りのない、これ以上ないまでに晴れやかな表情を浮かべていた。
ラフなTシャツに、いつものひっつめ髪。今しがた練習を終えたばかりのようなその姿は、あまりに自然体であまりにけれん味なく、引退会見だとは、にわかに信じがたいほどだった。
衝撃の引退表明から、24時間後——。世界1位のアシュリー・バーティーは、現時点でのテニスの中心地であるマイアミから遠く離れたブリスベンで、海外記者向けのリモート会見に応じていた。
世界1位での引退は、ジュスティーヌ・エナン以来の史上2人目。
実は、このランキングポイントを消すか否かは、本人の意向に委ねられる。残しておけば、1年間はランキング表に名は残る。もし近い将来、やはりツアーに戻りたいと思った時、ランキングがあれば扉は開かれたままだ。
だがバーティーは、「次のサイクル、つまりマイアミ・オープン後にランキングは消す」と明言した。説明は、誰も必要としていなかったろう。後ろ髪を引かれることのない今の笑顔が、何より端的に理由を語っていたからだ。
バーティーが、テニスのプロツアーから引退するのは、これが2度目である。
1度目は、7年半前。将来を嘱望された18歳の「無期限休養宣言」は、テニス界に衝撃を走らせた。当時のバーティーは、ダブルスで2度のグラドスラム準優勝はあったものの、シングルスでは100位圏外。重圧や燃え尽きを語るには、やや尚早に思われた。
ただ、あまりに若い頃から表層化した天賦の才が、彼女を苦しめてきたのだろう。やや個人的な話になるが、バーティーの神童性を物語るエピソードとして最も好きなのが、土居美咲が19歳の時、14歳のバーティーと練習した際の衝撃である。
「私のなかで、一番衝撃だったかもしれない。今まで色んな選手と試合も練習もしているし、若い頃に練習して、『あ、この子来るな』ってなんとなくわかる時、あるじゃないですか。そのダントツ1位が、バーティーでした。何でもできる。弱点がない。『なんだ、この子!?』……と」
土居を驚かせた1年後、バーティーはウインブルドンJr.を制し、才能を世界に知らしめる。競技テニスから身を引いたのは、そのわずか3年後。ツアーに戻ってきたのが、1年半後の2016年のことだった。
そして6年後……彼女は、2度目の引退表明をした。
その2度目の引退のリモート会見で、彼女に尋ねてみた。あなたのキャリアを振り返った時、最も重要な決断やターニングポイントは、どこでしたかと。
「キャリアにおけるターニングポイントは、たくさんあります。でもやはり一番は、最初の引退からの復帰を決めた時ですね。復帰をしようと、ほぼ最終決断をするまでの時間……あそこが一番重要でした。
最初の引退の時の私は、頭が空っぽのようだった。今は全く違う感覚。とても幸福だし、満たされています」
彼女が「最も重要なターニングポイント」に挙げた、20歳直前でのツアー復帰。幸運にもその当時、彼女にインタビューをする機会があった。その時に彼女が語った「引退していた間に学んだこと」を、以下に当時の原稿そのまま引用する。
「ゴルフやクリケットなど色んなスポーツをやったし、競技からは離れたけれど、子どもたちにテニスを教えてもいたんです。若い子たち……特に女の子にテニスを好きになってもらいたかったから、子どもたちと多くの時間を過ごし、その情熱を肌身で感じていました。でもその頃は、自分がテニスを真剣にすることはなかったですね。
休養以来、最初にまともにボールを打ったのがケイシー(デラキュア)に会った時。単に友人として会いに行ったつもりだったけれど、彼女と一緒にボールを打った時に、いかに自分がテニスを好きだったか、そしてケイシーをはじめとするツアーの友人たちに会いたいと望んでいたかを知ったんです」
彼女が、復帰の契機として言及しているケイシー・デラキュアは、バーティーのダブルスパートナーにして親友。その“始まりの人”の手による幕引きを望むかのように、バーティーは自らのソーシャルメディアで公開した引退表明動画のインタビュアーに、デラキュアを起用した。
デラキュアとの会話の中でバーティーは、「きっと多くの人は、私の決断が理解できないでしょう。でも私は、わかっている。アッシュ・バーティーという1人の人間が、これから追う新たな夢もわかっている」と言った。
その夢についても、彼女は最後の会見で明かしている。
「このスポーツに貢献したいという夢は、これから先も変わりません。若い世代……女の子、男の子たちに、コミュニティを通じてテニスを伝えること。子どもたちがテニスをやり、笑顔になるのを見るのが、楽しみで仕方ないんです。子どもの笑顔を見ると、自分がテニスを始めた時を思い出すから」
最初の引退をした時にも、彼女はテニスへの愛情は失わず、子どもたちにテニスの魅力を伝えていた。初めてローカル大会で優勝した時の無邪気な笑顔は、全豪オープンを制した時もまるで変わっていなかった。
ターニングポイントを経て復帰を選んだ第二のキャリアは、誰もが羨むような栄光に彩られている。
それでも、初めてラケットを手にした日から変わらぬ愛情と笑顔のままで、彼女は、ツアーに別れを告げた。
取材・文●内田暁
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