かつて自分が目指したあの場所を目に焼き付けて…26歳の沼尻啓介がコーチ専念を決意した理由<SMASH>
去る10月、カリフォルニア州で開催されたBNPパリバオープン(マスターズ・インディアンウェルズ)で戦う西岡良仁のベンチに、思いがけない顔があった。
首から掛けるクレデンシャルには、「Coach」の肩書が記されている。その彼に向けて西岡は、ポイントを取るたびにガッツポーズを振り上げ、大接戦で初戦を制した時には、雄叫びを上げた。
「ケイスケとは以前から、タイミングが合えば一緒に回ろうと話していて。今回、彼も行けるというので来てもらいました。いろんな試合を見たいという本人の要望もあって、今も彼、誰かの試合見てますよ」
初戦後の会見で、西岡が“コーチ”の動向を明かす。
彼が親しみを込めて「ケイスケ」と呼ぶ青年の名は、沼尻啓介。西岡と誕生日が僅か2日違いの沼尻は、小学生時代に西岡と全国小学生選手権の決勝を戦い、世界のジュニア大会を共に転戦し、国別対抗戦ではチームメイトとして戦った。
西岡の盟友であり戦友。その彼が今、コーチの道を本格的に歩もうとしていた。
「どこから話したらいいですかね……」。今に至った道を遡りながら、沼尻は、約3年半前の日について語り始めた。
「テニスから半年くらい離れた時期があったんです。精神的に、いっぱいいっぱいになってしまって。愛媛のフューチャーズを棄権して、その後、しばらく離れました。その前の山梨でのフューチャーズも予選の2回戦で棄権したし……。胃が痛すぎて、眠れない状態だったんです」
試合が近づくと胃がキリキリと痛み、朝まで眠れぬ日が続く。「勝てない時期が続いたし、なにやってんだろ、俺って。毎年毎年同じツアーを回って同じ大会に出て、前に進んでる感じがしなくて」。
身を切るほどの停滞感と自己否定。その背景には、友人たちが大学を卒業し、社会に出て活躍し始めた潮合いもあった。
「こんなことを続けていても意味がない。とりあえずラケットを置こう」
自分を見つめる意味もあり、期限を設けずコートから距離を取った。2018年春のことである。
復帰へのきっかけは、友人との何気ない会話だった。
「フェデラーとテニスやりたい?」
そんな話題になった時、「すっごく、やりたい!」と反射的に答えていた。その時に、「あ。僕、テニス嫌いじゃないんだ」と自覚する。
「では、なぜテニスが嫌になった?」——改めて自分に問いただし、心理学的アプローチも用いて一つひとつの要素を確認した時、思い至ったのは、「自分で自分を認められていない」ということだった。
「社会に役立っていないという思いが強く、自分が自分を認められないことがストレスだったんだなと。なので、何かを社会に還元することで、自分を認めたいって思ったんです」
それ以降の沼尻は、イベントの出演依頼やコーチングなど、「頼まれたことは、全て引き受けることにした」。中には、ほとんどお金にならない仕事もあった。仲間内からは、そういう依頼は受けるべきではないとの声も上がる。
それでも彼は、引き受け続けることで「自分が満たされた」と感じていた。イベントで触れ合った子どもたちの、明るい「ありがとうございます!」の声。貪欲に助言を求めてくる学生たちの、強い目の光。
それらに触れているうちに、「自分も人の役に立てるんだ。だったらテニスをもっとやれば、もっと人の役に立てるじゃん」と思えるようになる。
同時に感じたのは、テニスをする喜びだった。
「駆け引きなどのテニスが有するゲーム性も好きだし、シンプルにボールを打つ感触も好きだ」
少年の頃と変わらぬ楽しさをテニスに見出した時、試合のコートに立つことにも、迷いや不安はなくなった。
その後は、立教大学テニス部のコーチなどの指導者業と、選手業を兼任する。その両方にやりがいを覚えながらも、「いつかはどちらかを選ばなくては」と感じていた。
最終的に心を決めたのは、コロナ禍で試合の機会が減り、一方で森崎可南子や井上雅らツアー選手からも帯同依頼を受けるようになった昨年の末。「営業は得意ではない」という沼尻だが、口コミで評判が広まり、誠実な人柄と共に指導者としての評価を確立していた。
「俺と一緒にヨーロッパ回らん?」
西岡良仁からそんなLINEが届いたのは、指導者専念を決めて間もない、今年4月のことである。
実は沼尻は、選手を続けるべきか悩んでいた1~2年前、西岡に「一度、どこかツアーに連れていってもらえないか」と頼んだことがあった。
「プレーヤーを辞めるなら、自分が目指していた世界を見たい。そこを見たら、やりたくなるのかもしれないし、諦めがつくのかもしれない。いずれにしても、見た方が良いと思ったんです」
実際にはコロナ禍もあり、その願いは実現しなかった。ただその時の沼尻の想いを受け止めていた西岡は、コーチとしての帯同を提案してくれたのだという。
その後、両者のスケジュールをすり合わせ、ようやく巡ってきた機会が、10月のインディアンウェルズ。“第5のグランドスラム”と称される一大イベントを皮切りに、パリマスターズを終着点とする約1か月間の遠征だった。
かつて、心を決めるためにも見たいと切望し、西岡の戦いを介しコートサイドから見たテニス界の頂点の景色は、彼の目にどう映っただろうか——?
その問いに沼尻は、「大会の規模が大きくすごいと思った反面、移動の大変さなどは、僕らがフューチャーズでやっていたことと大きくは変わらない」ことだと即答する。
同時に痛感したのは、西岡が時折口にする、「生きるか死ぬかのスリルを感じられる勝負をしたい!」の言葉の真意。
「実際に現地で試合を見てたら、本当にその通りだと思って。ちょっとスキを見せたらやられるし、少しでも甘いボールを打ったら叩かれる。生きるか死ぬかの緊張感、一球の重みがある試合だなというのを感じました」
モニター越しでは知り得なかった、テニス会場の華やぎと、その裏の厳しい現実。トップ選手たちの打球音やスイングスピード、そして一球に懸ける執着心。
それらはかつて「自分が目指した場所」として、目に焼き付けたかった光景。その空気を指導者として肌で知った今、彼は迷いなき声で言った。
「あの場所に、コーチとして行きたい。あそこにつながるコーチングをしたい。その対象がジュニアなのか、プロになりたての選手なのかわかりませんが、間違いなく言えるのは、あそこにつながるコーチングができるコーチになりたいということです」
取材・文●内田暁
【PHOTO】テニスの楽しさを伝えるイベントに参加する西岡良仁、沼尻啓介ら
Follow @ssn_supersports