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「誰にも相談できなかった」卓球前日本代表監督・倉嶋洋介に聞いた 指導者の栄光と孤独

卓球インタビュー 「誰にも相談できなかった」卓球前日本代表監督・倉嶋洋介に聞いた 指導者の栄光と孤独

2022.05.27
この記事を書いた人 槌谷昭人1979年生まれ。テレビ/映画業界を離れ2020年からRallys編集長。
軽い小咄から深堀りインタビューまで、劇場体験のようなコンテンツを。
戦型:右シェーク裏裏 @tsuchito 前卓球男子日本代表監督、倉嶋洋介。
リオ五輪では日本男子卓球界初の五輪銀メダルをもたらし、東京五輪でも団体銅メダルを獲得した。

2021年10月に木下グループ卓球部総監督に就任すると、一年目のシーズンで木下マイスター東京を優勝に導くなど、強化、そしてチームの勝利に確かな実績を持つ指導者である。

9年務めた代表監督から離れ、民間チーム総監督として、何を思うのか。話を聞いた。

このページの目次

  • [8 代表監督の孤独]()

「家に帰れるようになりました」

——木下グループ卓球部総監督に就任して半年強、いまはどんな仕事ですか? 倉嶋洋介総監督:男女トップチームから木下アカデミーまで、この川崎の練習場でほぼ毎日見ていますね。 ——生活は変わりましたか? 倉嶋洋介総監督:変わりましたね、まず家に帰れるようになりました(笑)。僕が最初代表監督になった頃は、150日以上近く合宿をやっていたんですよね。加えて、国際大会が年間12〜15大会ぐらい。コーチの期間も含めると12年くらいその生活で。20年くらいやった感覚ですけどね(笑)。 でも逆に言うと、変わったのは、生活リズムと自分の年齢くらいで。

——あ、そうなんですか。 倉嶋洋介総監督:ええ。日の丸は背負わなくなりましたが、でも日本の卓球の将来のために、この木下グループから強い選手を育てていかないといけない、という気持ちでやっています。当然、会社もそれを求めていると思うので。 その責任感とプレッシャーを持っていないと“ナショナルチームで監督終わって、政治家の天下りみたいに木下グループに来た”みたいに思われたくないですから。自分の力を最大限に発揮してやらないと、と思っています。

倉嶋洋介(木下グループ卓球部総監督)
写真:倉嶋洋介(木下グループ卓球部総監督)/撮影:槌谷昭人
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倉嶋“監督術”の秘密

——倉嶋さんの手腕で言えば、選手を育てる指導力と共に、伸びる選手を見つける“目”も優れている気がします。 “ヨルジッチは来る”って、すごく早い時期からコメントしてましたよね。

写真:ダルコ・ヨルジッチ(スロベニア)/提供:ittfworld
写真:ダルコ・ヨルジッチ(スロベニア)/提供:ittfworld倉嶋洋介総監督:よく覚えてますね(笑)。 ヨルジッチは、これだけのバックハンドの感覚を持っていて、きちんとした指導者についていれば強くなるなと思ってました。才能があっても育たない選手も多いんですよ、ヨーロッパの場合。環境が悪かったり、お金がなくて試合に出られたかったりということがあるので。

ヨルジッチにはずっと女性のコーチがついていて、合っているんでしょうね。ただ、持っているものからすれば、もっと強くなっても良い気もしますけどね、オフチャロフ並に。

——かつて、2015年世界選手権蘇州大会に、大島祐哉選手を代表に抜擢した理由は何だったんですか。 倉嶋洋介総監督:彼が日学連の遠征で、確かハンガリーオープンに出場していたときに、僕はナショナルチームとして会場にいました。 たまたま僕が休憩中、観覧席にいたときに大島が試合をやっていたんです。これだけフォアハンドが振れて足がある選手って、日本になかなかいないな、面白いなと思って。

それで次の合宿に呼んで“そのフォアハンドとフットワークは世界レベルだ、あとは何をすれば世界で勝てる”っていう話をして。今までの武器と、弱い部分を組み合わせてバランスを良くしていく練習を続けて、2年くらいで芽が出てきましたね。ダブルスで世界を獲り、シングルスで世界ランク17位まで行きましたから。

写真:大島祐哉(木下マイスター東京)/提供:T.LEAGUE/アフロ
写真:大島祐哉木下マイスター東京)/提供:T.LEAGUE/アフロ## 世界で勝てるプレースタイルかどうか

——世界で通用するものがあるかどうか、というのが一つの基準ですか。 倉嶋洋介総監督:それはあります。世界で勝てるプレースタイルかどうかということです。 いまはみんな選手は個性を持っているので、その個性をどういうふうに育てていけばいいか、どうバランス良くすれば世界で勝てるか、というふうに考えます。元々のプレースタイルに武器や個性がないと、世界に勝つのは難しい。

あとは、試合勘も大切ですね。頭が良いというより、感じる力が強いということ。

Rallys×パンダーニ コラボユニフォーム登場 オンライン限定販売ハイテンション裏ソフトラバー REDMONKEY ぼくらが欲しいラバーを作りました。Rallys編集部TAKUMANA もっと気持ちよく練習しよう。 NEW Original Tee ¥2,990## 感じて、さらに変えられる選手がトップ

——感じる力、ですか。 倉嶋洋介総監督:水谷(隼)は、試合をやりながら、感じる力が強い。これをやってては勝てないとか、これをやらないといけないというのを自分で感じて、さらにそれを変えられる選手がトップなんですよね。勇気いるんですよ。 感じるところまではわりとできても、試合中に変えられる選手はなかなかいないんです。

水谷隼
写真:水谷隼(木下グループ)/提供:ITTF## 「だったら、今の卓球じゃダメだ」

——今季の木下マイスター東京は、及川瑞基選手、大島祐哉選手、吉田雅己選手らの中堅選手がチームの中心ですが、どういった強化をしていますか? 及川瑞基
写真:昨季Tリーグシングルス19勝5敗でレギュラーシーズン最優秀選手賞を獲得した及川瑞基(木下マイスター東京)/撮影:ラリーズ編集部倉嶋洋介総監督:それぞれですね。例えば及川で言えば、僕が木下に来たとき、彼に目標を聞きました。すると五輪だと言った。だったら今の卓球じゃダメだ、そう言いました。 もちろん彼なら、日本でそこそこ勝つ、たまに全日本チャンピオンになる、それはできると思う。でも、彼は僕にはっきり“五輪を目指したい”と言った。だったら、ヨーロッパでもかつて勝っていたけれど、今はアジアが強いんだから、アジアに勝つスタイルを目指さないと勝てない。

ただ、一気に変えると卓球自体がおかしくなってしまう。
あくまで及川の持っている粘り強さなどの良さは生かしながら、少しずつ意識を変えていこうとしています。

——具体的な技術で言うと。 倉嶋洋介総監督:ひとつ挙げるなら、台との距離を近くすることです。離れるのは癖ですね。 バックハンドのカウンターや、もっと早いタイミングでのブロック

フォアハンドも良いフォームで振れてなくて、フォロースルーでコントロールしていた。僕も原因がわからなくて、ずっと突き詰めていったら、理由の一つとして、ラケットが重かったんですよね。振り切れてなかったんです、筋力はあるのに。

パリ五輪選考会(2022年3月開催、及川は準優勝)前に何十グラムか軽くして、自分が思うように振り切れる重さにしたら、少し良い卓球になってきましたね。

写真:及川瑞基(木下グループ)/撮影:ラリーズ編集部
写真:及川瑞基(木下グループ)/撮影:ラリーズ編集部——確かに、会場で及川選手の試合を見ていて、以前より前でプレーしているなあと思いました。 倉嶋洋介総監督:まだ僕にとっては足りなくて。もっと突き詰めて前の技術を磨いていく必要があります。あの小さな身体で世界で勝つためには、下がったらチャンスがない。 僕が木下に来たとき、うちのメンバーで及川だけが世界選手権に出たことがなかったんです。

——全日本チャンピオンになって、日本代表として参加するはずだった国際大会が、コロナですべて中止になりましたからね…。 でも、その後もずっと挫けずに力をつけ、結果を出し続けている及川選手は、やっぱり心が強い選手だなあと思って見ています。

倉嶋洋介総監督:だからこそ、一発勝負の選考会では絶対に代表にさせないとダメだ、僕もあの選考会はそういう気持ちでした。 写真:及川瑞基(木下グループ)/提供:WTT
写真:WTTフィーダーウェストチェスターを戦う及川瑞基(木下グループ)/提供:WTT

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