アリーナDJの登場とNBAの”異端児”アレン・アイバーソン。NBAと音楽が共鳴した2000年代【-音楽から見るNBA vol.2-】

90年代、マイケル・ジャクソンとマイケル・ジョーダンという2人のアイコンによって、バスケと音楽の文化は完全に融合し、互いに影響を与え合う時代が生まれた。
ジャクソンのファンはジョーダンの試合を観るために会場へ足を運び、ジョーダンのファンはジャクソンのCDを手に取る——まさに、2人のマイケルがアメリカの若者文化を丸ごと塗り替えた瞬間である。当時、ジョーダンはNBAで3連覇を2度達成する黄金期を迎え、その人気と影響力は爆発的だった。

では、ジョーダンが第一線を退いた2000年代のNBAでは、音楽とバスケットボールの関係はどのように進化していったのか。
本稿では、ジョーダン後のNBAでの音楽カルチャーの変化と、アイバーソンをはじめとする新世代選手が作り出した流行の最前線を詳しく紹介する。

前回記事:
NBAにビートが鳴るまで。2人のマイケルが重ねた90年代の熱【-音楽から見るNBA vol.1-】

アリーナに音楽が“当たり前”になっていく時代

ジョーダンとジャクソンによる2人のマイケルがアメリカのカルチャーを新しく築き上げた80〜90年代。ヒップホップとNBAの関係は徐々に深まっていった。1990年代前半には、NBAアリーナで試合中にヒップホップやブラックミュージックがBGMとして流れることが珍しくなくなり、入場曲やDJが登場するようになった背景には、都市文化とバスケットボール文化が同時に“黒人コミュニティの表現”として伸びていた事情がある。NBAファンの増加と同時に、ヒップホップがポップカルチャーとして認知され始めており、リーグとしても音楽との共存が自然な流れになっていった。

アリーナにDJが登場した背景

少しだけ、2人のマイケルの前の時代の話をしたい。1976年に「ABA(American Basketball Association)」を吸収合併したNBAは、ABAがやっていたエンタメを取り入れながらも「ABAのように観客を熱狂させるにはどうすれば良いか」と悩んでいた。ABAのやっていたことをそのままやってしまっても良いのか。オリジナリティをどう出していくか。何を取り入れ何を捨てるか、に悩んでいたのである。ただ、間違いなく言えるのは「こんなにも静かな試合会場をとにかく盛り上げたい」という思いを持っていたことである。来場者は白人の中流階級から上流階級が中心で、試合中の演出をしても一緒に盛り上がってくれる人は限定的。テレビ中継の演出のズレなどもあり、とても会場の「一体感」を創れる状態ではなかった。

リーグとして答えを出せていない中で、チームは様々なチャレンジをしていた。その中でもターニングポイントになったのは、ニューヨーク・ニックスとブルックリン・ブレッツ(現:ブルックリン・ネッツ)が、地元ニューヨークのクラブDJを、アリーナに試験的に登場させたことである。
ニューヨークといえば、アメリカでも最高峰の音楽の街。ニューヨークにある世界最高峰のジャズクラブ「Blue Note」は、音楽が好きな人間であれば一度は行ってみたい聖地である。それほどまでに音楽に熱狂的な街の有名なクラブDJが、例えばニックスの本拠地であるマディソン・スクエア・ガーデンなどの大きな箱で観客を魅せていく。試合前やタイムアウト時にヒップホップやR&Bをかけるというダイナミックな挑戦をするわけだが、この取り組みに対して、観客の反応が非常によかった。「ここで乗れば良いのか」という判断もできるようになり、隣の人を気にせずに応援したり、声を出すことができるようになった。

このことをキッカケに「アリーナにDJを置く」というアイデアがリーグ全体に広がっていく。この時に、ニューヨーク以外の地域は、地元のラジオDJや小さな街の音楽屋の趣味でDJやっている方などもアサインして音楽演出をテストしていたが、いずれにしても「DJを置く」ことによる一体感の創出や会場の持ち上がりを作れたことがリーグにとってはまさしく突破こうとなり、定着へとつながっていく。そもそもストリートのピックアップゲームやブロックパーティで音楽とバスケが自然に共存していたのだから、人種や肌の色に関係なく人の心に刺さっていったのは必然と言えるかもしれない。DJという存在、そして音楽文化は、アリーナに人を呼び込むための橋渡し的存在として、次第に存在感を増していく。


アトランタ・ホークスのオフィシャルDJであり、今年のNBA All-Star Weekendでアジア人として初めてオフィシャルDJに就任することが決定している高井智華氏

アレン・アイバーソンという異端児の登場

ジョーダンが最初の引退から復帰し、結果的に2回目の3連覇を達成することになる初年度の1996年。この年のNBAドラフトは過去最高峰の”豊作”と言われるほどスーパースターが誕生した年のドラフトである。後にジョーダンとも比較されたコービー・ブライアントも、この年のドラフトでNBA入りしたほどだ。そんな豊作の年に、ドラフト1位で指名されたのが「アレン・アイバーソン」という男である。

アイバーソンは登録では183cmとなっているが、実際は178cm程度ではないかと言われるほど、平均身長2mのNBAにおいては超小柄な選手だった。それにも関わらず、持ち前のスピードとハンドリング、また多くはなかったがダンクを披露するシーンもあるなど、まさに”小さな巨人”として一気に人気になった存在だ。アイバーソンとマイケル・ジョーダンの1on1のシーンがあった際、アイバーソンがジョーダンを置き去りにしてジャンプシュートを決めたシーンは、未だに語り継がれるシーンである。

そんなアイバーソンは、プレーだけではなくファッションでも注目を集めた。ユニフォームは上下ともダボダボのサイズを選び、ヘッドバンドをし、今では多くの選手が着用するアームスリーブを着用するなど、コート上でもファッションリーダーとして存在感を放った。また、アイバーソン自身もヒップホップ的な自己表現(髪形(コーンロウ)、ファッション(ダボダボ)、言葉遣い)をしていたために、アイバーソンにファンがつけばつくほど、彼のスタイルは肯定されていった。当時NBA内外で、アイバーソンの存在がヒップホップカルチャーの可視化=“審美性の中心化”として語られており、これまでのNBAファッションやプレイスタイルの枠を打ち破ったと言われるほどだ。

ドレスコード以前のNBAとファッション革命

アイバーソン以前のNBAは、選手の服装や装飾に関する制限が緩い時代だったため、選手自身の個性がそのままファッションとして“公の場”に表現されていた。90年代〜2000年代初頭には、ヒップホップカルチャーを背景にしたファッションが選手の自己表現として浸透しつつあり(例:オーバーサイズの服、タトゥー、髪型など)、これらは単なる流行ではなくコミュニティ文化の反映であった。

そんな中、2005年にNBAは「ドレスコード」を制定し、ヒップホップ系ストリートファッションと距離を取る動きを見せた。これは当時リーグ内での“プロフェッショナリズム”と“文化表現”の間の摩擦を可視化した出来事で、ファッション面での革命の前夜とも言える。
アイバーソンが登場する前から、NBAにヒップホップのカルチャーはあった。しかし、「ヒップホップとNBAの文化的関係が成熟する局面」で、この土壌を大きくステップアップさせたのは間違いなくアイバーソンの存在があるからこそであり、彼はそれを一気に可視化した異端児として、後世にも語り継がれている。


アイバーソンが着用した「3番」は、彼が長く所属したフィラデルフィア・76ersで永久欠番になっている。今ではもう見られないが、膝下まである長さのバスパンを履いて流行らせたのもアイバーソンである。

プレイヤーが音楽文化に関わる瞬間

アイバーソンの存在をキッカケに、NBA選手本人が音楽へ関わりたいと、自ら業界に突っ込んでいく選手が増えていった。そもそも、マイケル・ジャクソンとマイケル・ジョーダンの時にコラボができたこともあり、音楽が好きな選手にとっては「自分も関わりたい!」と思うのは自然であろう。まさにこの流れは、アイバーソンが登場した90年代後半から2000年代初頭にかけて、ある種の革命的に動き出したのである。NBA選手が音楽文化と積極的に関わる動きをしていったのだ。

選手自身が音楽を表現する時代へ

最も象徴的なのはシャキール・オニールの活動である。1993年にリリースされたデビューアルバム『Shaq Diesel』は、ビルボードのトップ40入りを果たすなど商業的にも成功し、ラップシーンでも一定の評価を受けた。また、1994年にはNBA選手が参加したコンピレーションアルバム『B‑Ball’s Best Kept Secret』がリリースされ、選手とヒップホップが公式・非公式に交わる“最初の文脈”として注目された。さらに1994年の『Shaq Fu: Da Return』や1996年の『You Can’t Stop the Reign』といった作品も発表し、ヒップホップ界のプロデューサーやアーティストと共作するなど、選手は単なる競技者としてだけでなく、音楽を通じた自己表現や文化的アイコンとしての存在感をアリーナ外でも示すようになった。

この時代のコラボレーションは、あくまで90年代末〜2000年代初頭の範囲で、NBA選手が音楽を介して自らの個性やルーツをファンに提示する“萌芽期”といえる。次章で登場するアイバーソン時代になると、こうした選手×音楽のクロスオーバーはさらに日常的に、アリーナと文化の両方で可視化されることになる。

ヒップホップは“聴くだけ”から“共創”へ

前回の記事にも記載した通り、そもそもヒップホップという音楽のルーツは黒人のブロックパーティーから来ているものであり、白人中流階級から上流階級が見るスポーツとして確立していたNBAにとって、まさかここまでヒップホップがNBAに浸透するとは思っても見なかっただろう。それでも、アイバーソンやシャックの影響で、その勢いは止まることを知らなかった。具体的に、2000年代前半のNBAシーンでは、選手が個別に音楽活動するだけでなく、リーグ自体がヒップホップカルチャーを公式の演出として受け入れる段階に入っていくことになる。

特に1999〜2000シーズン頃から、NBAは「ヒップホップDJ」を試合中のアリーナ演出担当として雇用し始める。これは観客体験としての「音楽がただ流れるだけ」ではなく、ヒップホップ文化を競技の空間演出に組み込む動きである。ポップスやR&Bに留まらず、ヒップホップがアリーナに流れれば、よりアリーナ内に一体感が生まれ観客の盛り上がりを創造できると考えた結果だ。この動きは、ヒップホップが単なるBGMや選手の私的嗜好ではなく、NBAという公式の試合体験の中で機能する文化装置として扱われたことを意味していると言って過言ではないだろう。

加えて、当時は直接的にNBA選手が音楽制作に関与する例だけでなく、NBAとヒップホップ/ストリートカルチャーを結ぶ象徴的な作品・媒体も存在した。例えば2002年公開の映画『Like Mike』は、NBAとヒップホップを組み合わせた映画プロジェクトとして当時の若者の関心を引いた。NBA側も協力して制作され、登場する選手が実際にNBAのスターとして出演しており、バスケとヒップホップがエンタメとして結びついた文化的瞬間と評価されている。こうしたメディアへの露出は、単なる“音楽活動”の延長ではなく、NBAというブランドとヒップホップカルチャーが公式に接点を持つようになった時期の象徴とも言える。

シャキール・オニールのデビューアルバム『Shaq Diesel』のプレイリスト

リーグと音楽の共生が形作った2000年代

NBA文化としてのヒップホップの定着

2000年代を通じて、NBAとヒップホップの関係は“単なるイメージ共有”を超え、リーグ全体の文化として定着した。アリーナでのBGMや選手の服装、観客の応援スタイルなど、あらゆる場面でヒップホップはNBA文化の一部となった。AP通信などの報道でも、アリーナDJがヘイター(観客)を盛り上げるBGMとしてドレイクやジージーなどのヒップホップ曲を使用していることが確認されており、バスケの試合はヒップホップの“サウンドトラック”と一体化していると評価されている。

さらに、NBAとヒップホップは長年にわたって“不可分の関係”として語られるようになっており、単に服や言葉遣いに留まらず、選手やファンが日常的にヒップホップを通じてバスケットボールを体験する文化が形成されている。これは、90年代〜00年代を通じて徐々に進行し、2000年代には文化としてすでに“当たり前”の存在になっていたことを示す証言とも言える。

世代交代と“当たり前の共存”としてのカルチャー

NBAがヒップホップと共存する文化を確立した要因には、次世代選手の出現やメディア展開もある。

一例として、2002年公開の映画『Like Mike』は、NBAとヒップホップを融合させたポップカルチャー作品として若い世代のファンを引き込み、NBAが音楽やエンタメ文化と共に若年層にリーチする入り口となったとされている。映画は当時のラッパーであるBow Wowを起用し、NBAの選手たちをフィーチャーすることで、バスケットボールとヒップホップが若年文化として社会の中心にあることを象徴した成功例と言えるだろう。

また、NBAへのヒップホップ浸透は単なる試合のBGMに留まらず、選手のファッションやパフォーマンスを通じても進行してきた。20年以降の動きを扱った報道でも、アイバーソンを契機に始まったヒップホップ/ストリート文化が、NBAのドレスコード問題を経て、ファッションの表現として昇華し、選手が文化的発信者になるまで成熟したことが指摘されている。これは単なる流行ではなく、NBAというリーグ文化の“基盤”にヒップホップが組み込まれていることを示している。

2000年代を境に、NBAではヒップホップが音楽として流れるだけではなく、日常的な文化として、リーグ・チームはもちろん、選手・ファン・メディアに根付いていったという、まさに静かにバスケットボールを見る時代から、わかりやすく時代が変わっていったのである。では、ヒップホップが定着したNBAで、2010年代や現代ではどのような成長が見られているのか。次章では、2000年代と比較した現代NBAの音楽カルチャーについて紐解いていきたい。

前回記事:
NBAにビートが鳴るまで。2人のマイケルが重ねた90年代の熱【-音楽から見るNBA vol.1-】

【参考】
https://www.nbcsports.com/nba/news/for-50-years-the-nba-and-hip-hop-have-been-intertwined-growing-together
https://www.forbes.com/sites/imeekpo/2024/05/28/shaq-diesel-the-nba-stars-iconic-rap-collaborations-with-michael-jackson-jay-z-biggie-smalls-and-more/
https://medium.com/morehouse-journalism-capstone-2023-2024/the-relationship-between-hip-hop-and-the-nba-a-unexpected-evolution-95d963a08137

How Hip-Hop and Basketball Evolved Together in New York City


https://www.forbes.com/sites/forbestheculture/2020/10/07/the-crossover-how-hip-hop-culture-was-set-free-in-the-nba/
https://www.gq.com/story/like-mike-20th-anniversary-bow-wow
https://www.foxsports.com/articles/nba/the-nba-has-been-playing-to-a-hiphop-beat-for-nearly-50-years