高校サッカーの名将・黒田氏がJリーグへ。町田はどう変わる?監督の軌跡を解説
写真:黒田剛/アフロスポーツ
サッカー・J2の町田ゼルビアは10月24日、来季の新監督に黒田剛氏の就任を発表した。青森山田高校の指揮官として長年にわたり高校サッカー界に尽力し、同校を全国でも指折りの強豪校に育て上げた黒田監督の“プロ転身”は、新たなチャレンジとしてJリーグの舞台でどのような革命をもたらすのか。柴崎岳(レガネス)、松木玖生(FC東京)など、数々のプロ選手を輩出し、青森山田という“常勝軍団”を作り上げた黒田監督の高校サッカー界での功績を振り返りながら、2023年シーズンへの挑戦についても展望していきたい。(文・井本佳孝)
25歳で青森山田の監督就任、秘蔵っ子の柴崎・松木を育成
今でこそ「青森山田=エリート軍団」というイメージがあるが、その道のりは決して順風満帆ではなかった。黒田監督は社会人経験など経て1994年に同校のコーチに就任すると、翌1995年に25歳で監督を務める。しかし、同年には高校サッカー選手権大会に導いたものの1回戦で敗退し、翌1996年度には地区大会で敗れ去った。1997年からは昨年度の第100回大会まで25年連続出場を続けるなど、徐々に自身の経験を積むとともに、全国的なチームへと成長を遂げることになる。
黒田監督が青森山田を率いた当初である2000年代前後の高校サッカー界において、全国的な強さを誇っていたのが名将・小嶺忠敏監督が率いた国見(長崎)をはじめ、数々のプロ選手を輩出していく東福岡(福岡)や市立船橋(千葉)といった高校であった。そんな中で、2000年度に初めて選手権のベスト4まで勝ち進むと、2005年度に夏のインターハイで優勝を成し遂げ、全国大会に出ることが目標のチームから、全国大会に出て勝つチームへと進化を遂げていく。
そして迎えたのが2009年度の第88回高校サッカー選手権。このチームの主力を担ったのがのちに鹿島アントラーズからスペインにわたり、2018年のロシア・ワールドカップにボランチの一角で出場する柴崎だ。長年高校サッカーを率いた黒田監督をして「サッカースキルで彼を超える選手は見たことない」と言わしめた“天才司令塔”が中盤に君臨したチームは優勝候補筆頭と呼ばれていたが、初出場の山梨学院大付(山梨)に決勝で0-1で敗れ、悲願の優勝を逃した。
松木を擁し名を刻んだ第100回選手権
(Photo by alphaspirit)
その後、2011年度から設立された「高円宮JFA U-18 プレミアリーグ」に参戦し、Jリーグのクラブチームや高校の強豪校としのぎを削り、チームのさらなる強化を図っていく。そして2016年度の同大会を制すると、第95回の選手権では決勝で前橋育英(群馬)を5-0で圧倒して選手権制覇を達成。1995年の監督就任から22年目で掴んだ栄冠であった。黒田監督が長年の積み重ねを経て奪取したこのタイトルをきっかけに、青森山田の常勝軍団としてのイメージは確かなものとなる。
2018年度にも決勝で流通経済大柏(千葉)を下して優勝を飾った黒田監督のチームにおいて、ハイライトとなったのが2019年度からの3年間であった。この年に1年生として高等部に加入したのが今季ルーキーながらJ1・FC東京の主力を担った松木である。越境入学で青森山田の中等部に加入し、“黒田イズム”を植え付けられた松木は1年生ながら主力を担い、選手権で準優勝を経験。翌2020年度には2年生で背番号10を背負って再び選手権決勝に挑んだが、山梨学院相手にPKでまたしても敗戦。しかし、この悔しい経験が翌年の快挙に結びつくこととなる。
2021年度の高校サッカーシーズンで、黒田監督に率いられたチームはインターハイ、プレミアリーグを制し三冠をかけてメモリアルとなった第100回の選手権に挑んだ。松木をはじめ、高校屈指のボランチであった宇野禅斗(現町田ゼルビア)、サイドアタッカーの藤森颯太(現明治大学)などを擁したチームは過去2年の悔しい経験を糧に、攻守にわたる完成度の高いプレッシングサッカーで順調に決勝まで勝ち上がる。そして迎えた決勝では大津(熊本)をシュート0に抑え込む圧巻の試合運びを披露し4-0で圧勝。3年ぶり3回目の優勝を果たすとともに、三冠を成し遂げたチームは、高校サッカー史上に残るクオリティを見せ、高校サッカー界にまた一つの伝説と歴史を刻むこととなった。
(次のページ「町田を“黒田カラー”に染められるのか」へ続く)
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