ダサくてもいい。完璧を求めたエースが諦めたゴール|筏井りさ/アジア女王の残影

筏井りさは、日本代表のエースだ。
ただし、完全無欠ではない。

アジアカップで見せた姿は堂々として力強く、一方で、見せなかった弱さもあった。

2018年、30歳でフットサルに転向し、2年で日本代表に選ばれてから5年、コロナ禍を経てようやく訪れた初の国際舞台。内心、不安や緊張もあったという。

初戦のインドネシア戦と、ワールドカップ出場を決める準決勝のイラン戦で、それぞれ先制点。決勝でも、仲間が負傷した緊急事態に際してフル稼働。PKこそ蹴らなかったものの、その存在は大きく、彼女の背中は、いつにも増して頼もしく映っていた。

だが、見る者の想像以上に、筏井は心を強く保とうと必死だった。

大会中のプレーを見て、いったい誰が「やばいと焦っていた」と、想像できるだろうか。完璧に見えたエースの、隠すことない心の声。言い過ぎればそれは、弱さになる。言わなければそれは、強がりにもなる。今、知ってほしい、彼女の本当の姿とは。

これは、最初で最後のW杯に挑む筏井の、内なる戦いのエピソード──。

取材・文=本田好伸

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「私、まだフットサル選手じゃないわ」

アジアカップにおける筏井は「パーフェクトではなかった」という。ただ、周囲の期待を背負った彼女は、それにふさわしいパフォーマンスを示したように思う。

そもそも、最初のインパクトは大きかった。

ワールドカップの出場権獲得と、アジアカップ初制覇。大きな命題を託された大会の初戦、インドネシアから挙げた先制点は、左サイドから左足でニア上に突き上げるゴラッソ。日本を勇気づけるのには十分すぎる一撃だった。

「サッカーの時から、スピードを落とさずにトラップして蹴れたら体重が乗ってパワーが出ることはやっていました。だから技術的にはもっているんですけど、普段からやるような私の形じゃないし、フットサルでは決めたことがないようなゴールでした。でも、そういう意味では、やってきたことが出たのかなとも思います」

そう振り返るが、当時は、心中穏やかではなかった。

「緊張?していましたよ。もちろん『ここは通過点だ』という気持ちで、あまりメンタルを上げすぎないようにはしていました。でも、失点して悪い流れにしないかなとか、試合を壊しちゃダメだというのは、常にありました。代表の戦術を全部整理できているわけではなく、体に染み付いていない感覚もあるので……焦る場面はありました(苦笑)」

そして、こうも言う。

「代表だと、エグ(江口未珂)に確認しながら『こうだよね?』って感じで。『私、まだフットサル選手じゃないわ。ダメだね』って聞いてもらいながら、自分自身にも言い聞かせて、また映像を見て勉強していました」

筏井の、ある意味で“カッコ良くない”姿──。

「いや、自分ではカッコ良く見せているつもりはないんです。『(ゴールを決めても)喜ばないよね』とか言われるんですけど、試合に勝ってないから喜べないだけです。周りからはクールに見られるらしいんですけど、けっこう抜けているし、忘れ物も多い。そういう部分は、一緒にプレーしている仲間にはとっくにバレているんですけどね」

そんな“抜けている姿”を見せることもなく、彼女は再び、日本を救う。

準決勝のイラン戦だ。勝てばW杯出場が決まる重要な試合。逆に、負ければ3位決定戦に回ることになる。相手は、前回大会王者。筏井がまた、先制点を決めた。

右サイドの奥でシュートした江口が、こぼれを拾ってゴール前に預けると、筏井はトラップして冷静に右足を振り抜いた。重圧のかかる瞬間だということは、容易に想像できる。

「ほぼエグのおかげですけどね」

謙遜しながらそう言って、さらに続ける。

「あれは運ですし、日頃の行いがいいんだと思う(笑)。試合前はダサい時期があって、でも、チャレンジすると決めて、いろんな人にお世話になってきて、それもこれも全部含めて、この試合は絶対に勝つって思っていました。自分が活躍するとか、カッコ良いとか、自分が楽しいとか、みんなで楽しむとか、そういうのじゃなくて、あの試合は日本フットサルのためにも勝利が必要で、W杯に行かなきゃ始まらないんだって、自分に言い聞かせて。だから絶対に自分の仕事をしよう、と。他の人が決めてくれたら、それはそれでいい。けど、試合の入りで失点しない、自分のミスで失点しない、一番得点の可能性がある選手を選ぶ、そのために自分をいつ見せるのか。勝つために、全部やろうと思っていました」

ゴール直後には、歓喜の表情があった。

両手を広げ、味方と抱き合い、ピッチで吠え、ベンチメンバーとハイタッチをかわし、カメラに向かって親指を突き立てた。笑顔なのに、どこか厳しい表情を感じさせるのは、「試合はまだ終わっていない」からだろう。やはり、彼女らしい姿だった。

「チャンスがなくなるかもしれない」

タイとの決勝は、感情が高速で浮き沈みするような試合だった。

1点リードで迎えた9分、筏井は相手選手のシュートに足を出したものの、スライディングが間に合わなかった。失点しないことを強く意識したなかで、そこに絡んでしまった。

「こうやればいいって感じが出てしまう、自分の甘さでした。日頃からチームでも求められていることなので、取り組んでなかったわけではありません。ただ、シュートスピードが速いとか、ワンランク上がった相手の時に、よりそういう舞台なんだと感じました。すごいメンタル状態になりましたし、チームに迷惑をかけたくないなって思いました」

その後、筏井の出番は減るどころか、増えていく。準決勝で江川涼が負傷した影響もあり、同じくピヴォの岩崎裕加と2人でフル稼働するセット回し。筏井には、戸惑いがあった。

「今振り返れば、あの状況でも使い続けてもらえたことで、やるしかないと思えました。ありがたかったですね。失点に絡んだところも、味方との不規則なセットで噛み合わないところもそうですし、結果的に、自分の課題を持ち帰ることができましたから」

ただし、不安が心の中から完全に消えたわけではない。

「失点に絡んだので、チャンスがなくなるかもしれないとはずっと思っていました。組んだことがないセットもあったし、しんどさもあった。このセットだと誰がいるからどうやろうとか、こうやろうとか、あれもこれもと考えてやっていて、だからあの決勝は、本当に冷静になることができなくて。自分で取り返さなきゃとも思ったんですけど、でも、取り返せそうにないという感覚もあって。やばいなぁ……って(苦笑)」

そんな心境をよそに、出番だけは待ったなしでやってくる。むしろ、普段よりも多い。そして、2-2で迎えた延長第1ピリオド、43分にはキックインからGKを含む3人の股下を通り抜けて勝ち越し点を奪われてしまう。壁として先頭に立っていたのが筏井だった。

「私が通しちゃったら、後ろは見えないので。あれは私のせい」

筏井はピッチに立ち続けながらもがいていた。2-2の同点で迎えた第2ピリオドに、勝ち越しゴールを狙ったミドルはネットを揺らせず、得点という結果を示せなかった。

それでも、2-3のビハインドで迎えた44分、筏井はセットプレーからGKの前に走り込むフリーランニングで相手を惑わし、窮地を救う宮原ゆかりの同点弾を呼び込んだ。

迎えたPK戦。江口、網城安奈、宮原、岩崎と続いた日本のキッカーの中で、筏井は登場しなかった。タイの5人目のシュートをGK井上ねねが防いで優勝が決まると、選手たちはみな守護神の元になだれ込み、歓喜の輪をつくった。だが、そこに筏井の姿はなかった。

「『マジで良かった……』って安心していたので(苦笑)。2失点に絡んでいるし、みんなありがとう、ああ、良かったって。ただただ安心したという、そんな感じでした」

それこそ、一番手で登場してもおかしくない場面。PKを蹴るつもりはなかったのか。

「あの日は“もってない”と思ったから、みんなに蹴ってもらおうと思って。出しゃばるのはやめよう、みんなに任せようって」

こうして、緊張から解放された筏井は、少しずつ優勝を実感する。

「自信がないところからスタートして、徐々に試合を重ねて、予選でのタイ戦では良くなかったから修正して、修正して、それでイラン戦では点を取れたから、トータルでは自信になりました。ここを乗り越えられたのは良かったな、と。(2025年4月の)タイ遠征で課題にしてきたことが少しずつできて、めちゃくちゃ自信になりました」

37歳、サッカーで培ったキャリアと技術をもつベテラン選手でありながら、今もなお「自信になった」と言う彼女は、どこまで向上心の塊なのだろうか。

ただ、その境地にいたるには、もう少し紆余曲折があった。

「自分の可能性を信じるのは、自分次第」

筏井は自分を「ダサい」と卑下する。どうしてダサいのか。普段、ピッチ上でそんな素振りを微塵も感じさせない彼女は、劣等感をもちながらフットサルと向き合ってきた。

2020年10月、筏井が32歳で初めて日本代表に選ばれた際に出場したトレーニングマッチでは、1stでも2ndでも3rdでもなく、4番目のセットでピッチに立っていた。

当時、木暮賢一郎前監督から言われた「強い相手から決めていない」という言葉が、グサリと突き刺さった。その後、さいたまサイコロからバルドラール浦安ラス・ボニータスに移籍し、明確に上を目指していたものの、チームの流動的なフットサルのなかで停滞する自分の動きに愕然とし、決意を新たにするきっかけとなっていった。

「浦安に来て、みんなが練習の意図を理解しているなかで、言われていることが全然わかってなかったんだなと痛感しました。スピードやボール扱いといったスキルに関しては自信がありますし、絶対に負けないと思っています。でも、戦術理解というか、私がなんとなくやっちゃっていた時に、フリーズすることがある。今では、周りはそういう自分を知っているから『またやってるよ』って流してくれるんですけど、すごく虚しくて。『やっぱ、私バカじゃん』と思う時があって。本当にダサいし、恥ずかしいですよね」

当時から、彼女の根底にあったのは「完璧に近づきたい」という理想だった。ただ、それができない自分に気がついてショックを受け、必死にあがき続けた。

「これで終わったら本当にダサいなと思って、そこからちゃんと練習したというか。筋トレも増やしたし、浦安テルセーロ(U-18の男子チーム)の練習に行って、(当時の監督の)イバさん(茨木司朗)が育成年代の選手に細かく教えていることを自分も学んでいました。戦術をネットで調べて『そういうことか!』と初めて理解することもたくさんありました」

そんな日々を経て、タイ遠征で転機が訪れる。

4人のピヴォが選ばれるなか、出番が少ないことで焦りもあったという。そんな時、日本女子代表の大先輩でもある藤田安澄コーチに相談すると、目の覚めるような言葉を告げられる。「ベテランは、仕事ができる時に仕事をすればいい」と。

「たしかに、今から全部をやろうとしても無理だと思って。『試合に出て、大事な時に活躍してくれればいいよ』というようなことを言ってくれました。それに『中1日のアジアカップで、毎試合フルパワーでやっていてもパフォーマンスを出しづらいから、そういうメリハリも考えるようになんなきゃ』と言ってもらえて、それはすごく大きかった」

「なんでもできる」が「完璧」だとするならば、その理想を追うことはやめた。

「自分にとって、最初で最後のW杯です。エースって言ってくれますけど、本当のエースは涼だと、私は思っています。他にも、長くフットサルをやってきたみんなのことをすごくリスペクトしています。そういう選手たちが培ってきた経験が私にはないから、今は諦めることも大事なのかなって。そこは任せようとか、わからなければ聞くとか。現実を突きつけられると、きつい時もあります。でも、自信をもてたところもあるし、自分が楽しもうと思える部分もある。結局、私は考えながらやっちゃうんですけど、それも含めて最後ですから、楽しむためにできることは全部やろうって、大会後に少し前向きになれた感じですね」

苦笑いを浮かべながら話す彼女は、また「ダサい」と口にする。

「完璧ではなくて、自分ができるベストにもっていこうって。できないことばかりで悲しいし、ダサいなぁって、よく思うけど。でも、時間がないから、全部は無理。自分ができる役割に徹します」

オールドルーキーは、7年のキャリアを積んで、フットサルのベテラン選手になった。ただ一方で、彼女にはまだできないことがある。いや、やらないと決めたこともある。

アジアカップで挙げた2つのゴールは、いずれも筏井らしい、エースらしいものだ。チームを勇気づけ、奮い立たせ、背中で引っ張るプレーは、彼女の真の姿そのものだろう。

ただ彼女には、決められなかったゴールがある。
仲間に託し、祈ることに徹した瞬間がある。

「止める・蹴るも、一瞬のスピードだって、絶対に負けないと思っています。年齢は関係ない。自分の可能性を信じるのは、自分次第。最後まで戦い続けます」

己に負けない、彼女の矜持。次がある挑戦者ではない。
最後に、世界の舞台で示すべきものがある。

筏井りさは、W杯で我々に何を見せてくれるのか。

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