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ロシア、ユーゴスラビア、そして戦後には日本も。“国際法違反国”に対するサッカーを介した制裁の事例

日本でも愛された“ピクシー”ことストイコビッチ。彼が中心となったユーゴスラビアは、国内の内戦によって国際舞台に立つ権利を奪われた。(C)Getty Images
「政治とスポーツは切り離すべき」という主張はことあるごとになされるが、それは幻想であり、実現不可能なスローガンでしかないというのが現実であると言えよう。政治の重要な決定は、人間の生活のあらゆる側面との強い関係が常であるがゆえ、必然的に世界中の人々の生活の一部でもある、人気スポーツには多大な影響を及ぶ。

 ロシアのウクライナ侵攻に伴い、スポーツ界ではロシアを排除する動きが加速しているが、それはサッカー界も同様である。ほんの数週間前には予想だにできなかった決定が、迅速に下されている。ウラジーミル・プーチン大統領と、FIFA(国際サッカー連盟)のファンニ・インファンティーノ会長があれほどの良好関係にあったにもかかわらず、今やロシアの代表チームやクラブチームは国際舞台に立つことすら許されなくなった。

 国際法に反する行為、とりわけ軍事行為に及んだ国に対するサッカーを介したペナルティーで、真っ先に例に挙がるのは、1992年のユーゴスラビアのEURO(欧州選手権)出場権剥奪だろう。
 冷戦終結とともに台頭した民族主義のなかで、他民族によるモザイク国家といわれた同国では、クロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナが次々に独立の意志を示し、これを中央国家が武力で制止しようとした結果、内戦が勃発。ここで国連はセルビア側の殺戮・破壊行為を重視し、制裁措置を科すことを決定した。

 その決定内には、「スポーツにおける国際交流の禁止」という項目が含まれていたため、EURO1992予選を7勝1敗で勝ち抜き、豊富なタレントによって優勝候補にも挙げられていたユーゴは大会開幕の10日前に出場取り消しが通達。その日のうちに開催国スウェーデンを追われる羽目となった。直後の本大会で、代替出場のデンマークがほとんど準備なしで戦いに臨み、奇跡とも言える優勝を果たしたことは、有名な逸話である。

 なお、この年に開催されたバルセロナ夏季オリンピックでは、IOC(国際オリンピック委員会)は選手単位でのユーゴの出場を認めるという、近年に国家ぐるみのドーピングが明らかになりながらも出場が認められ続けているロシアに対するものと同様の措置が採られている(サッカー界と五輪のスタンスは、現在も変わっていないということか……)。 ユーゴはUEFA(欧州サッカー連盟)から排除された(EURO1996も参加できず)だけでなく、FIFAからは1994年アメリカ・ワールドカップ予選への出場を禁じられることとなった。同国はその後、コソボ紛争においても制裁の対象となり、NATOの空爆が始まった1999年にも、EU(欧州連合)が「プラーヴィ(ユーゴ代表)」にペナルティーを勧告している。
 他国への侵攻という点では、1990年にサダム・フセイン政権のイラクがクウェートに攻め入った際には、サッカー界の地図からこの国が一時的に消えている。また古くは、第二次世界大戦後、敗戦国のドイツと日本はFIFAから参加を拒否された(名目上はサッカー協会の会費未払いが理由とされ、同じ敗戦国のイタリアは戦前2大会の優勝国ということで出場)。

 このように、歴史において決して事例が多くない事態が現在、起きてしまっているわけだが、これがサッカー界、そしてスポーツ界全体にいかなる影響を及ぼすのだろうか。いずれにせよ、一刻も早く事態が収束することが望まれる。そして、これが最後の事例となることを祈りたいものだが……。

構成●THE DIGEST編集部

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