幸野志有人 SHOOT KOHNO Vol.3「サッカー選手としての失敗から学んだこと」
現役サッカー選手でありながら、アパレルブランド、ラジオMCなどビジネス面でも多彩な才能を発揮する。
幸野志有人はサッカー選手を続けるために、サッカー以外でも稼ぐという新たなロールモデルを作ろうとしている。
「SmartSportsNews」の独占インタビューを3回に分けてお届けする。
サッカーに依存しながら生きたくない
——現在は次の所属先を探している段階ですけど、改めて選手としては今後のキャリアをどう考えていますか?
日本でチームを探すという選択肢はもちろんあるんですけど、例えばここからめちゃくちゃうまくいってJ1までいっても僕の中では物足りないなと思うところがあるんですよ。もちろん、日本にいてやれることがないわけではないです。ここでやれることはたくさんあるんですけど、総合的に考えると海外でプレーした方が僕にとってのメリットは大きいかなと思っています。
——海外でプレーすることでのメリットはどんなところにあると思います?
海外でプレーしても何もそこで得ずに帰ってくる選手もいると思うんですけど、海外に出た方が絶対的に苦労するからその分得られるものも大きいと思うんです。だから今はJ1を目指したり、国内でプレーすることにあまり魅力を感じていないんですよね。昔はJ1を目指していたし、そこでプレーすることは素晴らしいことだと思うんですけど、物足りないなと感じるのが今の自分の価値観というか、リアルなんですよね。
——そうした考え方は昔からですか?
やっぱりキャリアをある程度重ねてからですね。みんなそうだと思うんですけど、いつか絶対に終わりが来るとわかっていてもやっぱり考えたくないんですよ。そこから目を背けてしまうと思うし、実際に何をすればいいのかわからないというのもありますよね。
——やっぱりどの選手もわかっていることなんですよね。でもそれにしっかりと向き合えるかどうかということですね。
最近“人の価値”が何なのかを考えるんですよ。人と違うものを持っていれば価値があるわけじゃないですか。例えばサッカー選手がサッカーしかできなくて、ある程度Jリーグでキャリアを重ねて引退したら下部組織のコーチとかはできると思うんです。ただその人たちは毎年増えていくし、よほど現役時代に結果を残してる選手でなければ給料も高くないと思います。だから僕も今引退してコーチになったらその人たちと同じ給料しかもらえないですよね。そこで例えば英語が話せるからインターナショナルスクールのコーチとして雇われたら他の人ができない英語でのコーチングというのができるから給料が高いというのも当たり前の理屈じゃないですか。そう考えたらそんなに難しい話ではないと思うんですよね。
——確かにサッカー選手という枠で考えると、コーチになるというのはごく普通の選択肢ですね。
人の価値という視点で考えると、日本人が行ったことのない国でプレーするというのもそれは価値があることだと思うんです。そういう視点でこれからのキャリアを考えていきたいと思っています。結局、人と違うものを持っていなければ替えが利く存在になるですよね。もちろん、簡単だとは思っていないですけど。英語とかもずっと勉強しているけど、だからと言ってうまくいくものでもないし。ただ、続けるということに関してはアスリートはみんなできることだと思います。
思い描いていた未来とは180度違うけど……
——右膝を怪我して今はそこから復帰を目指しているわけですけど、今の怪我の状況は?
今年の2月にオーストラリアで開幕前の練習試合で右膝の前十字靭帯を断裂して、日本に帰ってきて1ヶ月後くらいに出術をして術後7ヶ月くらいですね今は8割くらいでサッカーができる状態で、父親のチームのユースの練習に入れてもらったり、市川SCの練習に入れてもらってリハビリしています。今後はやっぱり海外に行くつもりではいますけど、コロナの影響でどうなるか分からないので臨機応変にチームは探していこうと思ってます。
——トライアウトを受ける予定は?
まだわからないですけど、受ける予定はないですね。去年も受けているんですよ。僕みたいに怪我をして実戦から離れている選手はどれくらいできるか確かめる意味でも受けた方がいいと言われて受けてみました。
——あまり良い印象はなかった?
今では良い経験だったなと思います。最初は絶対に行きたくないと思っていました。他の選手も行きたくて行く人はいないと思います。
——確かに契約がない人が行く場所ですからね。
今までたくさん挫折はありましたけど、育成年代からある程度ずっとエリートとしてやってきて、16歳でプロになって、その10年後にトライアウトを受けているっていう現実はキツくて、前日とか帰ろうかなと思っていました。自分ではそこまでプライドとか持っていないつもりでしたけど、実際に受けてみてはどうでした?
実際にやってみたらサッカーはサッカーだし、めちゃくちゃ上手くプレーできていたと思ったんですよね。挫折っていうのは良い経験なんだなと思ったし、変なプライドを引き剥がす良いきっかけでもあったなと思います。そういうプライドが邪魔することってめちゃくちゃ多いと思うし、それがなかったら海外に行こうと思わなかったと思います。
——16歳でFC東京とプロ契約を結んだ頃に10年後は日本代表の中心でやっているとイメージする人もいたと思います。あの頃に思い描いていた10年後と、今の現実というのは自分としてはどう思っています?
あの頃思い描いていたものとは180度違いますね。そこまで明確に思い描けてはいなかったですけど、漠然と海外に行って代表に入ってワールドカップに出てとか。そんな風に考えていたと思います。
——FC東京というキャリアのスタートは、今ではどう感じています?
FC東京くらいのチームにいると良い選手がたくさんいるじゃないですか。僕はそれがすごく危険だなと感じたんですよね。あの環境にずっといると、自分もすごいやつになった気になってしまうんですよ。それはよくあることだと思います。自分はまだ実績もなにも残せてなくて全然すごくないのに俺はここの一員なんだぞって。日本代表の選手たちと一緒にいるだけで、勝手にいつか自分もそういう選手になるんだろうなって思ってしまう。それを僕は途中でまずいと思ってレンタルでいろんなところでプレーしてきました。そういう若手は結構見かけますよね。でも本当はそうじゃないんだと。
——レンタル先ではコンスタントに出場機会を得られていましたよね。
レンタル先ではコンスタントに試合に出ることができましたが、何度もレンタルバックした東京では全く試合に出ることができませんでした。実力が足りなかったと思いますけど、今の自分で勝負してみたいなという気持ちもあります。本当にサッカー選手って厳しいし、簡単なことではないんですよね。競技的な側面だけではなくて、運とか巡り合わせとかたくさんあります。いろんなことを経験して、もちろん若い頃に思い描いたような自分ではないですけど、今はこんな自分も悪くないなと思えているんですよ。もしあのままうまくいっていたら自分も「そんな先のことなんて考えなくていいでしょ」というマインドのままになっていたと思います。そうなっていたらヤバかったのかなって思いますね。
——強がりではなく?
もちろん選手として日本代表だったりそこまでの高みまでいけたら最高でしたよ。それを目指してもいましたし。現実、人生はそんなにうまくいかないので、それを自分のキャリアを通して身をもって体験できたことは良かったのかなと思えています。人生これからまだ長いので、それを今後に活かせればいいのかなって。怪我はサッカー選手という面だけで見れば100%良いことはないですけど、人間・幸野志有人として考えたらそれすら良いことだったのかもしれない。そう思うしかないですよね(笑)。
Vol.1「サッカー選手を続けるために、サッカー以外で稼ぐ」
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Vol.2「専門知識ゼロから始めたアパレルブランド」
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■プロフィール
幸野志有人(こうの・しゅうと)
1993年5月4日生まれ、東京都江戸川区出身。各年代の日本代表に選ばれ、JFAアカデミーの1期生となる。2009年のU-17ワールドカップには唯一の高校1年生として出場した。16歳でFC東京とプロ契約。その後、複数のJクラブを渡り歩く。2020年、オーストラリアのシドニーオリンピックFCに移籍するも、開幕前の大怪我によって退団。復帰を目指してリハビリをしながら、アパレルブランド「CLUB SARCASM」を立ち上げるなど、サッカー以外にも精力的に活動している。
https://www.instagram.com/shoot_kohno/
https://www.instagram.com/clubsarcasm_1993/
■クレジット
取材・構成:Smart Sports News 編集部
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