宮下遥・バレーボール女子元日本代表「裏方という選択」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

日本バレーボール界最高峰、SVリーグ。女子の開幕戦が火ぶたを切った。

世界バレーでの活躍を背景に、大勢の観客が声援を送る。その集客は昨シーズン平均の1.5倍。

まるで大砲のようなスパイクサーブ! 鋭角に突き刺さるアタック! 神業のようなレシーブ! 会場の熱気に押され、選手たちは美しく躍動していた。

一方その裏で……。男子開幕を間近に控える中、彼女はパソコンを前に慣れない会議に没頭している。バレーボール女子元日本代表・宮下遥。

 

現役時代を過ごした岡山を離れ、地元・三重県のSVリーグ2部、Vリーグ所属のヴィアティン三重でバイスディレクターとして働いている。

バイスディレクターとは、ヴィアティン三重ではバレーボール事業部の幹部であることを意味するのだが……。

「営業や広報、イベントの企画運営……。人数が少ないので、結局何でも屋です」

天才セッターと呼ばれ、その期待に応えるように日本をリオデジャネイロオリンピックへと導いた宮下が今、華々しい表舞台から地元の小さなチームを支える裏方へと回ったのだ。

「選手として、バレーボールを通して見てきた世界っていうのは、どこまでも広く大きなものでした。自分の経験を踏まえながら、それをチームに伝えていけるんじゃないかと思っています」

観客の声援を一身に受けてきた宮下が、なぜこの新たな道を選んだのか? 彼女の決意を探った。

三重県最大人口の工業都市・四日市市に拠点を置く、ヴィアティン三重・男子バレーボールチーム。

宮下がバイスディレクターに就任したのは、今年5月のこと。チームの活動を支えるために、多方面の仕事に従事する日々だ。

 

「チームがうまく回っていくために、前に進んでいくために、裏でどういう準備をして動いていくべきなのか、それをひとつひとつ考えながらやっています。まだ勉強中ですね」

ここで宮下の現役時代に触れておこう。

彼女は2009年の弱冠14歳、中学3年生で当時のトップチーム・岡山シーガルズに選手登録。トップリーグデビューは15歳2カ月。これは現在も史上最年少記録だ。

セッターとしては大柄の178センチ。卓越したトス技術と判断力、ときおり見せる大胆なトスワークで観客を魅了した。

当然のように日本代表に選出されると、若き天才セッターは日本をリオデジャネイロオリンピックへと導いていく。

2024年、現役引退を決めたその年には、デビューから15年間所属した岡山シーガルズでキャリア初の日本一を達成。さらにMVP、ベスト6も獲得。有終の美を飾り、惜しまれながらコートを去った。

「最後までバレーに向き合い、頑張り続けたのを、バレーの神様はちゃんと見てくれたんだなって思いました」

そして現在、男女両チームを有するヴィアティン三重で、男子チームの運営を中心に働いている。15歳からバレーに特化した生活を送ってきただけに、いわば社会人一年生だ。

「これだけをやっていたらいいっていう仕事じゃないので、今はまだ、脳みそが汗かいてる状態ですね」

しかも、この時期は男子開幕を直前に控え、裏方仕事は多忙を極めた。

宮下を裏方のスタッフとして招き入れたバレーボール事業部長・椎葉誠は、彼女に期待するところを口にする。

「彼女自身、(運営スタッフとして)中に入って人生を懸けるという思いを持っていただけた。彼女が表に立って(チームの)エンブレムを日本の頂点に持っていけるような存在になってくれるとうれしいですね。プロスポーツ不毛の地である三重県で、プロバレーボールチームっていう旗を立ててくれるんじゃないかなと」

SVリーグ参入を目指すヴィアティンにとって、宮下は旗頭となる存在なのだ。

とある休日。四日市市主催の、市民がスポーツに触れ合うイベントが開催される。

宮下はチームの現役プレーヤーを引き連れ、子供たちへのバレー教室を企画・実施した。

 

選手が子供っち触れ合う姿は、チームをアピールする絶好のチャンス。宮下はその様子を、チームの活動記録としてSNSでファンに報告する。

笑顔にあふれたひととき。こうしたイベントにこそ、チームのみならずバレー界にとっても大きな意味があると、彼女は考えていた。

「バレーは人気スポーツと思われていて、実際そうなってはいるんですけど、いざ子供たちがバレーをやりたい、やろうってなったら、意外とハードルが高いんですよ」

バレーボールは身近なもの、ボールに触れるのは自然なこと。子供たちにはそんなふうに感じてほしい。そのためのバレー教室であり、この小さな催しがやがてプレーヤーの裾野を広げ、未来のバレー界を担う選手を育むと宮下は期待しているのだ。

「私自身がバレーに育てられたと思っているので、その恩返しでもあるんです」

 

その日、宮下は男子開幕前の大仕事、スポンサーへの挨拶まわりに出かけた。

ヴィアティンのような規模の小さなクラブには、地元企業の支えはなくてはならない。

自らハンドルを握る車は、真新しいチームのエンブレムがまぶしい。

「この車を運転するのは今日が初めてで。この撮影のために早く仕上げてもらった。この撮影のためにです。何度もいいますけど、この撮影のために急ぎで仕上げてもらったんです」

間違いなく冗談なのだが、真顔でいうので少し怖い……。

宮下が田中一彰CM(クラブマネージャー)と向かったのは、ヴィアティンを初期から支援する大事なスポンサー、桑名電気産業。

応接室に通されると、伊藤社長を相手に昨シーズンの結果や、新たに整えたユニフォームの報告をする。といえば聞こえはいいが、実際には田中CMがメインでしゃべり、宮下は横でわずかに笑顔を浮かべるばかり。こんなところは、まだまだだ。

とはいえ、彼女は何気に地元では大スター。バレー好きで、チームを支援する立場の伊藤社長は、宮下の存在に希望を膨らませている。

「もともと彼女も桑名出身で、とにかく地元のスターがヴィアティンに加入したことで、よりチームの知名度も上がるでしょう。選手、そしてチーム全体の起爆剤になるのかなとも思っています」

こうした営業やバレーボール教室など、選手や指導者とは違う役割でチームと地元をつなぐ。そして強くする。

スター選手がセカンドキャリアに選んだ地道な仕事は、チームやバレー界を着実に一歩ずつ盛り上げる。宮下は、そこに新たなやり甲斐があることを疑わない。

忙しい合間をぬって、宮下は男子チームの練習試合に姿を見せる。開幕を直前に控えていることもあり、彼女の表情も引き締まる。

ちょっとしたインターバルで、選手が宮下の言葉に耳を傾ける場面に出くわした。

天才セッターと謳われ、15歳から第一線で活躍してきた宮下。2部リーグに所属するヴィアティンの選手にとってもまた、彼女は頼もしい存在なのだ。

「(宮下自身)日本の最高峰で最高の経験をさせてもらってきたことは宝なんです。今の選手は、今よりもっといい景色が見られると思うので」

ヴィアティンもいずれはSVリーグへ。宮下は、最高峰の舞台でバレーができる喜びを、彼らに伝えたかった。

男子開幕の1週間前。宮下の企画で、ヴィアティンは開幕直前イベントを開催した。

宮下は、自ら会場のセッティングに勤しむ。そして選手たちには、直接段取りを説明。

会場には予想以上のファンが集まり、イベントは盛況のうちに進行していく。

 

「こういう儀式的なことは、意外と重要なんです。私も現役時代、気持ちが高まっていくのを感じていましたから」

その言葉どおり、熱い声援を受けた選手たちは開幕への期待を膨らませていた。チームを代表して、森垣陸選手がその思いを語る。

「開幕直前で自分たちも気が引き締まる思いでしたし、ファンの方々や子供たちがイベントに足を運んでくれたのは、選手として価値ある時間だったなと思っています」

横から平田和聖選手が言葉を足す。

「これだけたくさんのファンの方々が来てくれて、あらためてリーグ優勝(2部Vリーグ)という目標に向けて頑張りたいって、強く感じています」

2人の言葉に大きくうなずく宮下もまた、バイスディレクターとしての第二のバレー人生に期待している。

「現役時代、誰かのために頑張ることの素晴らしさを、身をもって経験してきた。今度は裏方として、チームやバレーのために自分ができることを見つけながら、総合的なチーム作りにチャレンジしていきたいと思っています」

天才セッターとして日本の期待を背負ってきた、宮下遥。

そんな彼女が今、地元三重の小さなクラブチームを、遥か大きな舞台へ押し上げるために、日々模索しながら生きている。

より高みを目指して、彼女はその一歩を踏みしめて昇る。