富士大学硬式野球部「将来のための指導」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

『雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ』

詩人・宮沢賢治生誕の地。岩手県花巻市のとあるグラウンドから、よく通る掛け声と、ノックの乾いた音が響いてくる。

そこで練習していたのは、創部60年の富士大学硬式野球部。今、この野球部が全国的に大きな注目を集めている。

 

 

ピッチャーは3人、そしてキャッチャー、ファースト、ショート、センター。この7人ですね。今までで一番多い」

監督の安田慎太郎が挙げたのはプロ志望、かつドラフトの有力候補となっている選手の数。しかも彼らの高校時代の実績はというと……。

「東東京大会のベスト16が最高です」
「県大会2回戦、3回戦止まりで……。甲子園? 無縁ですよ」

いわば無名の原石を、4年間でドラフト候補生にまで育て上げるノウハウが、この野球部にはあるのだ。その育成の秘密とは?

富士大学硬式野球部は60年の歴史の中で、北東北大学リーグ優勝38回。全日本大学選手権の最高成績は準優勝。昨年はその全日本と明治神宮野球大会でベスト4に入る快進撃を見せた。

これまで福岡ソフトバンクホークスの山川穂高を筆頭に、10人のプロ野球選手を輩出してきた、紛れもない東北の雄である。

現在の部員は、全国各地から集まってきた総勢140名。彼らは皆、野球部の実績だけで富士大学に集まったわけではない。

ドラフト候補生の一人、捕手の坂本達也はいう。

「もともと(大学まで)野球を続ける気はなかったんですけど、安田監督が熱心に声をかけてくださって『絶対プロに行けるから、続けたほうがいいよ』って」

同じくドラフト候補生で、投手の佐藤柳之介は……。

「安田監督が、プロに行きたいならウチ(富士大学)においでといってくださって、その『プロに行きたいなら』という言葉が胸に刺さりました」

夢のままで終わるかもしれなかったプロの世界。そこに導いてくれる人がいる。それがどれだけ彼らの心に希望の火を灯してくれたのかは、想像に難くない。

ドラフト候補生たちはもちろん、部員全員が全幅の信頼を置く安田慎太郎監督。かつては自身も選手として、独立リーグからプロ入りを目指すも夢はかなわなかった。

その後、富士大学のコーチとなり、4年前、監督に就任した。

「僕がプロに行きたかったので、プロに行ける、あるいは行きたいと思っている子たちは、やっぱり行かせてあげたいんですよ。一人ひとり自分の野球人生の主役なので、脇役にはさせたくないし、チームが勝つために『ああしてくれ、こうしてくれ』とはいいません」

安田監督自身も、勝つための駒として選手を作りたくないという。選手が望む将来のための指導、彼の考えは一貫していた。

では、安田監督の考える、プロの道に進ませるための方策とは? それを知るには、ドラフト候補生の一人であり、大学屈指の強打を誇る佐々木大輔選手が分かりやすい例だという。

彼は高校までは、肩の強さが武器の外野手。しかし安田監督の見立てでは、プロの世界で広い守備範囲をカバーする外野手としては、走力が圧倒的に足りていなかった。そこで佐々木に勧めたのが、ショートへのコンバートだった。

「大切なのは、選手のキャラ付けです。『このポジションで、このキャラでいかないと、プロにはなれない』って選手には話します。その選手が4年後のニーズにハマりそうな、一番近いキャラに持っていくイメージです」

これが功を奏し、佐々木は強肩強打のショートとして、スカウトの注目を集めている。

ある日の屋内練習施設。夏前のこの時期、チームとして一番力を入れるのが体力、技術など、選手個々の土台作りだ。

短中長距離走、跳躍……。さまざまな種目で、筋トレだけでは身につかない体のバネを養う。

安田監督は、このトレーニングにひと工夫を凝らした。それは、記録ノート。全選手のページがあり、個別に記録の推移を記していく。数値化することで、その数字を越えてやろうとする意識が生まれ、個々の能力は格段に上がったという。

「『走りなさい』と命じるのではなく、走らざるを得ない状況を、システムとして作ってしまったほうが、モチベーションが上がると考えました。ただ10本走るよりも、常にもっと速く、もっと速くというように数字を意識したほうが、選手の練習の質は間違いなく高まります」

他にも、安田監督のアイデアが、そこかしこで目に入った。

佐藤投手がシャドーピッチングで、水が入ったボールを使っている。

「水は流れが読めなくて、いろいろな動きをしてくれるで、肩のさまざまなポジションのインナーマッスルを鍛えることができます。変化球、速球によって肩の使い方は違うんです。見たことのない器具は、ほとんど安田監督が取り入れたものですね」

バット一つとっても、左右の手を離して握る形状で、手首をこねないようにするバットや、プロペラのような形状で正しい軌道を意識するバットなど、鍛えたい技術に特化した器具がそろえられている。

「どう打つべきかを言葉にすると、うまく伝わらないというのはよくあること。これがギアを使うと分かりやすくなるんです。(言葉は)受け取り方によって意味が変わることもありますが、ギアは『こうやって使うもの』といえば、誰もができて、やってみれば感覚は出てくるので、伝達のミスがないんですよ」

 

 

せっかくプロに進む可能性を持ちながら、能力を発揮するための技術がなければ本末転倒だ。

「ムダ駄な練習はさせたくないんです。4年間なんてすぐ終わってしまうので、僕はトレーニング(のアイデア)を必死に考えて、うまく導いていけたらと思ってます」

その日の練習後、部員を集めた安田監督の表情が険しい。

「全日本選手権があったけど、なぜかわれわれはここにいる。きっといろいろ悔しい思いはあるだろうけど……」

昨年の全日本選手権ではベスト4に入った富士大学。当然、今年はそれ以上の結果を目指していた。

だが、北東北春季リーグで優勝に届かず、全国への切符を逃していたのだ。

今後のために、珍しく安田監督がゲキを飛ばす。

「投打の歯車がズレたまま、ズルズルといっちゃったけど……。勝たないと評価されない。プロや社会人(野球)に行きたいなら、自分の就職先のために勝たないとダメだよね」

春季リーグ優勝を逃した責任を人一倍感じていたのは、ドラフト候補の一人・佐藤投手だった。

スピンの効いた伸びのあるストレートを武器とするエースは、大学日本代表候補にも選ばれる逸材だ。しかし、その春季リーグ初戦で打ち込まれ、敗北を喫してしまった。リーグ優勝争いでは、この1敗が響いたのだという。

「自分たちが最上級生になって、もちろん日本一を目指していたわけですが、自分が投げての負けだったので、チームにいい流れを持ってこれなかった。すごく悔しい、物足りない」

 

 

 

勝たなければ評価を上げることはできない。佐藤は安田監督や仲間にアドバイスを求めながら、不振の原因を探っていく。

実は佐藤にとって、富士大学に入ってからこれが二度目の試練。入学当初の全国大会で先発に抜擢されたものの、1イニング持たずに降板。それまでの大きな投球動作が災いし、肩をケガするおまけつきだった。

「情けないというか、他のみんなに置いていかれるんじゃないかという不安に包まれていました。そのときに安田監督から、『ショートアームにしたらどうだ』といわれて」

ショートアームとは、大谷翔平も実践する投球フォーム。ヒジを曲げたままテークバックし、コンパクトに腕を振るのだ。このフォームはボールに力を伝えやすく、肩やヒジへの負担も軽いのだという。

佐藤は安田監督の指導の下、シャドーピッチングで研究を重ね、今のフォームを作り上げた。その結果が[エース]の称号であり、ドラフト候補生なのだ。

 

 

「この3年、4年は、自分の課題をしっかり突き詰めて練習する時間があって、考えながら取り組む力は上がったと思います」

そして今、佐藤は[不振]という名の、再びの試練に向き合っている。安田監督は、その原因を突き止めていた。

「彼は向上心がある分、いろいろ突き詰めていこうとするんですけど、それが災いするというか。調子が悪くなってきたときの原因は、疲れなんですよ。疲労から(フォームなど)いろいろズレてくるので、基礎的な体力を鍛え直すことをアドバイスしました」

さらに、自らチームを牽引して勝利をつかむという、その意識が必要だという。エースとしての自覚と行動。それが彼の未来を創るのだ。

運命のドラフト会議は、10月24日。佐藤を含め、いったい何人がプロへの道を切り拓けるのか? その鍵は、秋のリーグ戦にある。

富士大学硬式野球部のドラフト候補生たち、彼らの物語はまだ終わらない。
 

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