吉井裕鷹・バスケットボール男子日本代表「危機感と期待感」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版
早朝の[トヨタ府中スポーツセンター]。
静寂の中、ボールのバウンドする音だけが響いている。
コーチのボール出しを受けながら、黙々とシュート練習を続ける長身の選手。他には誰もいない。
間近に迫るパリオリンピック、バスケットボール男子日本代表チームのメンバー、吉井裕鷹だ。彼は今、所属のBリーグ・アルバルク東京で、生き残りを懸けてあがいていた。
吉井は身長196センチの恵まれた体格で、ゴール下で戦うセンターポジションを務めてきた。
だが、Bリーグは近年、海外のトップ選手が相次いで参戦。全体のレベルが飛躍的に引き上げられている中、所属するアルバルク東京で、彼はいまだレギュラー定着に至っていない。
「いつクビになってもおかしくない中で、一年一年人生を懸けてバスケットをしています。危機感を持ちながらやっている状態ですね」
子供のころから背が高かった吉井は、小学校4年生のとき、地元のジュニアチームに誘われバスケを始めた。
以来、順調に成長していき、中学では大阪府選抜。高校では日の丸を背負い、国際大会も経験した。
吉井がプロバスケットの世界を意識したのは、大阪学院大学2年生のころ。
「そのころ特別指定選手制度ができて、大阪エヴェッサの特別指定選手として活動させてもらったことで、プロを意識し始めました」
その後、大学3年生でアルバルク東京の練習生になり、選手契約を結ぶに至った。
しかし、アルバルク東京は2度の日本一とアジアチャンピオンにも輝いた、Bリーグ屈指の強豪チーム。メンバーとの力の差は、想像以上だったという。
「試合に出られない期間が長くて……。それどころか練習にも参加できなかったんです。・そこが人生で一番苦しかった時期ですね」
そして今再び、吉井はレギュラー定着のために苦闘しているのだ。
「自分が良くなっていければ、付随して出場機会が増えるというのが僕の考えです。だからやるしかないんです」
早朝の孤独な特訓を終えた吉井は、午後から始まるチーム練習に備えて腹ごしらえをする。これもたった一人だ。
すると、先輩の橋本竜馬選手や安藤周人選手らが次々と顔を出して、チーム最年少の吉井をひとしきりイジっては去っていく。
「(気にかけてくれて)ありがたいです」
みんな、吉井が生き残りを懸けて下した、ある決断を知っているからだ。
それは≪ポジション転向≫。ゴール下の[センター]から、サイドで働く[スモールフォワード]へ。
「僕は日本人の中ではデカいんですが、Bリーグには2mを越える外国人選手がたくさんいます。そこで生きていくのは正直難しいと、ずっと感じていました。スモールフォワードに自分の活路を見出したいんです」
だがそれには、ドリブルやスリーポイントシュートなど、新たなスキルが高いレベルで求められる。早朝練習の理由はそこにあった。
「とにかく試合に出るために、準備し続けるしかない。それだけです」
当然、オリンピックのことも考えなくてはいけない。時間は有限だった。
代々木体育館で開催された、Bリーグ公式戦、第27節。東地区2位のアルバルク東京の相手は、3位の千葉ジェッツ。この日の吉井は、ベンチスタートだった。
試合は序盤から、千葉ジェッツが猛攻を仕掛ける。第2クォーターに入ってもアルバルク東京は波に乗れず、防戦一方に回ってしまう。
吉井が呼ばれたのは、そんな苦しい時間帯だった。
すると、いきなりディフェンスで魅せた。相手にシュートを打たせずにミスを誘うと、すかさず攻撃に参加していく。シュートチャンスを窺いながらのボール回し。動きにキレがある。すぐに、吉井のプレーを起点にゴールが生まれた。
だが、千葉ジェッツの勢いは止めるまでには至らない。第3クォーターも後を追う展開の中で、吉井がファウルをとられる。自身では1本もゴールを決めることなく、コートを去った……。
その後、第4クォーターに入ってもアルバルク東京は逆転の目を見出せないまま、チームは1点差で試合を落とした。
吉井がコートに立てたのは、約8分間。スモールフォワードでの活躍をアピールするにはほど遠い内容だった。
敗戦の翌日、吉井の姿を郊外のショッピングモールに見る。
先輩の安藤周人選手に誘われ、アウトドアショップで買い物だ。2人は共通の趣味・キャンプを通じ、プライベートでも仲が良い。
ポジション転向やレギュラー獲得を目指してあがき続ける吉井だが、張り詰めたままではうまくいくものもうまくいかない。せめてひと時の安らぎを。先輩の粋な計らいだったのかもしれない。
吉井は気になる品物を手に取り、じっくり吟味する。キャンプ好きでなければ分からない会話で、安藤先輩と盛り上がっていた。
ショッピングの後のティータイム。元日本代表でもある安藤は、吉井への期待を口にする。
「パリで結果を残すのが今は一番大事なことで、(吉井の取り組みは)簡単じゃないけれど、だからといって不可能じゃない。課題を明確にして取り組んでいて、それをパリで発揮してほしいし、何より自分の分もパリで楽しんできてほしいです」
吉井もまた、進化した自分の力をパリで示すことに燃えている。
「(日本は)はい上がっていくだけのチームなので、そのぶん、また世界から1勝をもぎ取ってやるという気持ちをチーム全員が持てば、(パリでの活躍の)可能性が見えてくるんじゃないかと思います」
パリオリンピックが終わったら、2人はキャンプに出発する予定だという。
そして吉井は再び、早朝の孤独な特訓へと戻っていく。
汗のしたたり落ちる音が聞こえるような静寂の中で、黙々とスモールフォワードに求められるスキルを磨いていく。
準備し続けたその先に、何が待っているかは分からない。危機感と期待感は背中合わせ。彼はそれを知っている。
「一つでも、少しでも良くしていけるものを見つけて、それをクリアしていくだけです」
吉井は、一球一球丁寧に、シュートを打ち続けた。
望みはパリオリンピックでの日本の飛躍、そしてその後も続くバスケット人生で、輝きを放つこと。
未来を見据え、いばらの道も厭わずに進む吉井裕鷹。その途中で何が待ち受けようとも、彼の信念は揺らがない。
追記
アルバルク東京は2024年5月29日、契約満了に伴う吉井裕鷹選手の退団を発表した。吉井選手は新天地での飛躍と、パリオリンピックでの活躍が期待されている。
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