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スピードスケート・笹渕和花「サンキュー(39秒台)を出したい」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

9月4日、国内スピードスケート2022-2023シーズンの初戦、女子500m。アウトコースのスタートラインに立ったのは、笹渕和花、中学三年生の14歳。同走の大学生選手相手に、得意のスタートダッシュを決める。

 

【氷上のF1】と呼ばれるスピードスケート。和花は、14歳のそれとは思えない加速力で、トップスピードに乗っていく。彼女には、目指す頂がある。そこに向かって、最後の直線で力を振り絞った!

 

「中学の内に、サンキュー(39秒台)を出したいんです!」

 

 

北海道にとてつもない中学生が現れたと報じられたのは、昨シーズンのこと。当時中学2年生の和花は、自己ベストを更新する、40秒23をマークし一躍注目を浴びたのだ。周囲は『サンキュー(39秒台)いけるんじゃないか?』と期待を込めて囁いた。なぜならば・・・

 

過去、中学生女子で40秒を切ったのは、たった2人だけ。後にオリンピック金メダリストとなった、小平奈緒と高木美帆だ。そんな2人に迫る逸材の出現、次に期待されるのは彼女たちと肩を並べること。笹渕和花、中学生最後のシーズン、屈託のない笑顔で頂を目指す。

 

真夏のとある日。北海道の十勝地方・帯広市。ここには、スピードスケートの聖地がある。ナショナルトレーニングセンターにも指定されている、明治北海道十勝オーバル。多くのオリンピアン、メダリストを輩出してきた、夏季も使用できるスケートリンクだ。全国からトップレベルの選手が集まり、帯広に住む和花もこの場を練習拠点としている。彼女が、ニヤニヤしながら、スケートシューズのエッジケースを見せてくれた。

 

「小平奈緒さんから貰いました。NAOって書いてある」

 

練習を開始した和花を見守るのは、ジュニア選手の指導に当たる、高木大輔コーチ。あの高木那菜・美帆姉妹の兄だ。その高木コーチが、和花の強さについて教えてくれた。

 

「スタートダッシュで、すぐスケートを滑らせることが出来る。普通は走ってしまい、スピードに乗れないんです」

 

スタートのゼロポジションから一気に加速。素早い体重移動で、わずか3秒で滑走体勢に移行する。

 

「頭がいっさい動かないのも秀逸です」

 

体幹の強さが、ブレのないスケーティングフォームを生み出し、効率的な加速を可能にしているのだ。

 

「コーナーリングでも、傾けた体とシューズのブレード部が一直線になっているので、無駄な減速をしないで回り切れるんです」

 

 

5歳でスピードスケートを始めた笹渕和花。小学生の全国大会で3連覇を果たすなど、その才能は当初から圧倒的だった。そして中学3年生の今、目指しているのは・・・

 

「中学生の日本記録、高木美帆選手の39秒39を切ることです。今まで順調にタイムは伸びてきているので、まず39秒台に入りたい」

 

そんな和花が、掛け替えのない存在と頼りにしているのが、3つ上の兄・遥人さん。帯広農業高校3年生の彼もまた、ジュニア日本ランキング6位、将来を期待されるスケーターだ。共に練習をする機会も多い兄妹。和花にとっては、いつもそばにいる1番の理解者で、自分では気づかないような問題点を指摘してくれる、身近のコーチだ。

 

「右足の押しが足りないんじゃない?」

 

和花は兄の助言を素直に聞き入れ、実践する。その効果は、彼女の笑顔が示していた。

 

笹渕兄妹が暮らす、帯広の実家を訪ねた。笹渕家は、父親の邦尚さん、母親の笑美さんが元スピートスケート選手で、今は指導者。末っ子の花乃さんも小学生クラスで活躍している、正にスピードスケート一家だ。父・邦尚さんは、娘にはスピードスケートをさせたくなかったという。

 

「自分も現役時代に辛い思いをしましたからね。だけど、本人の『やりたい』という気持ちは尊重したいし、親として当然応援しなきゃなと思って」

 

和花も困った時は、兄であり、父であり、そして母である。

 

「相談します。フォームとかスケートの滑りがイマイチだと思った時は、お父さんや、(兄の)遥人に相談します。あとはお母さんが動画撮って診てくれるので、アドバイスをもらったりとかします」

 

夕食の後、和花は父や兄と、昨年のレースの映像を見る。それは、本人自身が納得いかず、しかもその原因を自分で理解できないレースだった。いつも通り、得意のスタートダッシュを決めるが、最終コーナーで同走者を引き離した直後に、異変が起きた。立ち上がりの直線で失速・・・まさかの敗北を喫してしまう。

 

邦尚さんが、原因を解説してくれる。

 

「和花の悪い癖で、背中の丸まりが出ていたんです。これだと、足が思うように前に出ない。推進力を発揮出来ず、どんどん失速しちゃう」

 

片方の足で氷をしっかり大きく蹴り、反対の足に体重を乗せ、スケートブレードを長く滑らせることで初めて、スピードに乗っていける。兄・遥人さんも指摘する。

 

「しっかり骨盤を上げて、背中の筋肉を使えるようになると、足が出やすくなると思う」

 

だから和花は今、スケーティングフォーム改善の真っ最中なのだ。

 

 

後日、和花は、オリンピック強化指定選手も担当する理学療法士、藤野孝太さんの指導を仰いでいた。

 

「彼女の場合、表面の腹直筋ばかりを使ってしまう傾向があって、そうなると背中が丸まってしまうんです」

 

まだ和花の体は成長過程。表面の腹直筋は鍛えられているものの、インナーマッスルは未発達。アンバランスな状態が、フォームの乱れを生んでいたのだ。そのインナーマッスルを鍛えるには、毎日の地道できついトレーニングが必要不可欠。藤野氏によれば、中学生がこうしたトレーニングを日常的にこなしていくのは、至難の業だと言う。それを和花は、身をもって感じていたが・・・

 

「確かに辛いことを避けちゃうっていう壁があって。でも中学記録を出すには・・・」

 

避けては通れないことを、彼女自身が一番よく理解していた。

 

シーズン開幕まであと2週間。この日の練習前、和花のもとに新しいスケートシューズが届く。繊細なブレードの調整は父・邦尚さんの役目だ。

 

「調整は、爪の厚みぐらいの感覚ですね。ミリ単位の差がタイムに大きく影響します」

 

自身でも試し履きを繰り返し、和花本人の感覚と擦り合わせていく。最初は、娘がスピードスケートを続けるのに賛成しなかった邦尚さん。今は精一杯の愛情と、自身の経験を注ぎ込んでいる。

 

 

この日の練習では、兄の遥人さんが、和花のフォームをチェックする。

 

「前よりは、背中の丸まりが大分良くなってる」

 

そして開幕レースの展望も教えてくれた。

 

「リンク的には、9月辺りの氷はまだ滑りにくいんです。ここで40秒1台を出せれば、シーズン中のサンキュー(39秒台)が見えてくると思います」

 

和花は、兄の言葉をニコニコしながら聞いていた。

 

「緊張はするんですけど、楽しみです!」

 

そして迎えたのが、9月4日、シーズン開幕戦の500mレースだった。社会人も出場するこの大会で、40秒23の自己ベスト更新は果たせるだろうか?

 

×××

 

和花は得意のスタートダッシュで、同走の大学生をリードする。そしてバックストレートでトップスピードに乗っていく。課題だった、背中の丸まりは出ていないようだ。

 

レース後半、アウトからインコースへ移り、最終コーナーに入る。足は横に流れず、大きく前に踏み出して、氷を掴む。無駄な減速をしないまま、コーナーを抜け、最後の直線。ここで和花はラストスパートをかけ、同走選手を引き離し、ゴールを駆け抜けた!

 

果たしてタイムは・・・40秒03!自己ベストを大幅に更新だ。

 

兄が課した目標タイム、40秒1台を上回る記録に、和花は会心のガッツポーズ!

 

開幕初戦の結果は、社会人・大学生の間に割って入る、4位。

 

「自分の納得のいく滑りが出来て、ラップも自己ベストを更新することが出来たので、このまま練習をたくさん積み重ねて、39秒台を出せたらいいなと思いました」

 

だが、真の目標はタイムではなく、世界の頂。彼女の挑戦が楽な道程ではないことは、和花はもちろん、笹渕家全員がヒシヒシと感じている。だがなぜだろうか?彼女が笑顔で成し遂げてしまうような気がしてならない。

 

 

努力に裏打ちされた才能、スピードスケート界の逸材・笹渕和花、もうすぐ15歳。彼女は今、スケート人生のトップスピードに乗るべく、全身全霊で戦っている。

 

 

TEXT/小此木聡(放送作家)

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