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打撃投手・佐藤賢「裏方でもチームの勝利を目指せる」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

2022年9月25日、明治神宮野球場。東京ヤクルトスワローズが、2年連続9度目のリーグ優勝を果たす。三冠王を獲得した村上宗隆が、歓喜の輪の中心にいる。高津臣吾監督の胴上げが始まった。

だがそこに、村上を始めとする、12球団トップの超強力打線を陰で支えた男の姿は無かった・・・

10月21日、日本シリーズ開幕前日のチーム練習。そのマウンドに、背番号109を付ける彼を見つけた。打撃投手・佐藤賢(まさる)、41歳。

黙々と投げ続ける彼はこれまで、青木宣親や山田哲人、バレンティンといった強打者をサポートしてきた。今は三冠王・村上宗隆も担当するなど、球界一を誇るヤクルト打線を作り上げた功労者の一人だ。そんな佐藤に、監督の高津臣吾は厚い信頼を寄せている。

「コントロール良し、リズム良し、テンポ良し。一生懸命投げる姿は、選手たちに『打ってやろう!』『頑張らなくちゃ』という気持ちを呼び起こしてくれてます」

だが、裏方に徹する佐藤は、謙虚な姿勢を崩さない。

「選手に気持ちよく試合に入ってもらえるように、サポートしているだけですから」

その言葉の裏には、打撃投手としての矜持が潜んでいる。

11月中旬、愛媛県松山市で、スワローズの秋季キャンプが始まった。その日の朝、佐藤たち打撃投手陣8人は、選手より先に球場入りする。選手達とは別のロッカールームで、長時間のチーム練習に備えるのだ。

佐藤は念入りに、骨盤安定のためのベルトを腰に巻く。実働年間200日。一日の練習で軽く100球を越える球数・・・そんな過酷な仕事を11年に渡って続けているのだから、疲れが残らないようにしなくてはならない。

「キャンプは、シーズン中の練習よりも長時間になりますからね」

秋季キャンプに参加するのは、生きのいい若手選手が中心。1軍、さらにはレギュラー定着を目指して、貪欲に取り組む彼らが相手だけに、佐藤の責任も重大だ。

各種トレーニングのサポートを務めた後、フリーバッティングの投球ゲージに入る。フリーバッティングは、打撃の感覚やフォームの確認修正を行う上で、バッターにとって最も重要な練習のひとつ。佐藤は、その確認修正を助けるために、求められるコースに完璧なコントロールで投げ続ける。さらに、その投球リズムも・・・

「あえて予備動作を作るようにしています。今から投げますよって合図ですね。それでバッターにタイミングを取ってもらうわけです」

いつも同じリズム、同じテンポでの投球は、打撃投手にとって、一番大事な事だと言う。だが、それを実行するのは、決してやさしいことではない。

打撃コーチの大松尚逸は言う。

「主力打者になればなるほど、色々なことをバッティング練習の時間で試しています。佐藤さんは、それに必要なこと(コントロールの良さ、同じリズム、テンポでの投球)をコンスタントに高い確率でやってくれるんです」

これこそ、佐藤が選手や首脳陣から信頼される所以なのだ。しかも、彼の打撃投手としての技術は、これだけに留まらない。バッターの、その日の状態をつぶさに観察し、必要に応じて投球動作やリズムを変えることがあるのだという。

「自分の感覚とバッターの感覚にズレがあるなと思ったら、当然バッターに合わせます」

誰にでも出来るわけではない。それを佐藤は、涼しい顔でやってのける。

この日、佐藤は長時間休みなく、正確な投球を続けた。選手たちは帽子を取って、彼に頭を下げる。

「裏方としてのやりがいを感じるというか・・・疲れも吹っ飛びます」

山形県の羽黒高校野球部でエースを務めていた佐藤賢。憧れの甲子園には出場叶わず、全国的に注目されることも無かった。

一躍脚光を浴びたのは、明治大学野球部時代。4年生時の春のリーグ戦で、当時、鳥谷敬(元阪神タイガース)や青木宣親(現東京ヤクルトスワローズ)を要する早稲田大学を抑え込んだのだ。

「早稲田はリーグ戦を連覇していて、左の強打者が揃っていたんですけど、その対策にサイドスローに転向して、それがハマったんです」

球速が上がり、変化球にキレが出た佐藤は、遅咲きのブレイク!この年のドラフト会議で、東京ヤクルトスワローズから6位指名を受けたのである。スワローズでは、中継ぎを主に一軍で通算105試合に登板。途中、左肘にメスを入れながらも、2011年の引退まで、8年間のプロ人生を駆け抜けた。

「ケガをしても、一年間待ってくれた球団のために何かしたいという気持ちがあって。裏方でもチームの勝利を目指せるんだと思って、打撃投手の依頼を引き受けました」

そして、プロ野球界でのセカンドキャリアが花開いた。

そんな佐藤が、打撃投手9年目の2020年、近い将来スワローズを背負って立つであろう村上宗隆を担当することになる。当時の村上は左バッターの鬼門、左投手が大の苦手。その殻を破れず、苦悩していた。壮絶なまでの猛練習。佐藤の左腕は、求められるコースに、何百何千の球を投げ続けた。

「(村上選手に)逆方向への意識が生まれてきました。最初の頃はライト方向に引っ張るばかりでしたけど、センターからレフト方向へ打ち返すことを覚えて、ひと皮剝けましたね」

その言葉通り、村上は対左投手の打率を上げ、翌2021年シーズンからは3割越え。対右投手の打率をも上回っていた。そして2022年シーズンは承知の通り、令和初の三冠王獲得!偉業の陰に、佐藤の力があったことは疑いもない。

秋季キャンプ終盤。球場内のトレーニングルームに佐藤の姿を見る。軽めのダンベルを持ってのトレーニング、と思いきや・・・

「昨日、多目に投げたので、結構体が張ってきていて・・・鍛えるというより、ほぐす感じですね。特に大胸筋の張りは、投球に悪影響を及ぼしますから」

連日酷使している佐藤の左肩は、悲鳴をあげていたのだ。だからこそ、常日頃から体のケアは怠らない。この秋季キャンプだけに限らず、投球の精度をキープすることは、彼の打撃投手としての矜持なのだから。

練習の合間、佐藤が若手選手たちを、我が子を見守るようにしている姿を目撃した。

「思い切りがいいバッターが多いから、先が楽しみなんですよ。だからこのキャンプを気持ちよく、良いイメージで終わってくれたら嬉しいですね。彼らが納得するまで、幾らでも投げてやりたいと思ってます」

この前日、150球を越える球数を投げた佐藤。投球ゲージに入ると、その影響を微塵も感じさせずに《コントロール》《リズム》《テンポ》高い精度のボールを投げ込んでいく。

打撃投手・佐藤賢。彼の投げるボール、ひいては彼自身の存在が、東京ヤクルトスワロ—ズのセリーグ連覇をもたらしたというのは、言い過ぎだろうか?

もちろん、チーム躍進の主役は、選手であり、首脳陣である。コーチでもない佐藤は、直接選手に助言することはない。ただひたすら、自らの左腕で精度の高いボールを安定供給する・・・その困難なミッションを黙々と果たす彼は、チームの勝利を陰で支え続けていく。

TEXT/小此木聡(放送作家)

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