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ソチオリンピック銅メダリストのスキーヤー 小野塚彩那「オンリーワンでいたい」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

2014年ソチ冬季オリンピック、フリースタイルスキー・ハーフパイプ銅メダリスト、小野塚彩那。33歳。とある小学校で特別授業を行う彼女の姿を見る。子供たちにメダルを披露するその表情は、まるで柔和な母そのものだった。しかし彼女は、栄光を掴み、情熱を燃やし尽くしたわけではなかった。

小野塚が第二のアスリート人生に選んだのは、全てのスキー競技の中で、最も過酷と言われる、フリーライドスキー。雪山のあるがままの自然をコースにして、その滑走テクニックやスタイルで競う。雪崩に巻き込まれる可能性すらある、正に死とは隣り合わせ・・・ 家庭を築き、子育てに奮闘する中でなお、小野塚彩那はその大自然の舞台で、勝利を求め戦っている。

「私は、オンリーワンでいたい」

彼女の挑戦と、闘う原動力を追いかけた。

小野塚がスキーを始めたのは、まだ足下すらおぼつかない2歳の頃。物心ついた時には、すでに大会に出場していたという。指導者は、元国体選手の父。彼女は間もなく、アルペンスキーの選手として、頭角を現していく。だが、長ずるにつれ、自分は世界で戦うレベルにはないと思い悩むようになる。そんな時だった。フリースタイルスキーのハーフパイプが、ソチオリンピックの正式競技に決まったのだ。まだ新しいこれからの種目、自分にもチャンスがあるはず・・・ 以前から興味を持っていたこともあり、小野塚は種目転向を決意した。

転向からわずか2年半、小野塚はオリンピックの舞台に辿り着く。そして—世界でも指折りの、高さのあるトリック技を武器に、銅メダルを獲得。日本中がそのニュースに沸いた。もちろん、この時の笑顔は本物だったが・・・

「世界チャンピオンにもなっていないのに、これで終わるわけにはいかなかったんです」

プロスキーヤー・小野塚彩那を、これほど端的に表す言葉はない。銅メダルの美酒に酔いしれた次の瞬間から、彼女は貪欲に先を見据えていた。

その後小野塚は、2シーズン連続でワールドカップ種目別チャンピオンに輝き、2017年の世界選手権では金メダルを獲得。ハーフパイプの頂点を極め、思い残すことなく30歳の区切りで現役引退を発表した。いや、はずだった。

実は、フリーライドスキーは、小野塚にとって憧れの競技だった。あるがままの大自然が舞台であることも、死と隣り合わせの過酷な舞台であることも含め、スキーの真髄が詰め込まれているからだ。しかし、ハーフパイプで世界の頂点を目指す身としては、リスクを冒すことはできない。だから、憧れだけに留めていた。現役引退後のある時、周囲でフリーライド競技への出場を奨める声があがった。すでにリスクを気にする枷はない。彼女の中で、新たな野心が芽生えていく。

小野塚が挑戦の舞台に選んだFREERIDE WORLD TOURは、1996年スイスで始まった、フリーライドの世界一を決める最高峰の舞台だ。

「ひとつの大会で一週間くらい拘束されるんですけど、その中で一番コンディションの良い日に試合が開催されるんです」

決まっているのは、スタートとゴールの地点だけ。選手は地形と雪質を読み、頭に描いたラインを滑っていく。

「(ルール上)滑走コースで練習できないので、隣の山に登って、双眼鏡で覗きながら、イメージを作り上げておきます」

ツアーに出場できるのは、世界でたった10人ほど。選ばれし者たちが、誇りと勇気を賭けて戦うのだ。小野塚は転向後すぐの予選で優勝。ワールドツアーへの切符を掴み、ルーキーイヤーから活躍を見せる。それが、今から2年前のことだ。

現在、小野塚は結婚し、故郷の新潟県南魚沼に暮らしている。フリーライドスキー2年目の昨シーズンは、出産とコロナ渦が重なり、実質上の休養期間となった。それでも、母となった彼女の毎日は忙しない。子育ての合間を縫って、新シーズンへの復帰の準備。いちアスリートとしては、何かと儘ならない日々に、焦りを感じることもあるのではないだろうか?

「子供を理由に妥協したり、スキーに取り組む姿勢を諦めたかっていうと、全然諦めてなくて・・・子供が生まれたからこそ、新しいことに挑戦できて、自分がやりたいことを始められていると思ってるんです」

母は強し—よく言われる言葉が、すぐに思い浮かんだ。

話は冒頭に戻る。小野塚は、地元の小学校で特別授業を行っていた。今年2021年から、環境学習のアンバサダーを務めているのだ。きっかけは、フリーライドスキーに転じ、これまで以上に山への思いを深くしたことだった。今、世界中で自然環境の激変、崩壊が叫ばれている。あるがままの自然を舞台に戦う小野塚にとって、無縁ではいられない現実・・・彼女は行動を起こした。世界を転戦し、自分自身が見聞きした経験で、子供たちの意識を変えていきたい。またひとつ、小野塚彩那は新しいことに挑戦しているのだ。

12月のある日—小野塚は、東京都内のジムに姿を見せる。今一番の悩みは、活動の幅が広がる一方で、現役アスリートとしてのトレーニング不足が否めないこと・・・ 明けて2022年1月には、国内大会への出場を予定している。体づくりを急がねばならなかった。強い負荷をかけ、肉体を呼び覚ましていく—

「(ハーフパイプの時代より)今の方が飛んでる量と距離が段違いに多いから、、とにかく持久力が必要なんです」

フリーライドスキー・・・なぜ彼女は、この過酷な競技に魅せられたのか?改めて聞いてみると、その答えはやはり規格外だった。

「雪崩とか、岩にぶつかるとか、死が隣り合わせにある恐怖の中で、その怖さとアドレナリンと、自分のスキルのバランスを保つところが面白いんです」

そして、そこまで彼女を駆りたてる原動力とは?

「他のスキーヤーの女子がやれないようなことを目指して、挑戦し続けていたいんです」

プロスキーヤー・小野塚彩那。フリーライドスキー3年目のシーズンが、間もなく幕を開ける。子供に愛情を注ぎ、自然環境に思いを馳せ、勝利を目指し過酷な戦いに身を投じる— そんな忙しい彼女の辞書に“妥協”と“諦め”の文字は無い。

TEXT/小此木聡(放送作家)

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