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指宿再興の答えは「サッカー大会」。鹿実OB・永嶺貴彦が協賛に込めた思い

『第1回ソループ杯指宿招待繋げよう未来U-12サッカー大会』が、8月3日から5日にかけていぶすきフットボールパークで開催されました。全国各地からチームを集め、鹿児島県のサッカー少年に高いレベルを体感してもらうことを目的とした大会です。

今大会の冠協賛を決めたのが、株式会社ソループ。福岡県に本社を置き、エネルギー事業を展開する企業です。代表取締役・永嶺貴彦氏の思いをサポートしようと立ちあがったのが、指宿で少年サッカーの指導者を務める大会実行委員・磯俣悠介氏。同級生の彼らが地元開催にこだわった背景は、元気がなくなった街を活気づけたいという強い思いでした。一度は異なった進路へ進んだものの、再びサッカーで繋がった2人にソループ杯開催の背景、そして地元・指宿への思いを伺いました。

進路は違えど、地元・指宿への変わらない思い

—まずは、ソループ杯を開催するに至った経緯を教えていただけますか?

永嶺:僕自身が中学生まで過ごした、指宿という街に恩返しをしたいという気持ちがきっかけです。

僕の少年時代は、Jリーグの最盛期でした。近くのホテルにキャンプで来ていたヴェルディ川崎がサッカー教室を開いてくれて、プロサッカー選手を間近で見ることができました。「私もそのような場を作りたい」と思い、その第一歩としてソループ杯を開催しました。

磯俣:新型コロナウイルスの影響で、今はJリーグチームがキャンプに来てもスクールを開けません。そんな中、同級生の(永嶺)貴彦から、こういう大会を開きたいと聞き、「県外の強豪チームと試合ができる、子どもたちにとっていい機会だな」と思って賛同しました。

鹿児島県内の企業を中心に25チームがしのぎを削りあった

—お二人は同級生なんですね。

永嶺:北指宿中学のサッカー部で同級生です。県大会で準優勝し、学校史上初の九州大会に出場しました。1回戦で沖縄の名門・小禄中と対戦して、1-5で負けてしまったんですけど、いい経験になりました。他にも、兵藤慎剛(現SC相模原)がいた海星中とかを見て、すごいなと思った記憶があります。

—当時から永嶺さんの中には、「高いレベルでプレーしたい」という思いがあったのですね。

永嶺:小学校2年生の時にJリーグが開幕し、その年に僕もサッカーを始めたのですが、アレルギーで入院することになって。ヴェルディ川崎vs横浜マリノス(いずれも当時)の開幕戦は、病室で見ていました。

加えて、当時はキャプテン翼のアニメも放送されていて、サッカー熱が高かった。私もプロサッカー選手を目指していましたし、中学生の時も目標を高いレベルに設定していました。その後は鹿児島県選抜にも選ばれて、鹿児島実業高校から声が掛かったので進学しました。

磯俣:僕は地元の高校に進学したので、(永嶺と)対戦することはありませんでした。ただ情報交換はしていましたし、同級生が全国大会で活躍している姿は励みになりましたね。
現在、県外のチームが集まる機会はないので、このような大会が設けられたことに感謝していますし、協力できるのは嬉しいですね。

—指導者としてのキャリアもかなり長い**ですね。**

磯俣:20歳のとき、恩師から声を掛けられたんです。「地元に指導者がいない」と。卒団生として軽い気持ちでスタートしたのですが、のめり込んでしまって。子どもが成長する様子を見るのは楽しいし、勝ち負けという部分では子ども以上に熱くなる場面もあります(笑)。

どうしたら子どもたちを上手にしてあげられるか、サッカー以外の面でどう成長させようか。今回、県外から多くのチームが参加していますが、指導者として携わって感じるのはコーチングの質が高いということです。プレー面でそれほど差はないのですが、選手を声で動かす部分が違います。勉強になります。

—永嶺さんは高校卒業後の進路はどうされたんですか?

永嶺:大学を卒業後、福岡・中洲で9年ほど飲食店を経営しました。その時に、今大会にも看板を出していただいたブルーコンシャスグループの髙松豪さんに出会って仕事を教えてもらい、3年後に株式会社ソループを設立しました。エネルギー事業を展開していて、太陽光パネルや蓄電池などを扱っています。売上が伸びてきている中で、人のためにお金を使いたいと思い、ソループ杯を企画しました。

来年も再来年も「また来たい」と言われる町に

—地元の方に聞いても、街全体が昔に比べて元気が無くなっていると。

永嶺:僕らが子どもの頃と比べると、町に元気が無いと感じます。指宿の中心は、観光業なんですよね。コロナ禍で売り上げが低迷して、閉めてしまう旅館もありました。大会を開くことによって、指宿に貢献したいと考えています。

この大会を機に指導者同士の交流が広がれば、県外から「施設を使いたい」と来てくれるかもしれません。微々たる経済効果だとは思いますが、ソループ杯がきっかけとなって未来に繋がれば嬉しいですね。

—指宿で生活を続ける磯俣さんは、地元の変化をどうご覧になっていますか?

磯俣:県外に出た同級生が、たまに帰ってきては「寂しくなった」と言っています。今こういう大会を開催することは、今後に繋がると期待しています。12月にも大会を実施しますが、今回集まった県外の人たちに「また来たい」と言っていただけて嬉しいです。

コロナになってから、お店の経営も苦しくなって、定休日が増えました。今大会でも指宿のお店を巻き込んだ企画を考えていたのですが、なかなか難しい情勢だったので実現できず悔しいです。大会は、来年も再来年も開催するつもりなので、実現することを目標に頑張りたいです。

駅前商店街の様子

—実行委員としても県外からチームを呼ぶのには苦労したのではないですか?

磯俣:大変でした(笑)。スタッフもすごく協力してくれて、無事に開催できてよかったです。主役である子どもたちが楽しくサッカーをしてくれたのが、いちばん良かったですかね。地元・指宿のチームが参加できなかったことだけが悔やまれますが。

永嶺:子どもたちの本気になっている姿を見ると、感動します。地元の子どもたちに、自分がプロを目指していた、あの時の気持ちを感じてもらいたいです。今の時代に合わせた形で、本気になれる場を提供できれば。今大会は、感染予防対策を徹底して開催しています。そういった中で、地元のチームに参加してもらえなかったのは、寂しかったです。強いチームと試合をするだけではなく、指導者の選手へのアプローチやマネジメント、組織としてどのように勝利を目指しているのか。そういった総合的な影響を地元の子どもたちに与えたかったので。何があっても、この大会を実施すると決めていました。

コロナ禍でのリスクを理解して、それをどう回避していくのか。そこに対して、知恵を出し合って立ち向かっていく必要があります。コロナから逃げるのでなくて、今大会の開催を通じてみんなが学ぶこと。先駆けとなる大会にしたいです。

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