タケモトタクシ。日本で唯一「声のフィットネス」に取り組む男。

日本でただ1人のSports Voix(スポーツヴォア)トレーナー。作詞作曲、歌唱、さらには会場DJやプロバスケットボールチーム:東京エクセレンスのMCもこなすなど、スポーツ振興を目指すスポーツエンターテイナーのタケモトさんに迫ります!

Sports Voixトレーナーとは

——いきなりで大変申し訳ないのですが、Sports Voix(スポーツヴォア)トレーナーとはどのようなことをやる仕事なのですか。

Sports Voix(スポーツヴォア)とは、呼吸や声の筋肉や組織を鍛えるフィットネスです。 声は誰でも出せるが故、着目されにくい部分ですが、声にコンプレックスを持っている方々に少しでも前向きに充実した生活を送っていただけるよう考案したのがSports Voixです。

——なるほど。Sports Voixトレーナーになろうと思ったきっかけを教えてください。
大学のウエイトリフティング部の応援ソングを作ったり、ウエイトリフティングの大会のMCをやらせてもらうなど、学校やスポーツ関係の方とタイアップしたことがきっかけです。声質や雰囲気がスポーツにあっているのかもしれません。見た目も体操のお兄さんっぽいとよく言われます(笑)

そういう話を頂くようになってからは、自分でもスポーツに向いているのかなと感じたのでスポーツに絞っていこうと考えました。現在は、プロバスケットボールチーム:東京エクセレンスの試合のMCもしています。作曲は広島カープの公認応援ソングなど、今も依頼があれば提供しています。

——MCは生である上に会場の雰囲気に合わせる必要もあり、凄く難しいと感じます。何か気をつけていることはありますか。私なんかはそもそも生というだけで緊張してしまいそうです。

緊張については、私もしますよ(笑)ただ、そうなっても最低限の声は出せる方法を身につけておくことが大切です。私の場合、今までの経験が活きていますね。実はシンガー出身なので、ライブでお客さんに話を振ったり盛り上げたりしていたことがMCにも役立っていますし、シンガーだからこその声の出し方があるので、普通のMCやDJの方とは音域の幅も違います。真面目な司会も、低音での盛り上げもできます。

タケモトタクシ

現在の職業に至るまで

——タケモトさんご自身の経歴をおしえて頂いても良いですか。

最初はスポーツ少年でした。幼稚園から小学校が終わるまでは剣道、サッカー、水泳をやっていました。中学校ではドッチボールが大好きだったのでドッチボール部に入りたかったのですが、もちろんなかったので競技として近そうなバレーボール部に入りました。

高校もそのままバレーボールを続けました。大学もバレーボールの推薦で入れる話はあったのですが、身長もそこまで大きくはなかったので、勉強をして一般受験で大学に入りました。

——歌や音楽を始めたのはいつからですか。

大学で初めて軽音楽部に入りました。大学2年のときにカラオケによくいっている友達がいて、軽音楽部に一緒に入ろうと言われたのがきっかけです。ちょうどGLAYがすごく流行っている時で、平日は毎日の様にカラオケに行っていました。

軽音楽部に入る時も、よくGLAYの曲を歌っていたので、友達に言われてボーカルになり、ステージでも歌っていました。大学を卒業しても音楽を仕事にしたいと思うくらい熱中していたのですが結局、大学卒業後は周囲の目や、世間体を気にしてしまったりして、一般企業に就職しました。音楽には全く関係ない会社で、営業として東京で2年程働きました。

——サラリーマン生活から、今の職業に至る変化はどのようなものだったのでしょうか。

壮絶ですよ(笑)サラリーマン時代は心身共にボロボロになりながら働いていていたのですが、1回しかない人生で自分のやりたいことをやらない人生はもったいないとふと思って、仕事を辞める決心をしました。大好きな音楽をやろうと思って辞めたのですが、何をしていいのかも分からない状態だったので、まずは音楽学校に行こうと思い、探しました。

でも、なかなかいいところがありませんでした。悩んでいるときに知り合いからロサンゼルスに良い音楽学校があると教えてもらって、調べてみるとすごく面白そうなところでした。そこで、候補に考えたロサンゼルスの音楽学校を3校、見学に実際に行くことにしました。

タケモトタクシ

——はるばるロサンゼルスまで見学に行く行動力はすごいですね。実際見に行かれていかがでしたか。

最初にお目当ての有名歌手のボイストレーナーがいるという学校に行ったのですが、20人中18人程は日本人でした。びっくりですよね。ビックネームに惹かれてみんな来ていたみたいです。一方もう一つのドラムに力を入れている学校は人数も多く、レベルも高かった感じです。ただ、最後に見た学校が圧巻でした。

環境が他と比べて抜群に良かったんです。ボーカルや各楽器のコースはもちろんのこと、楽器を作る職人を育てるコースもあり、そこは音楽のデパートのようでした。ステージも学校内にいくつもあり、カフェで授業をしていたりもして、魅力がたっぷりでした。もちろんそこに決めました。

——授業は英語だと思いますが、言葉は問題ありませんでしたか。

最初は英語もさっぱりわからなかったので、授業は一番前に座って聞いていました。先生も僕がわかっていない様子だと気にかけてくれたり、隣の生徒も教えてくれたり、ランチに誘ってくれたりしました。授業の内容は半分くらいわからなかったですけど(笑)なんとか1年半学べた、という感じです。

——行動力が大事ですよね。日本に帰ってきてからは、すぐに音楽の仕事に就かれたのですか。

最初は着うたを歌っていたりしました。着うたは、実は本人が歌っていないものも結構あるんですよ。そのような仕事を2、3年やっていたのですが、あることがきっかけでレコード大賞の新人賞を取った方の仮歌をさせてもらう機会がありました。今までの経験を活かして全力で歌ったのですが、「全然だめ。もっと違う感じで歌ってくれ」と担当の方から言われてしまいました。今度は渋々した感じで歌ってみるとその方が良いと言われて、気持ち悪かったことがあったんです。

今思えば、そのことが自分の人生を変えるきっかけでした。その時に初めて自分の思ったように感情を込めて、歌いたいように歌うには自分で曲を作るしかないと気付きました。そこからは仮歌の仕事は減らして行き、作曲もするようになって、市のコンクールで優勝したりしながらここまでやってきました。

タケモトタクシ

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