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リトアニアでプレーする日本人。2度の大怪我を乗り越え、頂を目指す

2度の大怪我も、自分を見つめ直すきっかけに

-その後も悪いことは続き、大きな怪我を2回経験されています。

1度目の怪我はポジティブなものでした。左膝内側側副靭帯断裂、及び前十字靱帯断裂という大怪我でしたが、今までフィジカル面での強さが足りていないと感じていたので、トレーニングをして、体をしっかり作り直し、アルバイトをしてお金を貯め、海外に行こうと考えていました。そうやって始めの8ヶ月はちょうどいい機会だと思って、前向きにリハビリをやっていたんですけど、復帰してすぐの練習試合でまた前十字靱帯を断裂してしまいました。歩けないところから、また1からやり直しという感じです。本当に辛かったです。ただ、結果的にはすごく成長できたので、よかったです。しかも怪我をしたことでより深みのある人生を歩めていると思います(笑)

-乗り越えた今だからこそ、そう言えるというのもありますよね。

怪我をしていなければ、もしかしたらプロサッカー選手になっていなかったかもしれません。アルバイトをして、何となく数回海外に挑戦して終わっていた可能性もあります。でも怪我をしたことでサッカーやプロ選手になることへの想いも強くなったと思いますし、いろいろな人と出会えたりもしました。もちろん当時は地獄のようでしたけどね(笑)

-その辛い時期に鹿児島に行かれていますよね。

祖母から曽祖母の家が空き家になっているという話を聞いて、まだ手術をしてからようやく歩けるくらいにしかよくなっていませんでしたが、行くことにしました。その時はかなりのストレスがかかる家電量販店で働いていた上に、ピザ屋のアルバイトも掛け持ちでしていました。仕事の合間を縫ってリハビリをする生活です。今考えるとやりすぎですよね。しかも自分が本当にやりたいサッカーはできていないわけです。サッカーが怪我でできないから働いていたのですが、そのうちだんだんアルバイトをしている理由も分からなくなってしまって、いっそどこかに放浪しようと考え、鹿児島に渡ることにしました。

-相当精神的にも追い詰められていた時期ですよね。

はい。友達からの連絡も全てシャットアウトし、返事もせずにいきなり鹿児島へ行ったので、「丸山死んだ説」が流れたほどです(笑)全然関わりのなかった岩手と大阪の僕の友達同士で僕がどうしているか情報交換をし始め、妹に兄がどうしているか連絡が行く事態になったので、これ以上の大騒ぎはさすがにまずいと思って鹿児島で山籠りをしている旨を伝えました。

しかし放浪を始めれば収入もなくなるので、その時にパソコンでお金を稼ぐ方法を身に付けました。映画のレビューの記事を書いたりしていましたね。後々タイに行った時にそれが役立つことになります。

あとは暇で時間がたくさんあるので、ひたすら自分のことを考えていました。桜島が見える海に近い綺麗なところだったので、そこまで行き、夕日を見ながら涙を流すような日々を送っていました。

-自分を見つめ直すきっかけになったんですね。

親戚が近くに住んでいたので、人に会えないわけではなかったのですが、誕生日も一人ぼっちで迎えていました。クジラの刺身とケーキを買ってきて、ボロい家で密かに祝っていました(笑)

そうやって考え抜いた結果、やはり自分にはサッカーしかないと思い、横浜に戻ってくることになります。

【後編】へ続く

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