櫻井義孝が挑む、「日本人初のNFL選手」という夢。

サッカー一筋から、アメリカンフットボールのキッカーへ

櫻井義孝は高校までサッカーをやり、大学からアメリカンフットボールに展開。そして卒業後はアサヒビールシルバースターに加入し、NFLのテストにも計4度挑戦した。2012年には日本人としてNFL選手になるために3段階あるテストの最後のステップであるスーパー・リージョナル・コンバインに日本人で初めて駒を進める。現在は会社勤めをしながら、所属チームでプレーを続けてる。

※キッカー(K):主にフィールドゴールやキックオフなどを蹴るポジション。キックの飛距離や正確性が求められる。

-スポーツ経歴を教えてください。

小学2年から高校3年までずっとサッカーをやっていました。小学1年の時は水泳をやっていたのですが、それが本当に嫌で、辞めて地域にあったサッカーチームに入りました。初めはFWだったのですが、年齢が上がっていくにつれてどんどんポジションは後ろになっていきました(笑)GK以外は全部やりましたね。

-アメリカンフットボールとはどのように出会ったのでしょうか。

大学には一般受験をして入って、サークルでサッカーができればいいかな、と思っていたのですが、行ってみたら全然面白くなくて、ここで4年間やっても意味がないと考えました。それでいろいろなところの勧誘を受ける中でアメリカンフットボール部のバーベキューに参加しました。そこでアメリカンフットボールにもボールを蹴るポジションがあるということを知って興味を持ち、練習に行ったところ、面白かったので入部したという流れです。

-初めてボールを蹴ってみた時の感触はいかがでしたか。

サッカーと感触は全く違かったのですが、フリーキックを蹴れる人であればおそらく問題なくできると思います。アメリカンフットボールの場合、ミートポイントが若干上がるので、そこさえ掴めればある程度は蹴れます。

-初めはキッカーと他のポジションを兼任しています。

当時はキッカーだけをやるという発想がなく、チームの歴史上も前例がなかったので、とりあえずは他のポジションを兼任することになりました。しかし、怪我が重なったのもあって、3年の春頃まで中途半端な成績しか残せず、それ以降はキッカー専門でやることになります。

-キッカーとしてはどのようなことを意識して蹴っているのでしょうか。

最近話題になったラグビーの五郎丸選手と似ていて、毎回同じように蹴るということが重要です。助走の歩幅、軸足の位置、足の振りなどを意識します。

-毎回同じように蹴るためにどのように練習をしてきましたか。

実は日本にはキックを専門で教えられるコーチというのがいません。だからキッカー専任になってからはパソコンでひたすら動画を観て研究し、あとは自分で技術を積み上げてきました。日本ではサッカー仕込みの蹴り方をただ後輩に伝えるということしかして来なかったためにノウハウが蓄積されていなくて、誰もが使えるような知識というものがないんです。

-キッカーとしてはどのようなボールが理想なのでしょうか。

例えばキックオフであれば、滞空時間が長く、より遠くへボールを蹴ることが理想です。滞空時間が長いとそれだけ走れる時間が長くなるということなので、相手をカバーし、タックルに行きやすくなります。遠くに蹴ることができればそれだけ相手を押し込めることができます。

-ちなみに櫻井さんはどのくらいの距離をキックで飛ばすことができますか。

最高で75~80ヤードくらいでしょうか。でもNFLのトップ選手になると85ヤードは飛ばしてきます。

櫻井義孝

-技術面もそうですが、やはり精神面がすごく大切だと思います。具体的にどのようなことに取り組んでいますか。

精神面が9割方を占めますね。蹴り方やベンチでの過ごし方まで、常に同じにするように心構えて臨むようにしています。

あとはアメリカにいる間、「四行日記」というのを毎日続けていました。その日印象に残っていることを書いて、蓄積していくことで自分の重要な部分が分かってきます。

他のルーティーンもアメリカに行ってからのここ3年ほどで試しながら固めてきました。

-具体的にどのようなルーティーンをしているか教えてください。

まず、試合中はあまりプレーを観ません。チームとは切り離して、自分のすべきことに備えるようにします。蹴る直前になったらグラウンドに行きます。いくら点差がついていても、拮抗した試合展開であっても決めないといけないことに変わりはありません。キッカーの役割を果たすことが何よりも大切なので、それに徹します。ハドルを組む時もキッカーは少し離れたところにいます。キッカーは気持ちを上げて、やるぞ!という精神状態ではなく、淡々と進めていきたいんです。でもそこに満足感を感じながらやるポジションです。

-職人みたいですね。孤独なポジションのようにも感じます。

地味ですし、すごく孤独です。チームの輪に入っていけない分、試合での結果をより重視して見られます。いくら練習で本数を蹴っていたとしても試合で決められなければ意味がないということです。

あと呼吸は意識してルーティーンに取り入れています。蹴る位置に立った時、助走のために3歩下がった時、ボールをセットして目標を見た時に深呼吸しています。

櫻井義孝

現地で指導を受けたコーチ(左)と

NFLへの挑戦を通して、何か一つ極めれば上へ行けることへ証明したかった

-実際に初めてNFLのテストを受けた時は、他の海外選手とどのようなところに差を感じましたか。

体格差よりもまず、一番初めにアメリカ人はより高く足が上がっているという点に気が付きました。ボールに対しての力の伝え方が違うということです。でも体格差や力の差でなければ自分にも可能性はあるかもしれないと感じました。

-その後会社を辞めてまで、競技に専念されています。

会社を辞める決断をするまでは半年ほど悩みました。でもやるなら20代前半ですし、今後後悔すると思ったので、辞めることにしました。

自分も特別何か優れているわけではないですが、こんな私でも何か一つ極めれば上に行けるということをNFLへの挑戦を通して証明したかったというのもありますね。

-そして海外に渡って挑戦するわけですが、金銭的な面を含めてどのように生活していたのでしょうか。

お金は正直親に頼らざるを得なかったです。現地では学費の安い語学学校を見つけて午前中はそこに通い、午後は練習、夜はジムに行き、帰宅して自炊して勉強して寝る、といった生活を送っていました。

-親御さんのリアクションはいかがでしたか。

最初は反対していました。でも口には出さないものの、理解してくれていたと思います。最終的には了承してくれました。でも親からしたら、会社を辞めて海外でスポーツをするからお金を工面してほしいなんて、無茶苦茶な話ですよね(笑)

櫻井義孝

-合計でNFLに4回挑戦されていますが、手応えを感じた部分と自分に足りなかったと感じている部分を教えてください。

練習に取り組んだ分だけ数字が伸びていき、最終的にはアメリカのトップの大学のプレーヤーと肩を並べるくらいまでキックは良くなりました。しかし、それでも狭き門で、安定したアメリカの大学時代の実績などがないと認めてもらえないところがあるんです。実績を上回る能力で認めさせるには、よほど他の選手より飛び抜けてうまくないと難しいです。能力について、他の選手に追い付くことはできても、それを追い越すというのは至難の技です。

-最終的に日本に戻ることを決断した理由を教えてください。

先ほども挙げたアメリカでの実績の部分がどうしてもネックになっていました。そのまま続けていればNFLのチームのキャンプ参加などの話が来る可能性はゼロではなかったですが、最終的に契約を勝ち取れるかどうかを冷静に考え、年齢・能力・実績などを考慮した結果、今は現実的に厳しいと判断しました。

櫻井義孝

-過去のテストの結果が実績として認められたりはしないのでしょうか。

あくまでテストの中での結果であり、実績にはなりません。キッカーにはもちろんキック力も大切ですが、いかに安定して決め続けられるのか、ということが特に重要です。それを証明するにはアメリカの大学での実績が必要だったんです。アメリカの大学のアメフトの試合には数万人も集まります。その中で結果を残してきた選手と、日本で数百人しかいない中でしかプレーしたことない選手を比較した時にどうしても劣ってしまうわけです。それに加えてビザや言葉の問題もあるので、なかなか難しかったです。だから一旦NFLへの挑戦は区切りをつけました。でも今後またやりたくなれば、挑戦するかもしれません。

-キッカーは年齢が高くなっても活躍できるポジションですよね。

そうですね。40歳になっても活躍する選手もいます。

-櫻井さんがおっしゃるようにキッカーは体格や力の差ではないのであれば、日本人にも勝てるかもしれません。

大いにあると思います。アメリカの大学でプレーする日本人の数が増えれば、より可能性は広がっていくでしょう。

-今はどのような形で選手活動を続けているのでしょうか。

平日は基本的に他の方と変わらず、夜まで仕事をしています。チーム練習は水、土、日で、あとは他の時間で走ったり、ジムに行ったりして、自主トレーニングをしています。

-競技に専念できない難しさはありますよね。

仕事と競技を両立しないといけないのがアメフトのいいところでもあり、悪いところでもあります。選手も普段はサラリーマンと同じように勤務しているので、競技を辞めた後も問題なく、働き続けることができます。

-一方で競技力の向上を目指すとなる厳しい部分もあると思います。

そうですね。日本のアメフト業界がどこを目指していくのか、というのもあるでしょうね。結局アメフトを突き詰めていくと最終的に目指すところはNFLになるので、例えば今の日本のアメフトチームをプロ化したとしても、そこに人材を輩出できるかといえばそういうわけでもないと思います。そもそもXリーグはお客さんが入っていないのでプロ化は難しいでしょう。

-今の仕事はどのようにして始めたのでしょうか。

今は人材系の会社で営業をしていて、一般的な転職活動をして入りました。スポーツというのは一切関係なく、土日休みの会社を探しました。入社するにあたって、アメフトがプレーできるように考慮してほしいという話は全くしていないです。ただ、海外とのやり取りがある事業をしているところだったので、英語を使えると思って入ったものの、今は別の部署にいて、それは叶っていません(笑)

今後は仕事で学んだノウハウを生かして、海外でプロにあと一歩で届かなかった外国人選手を日本に連れてきて、就職させ、Xリーグでプレーさせることも考えています。

-競技をやりやすい会社を選ぶという選択肢もあったと思います。

自分は競技も仕事も両方しっかりやらないといけないと考えています。結局将来的にアメフトで稼げるわけではないので、多少無理して仕事をやることは覚悟していました。土日は休みですし、平日もそこまで遅くなるわけではないので、時間は作れます。

-選手としてプレーしてきた中で一番印象に残っている場面を教えてください。

アメリカで初めてトライアウトを受けた時にはキッカーとして考え方を変えられました。

想像していたよりもアメリカ人がすごくなかったんです(笑)それまでは化け物だと思っていましたが、やはり普通の人間だと思えました。夢だと思っていたことが意外と現実的だったということです。

-それがないと続けて挑戦する気にはなれませんよね。逆にしんどかったことを教えてください。

キッカーは当然キックを決めるのが仕事なのですが、大学時代に打倒することを目標としていた日本大学相手の試合で自分は序盤に2本外してしまったんです。それで流れが悪くなり、負けてしまいました。キッカーは決めればヒーローになれるポジションである一方で、外せば周囲の全員が敵に見えるくらい辛い思いをします。

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