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野口勝成。ビーチフラッグスで、世界へ突き抜けるために選んだ道。

水泳を引退したものの、ライフセービングで再び泳ぐことに

——野口さんのスポーツ経歴を教えてください。

4歳から水泳を始めて、それを続けながら小学生の時は遊びで野球やサッカーをしていました。特に両親や祖父母が野球が好きだったので、うちは野球一家でしたね。中学からは仲が良かった友達に誘われて、近くの道場で柔道をやりつつ、水泳を部活で続けていました。

そして高校は一般受験をして、私立高校に入学し、水泳部で3年間活動しました。

——水泳ではどの種目を泳いでいたのですか。

ずっと平泳ぎです。ただ、地元の江戸川区の大会で勝てるくらいの実力のまま、千葉の方の高校に進学してしまったので、周囲のレベルの高さに付いていけず、これではやっていけないと感じました。それで他の種目も試してはみましたが、結局どれも合わず、水泳の道は諦めていくことになります。

水泳の場合、本当に強い選手とは今まで積み上げてきたものが明らかに違うと感じました。そういう選手とは費やしてきた時間も圧倒的に違うので、彼らを超えるのは難しいと判断し、高校で引退することにしました。

——その後は大学に進学しています。

高校が東海大学の附属校だったので、そのまま大学にも進学しました。元々体育学を勉強したくて、無事に志望通りの体育学部に入ることができたのですが、進学したのは競技スポーツ学科というところで、大きくアスリートか指導者・トレーナーのコースに分けられていました。

当然アスリートのコースの方は本当に競技で実績のある人しか入れず、僕は指導者やトレーナーのコースにしか入れませんでした。しかし、正直まだ自分はプレーヤーとしてやりたいという気持ちが強かったんです。

——まだプレーヤーとしてやりたいという気持ちが強かったんですね。

今思うと水泳も燃え尽きるほどやっていなかったのかもしれません。練習に行かない時期もあったりしたので、大学に入ってからは本気で取り組めるもの見つけたいとは思っていました。

それで大学1年の時は野球サークルに入りました。親父がずっと野球をやっていたので、自分がプレーする姿を少しでも見せられたら喜ぶんじゃないかと思って、強いチームに行ったのですが、やはりここでも壁を感じることになります。硬式野球出身者も多く、本当にみんなうまくてとても4年間でレギュラーを取って活躍するのは無理だと思いました。唯一先輩に褒められたのは足が速かったことくらいです。

——昔から足は速かったんですか?

小学生の時からクラスでもずっとリレーの選手ではありました。それでサークルの先輩からもスペシャリストになれ、と言われていたのですが、どうしても僕は目立ちたかったんです。それから考えると僕が野球をやっていても輝けるのはほんの一瞬ということになってしまいます。周りは少年野球からずっとやってきて体に野球の動きが刷り込まれていますから、他の部分ではなかなか勝てません。

——それからどのようにしてライフセービング競技に出会うことになるのでしょうか。

大学1年で野球を始めたものの、周囲のうまさに今後どうしていくか悩んでいる時に高校時代の部活の同期で東海大学のライフセービングクラブに所属している友達に会いました。夏の間は監視活動があるので、なかなか会えずにいたのですが、落ち着いた秋頃に久しぶりに会って、今の自分の現状を伝えたところ、ライフセービングに誘われました。でも正直僕は自分が通用しないと判断して水泳を止めていたので、もう泳ぎたくはなかったんです。

野口勝成

——そもそもライフセービングが競技としてあることを知らない人も多いと思います。

いわゆる「人命救助」というイメージを持っている人がほとんどでしょうね。僕も当時は全く知らなかったので、誤解をしていました。監視活動をして、海の安全を守る、というのは素晴らしいことですが、自分はそれがやりたいわけじゃない!というのがその時の本音です。あくまで僕は競技スポーツがしたい、そう友人に伝えると競技もあると教えてくれて、種目の中にビーチフラッグスが入っていることを初めて知りました。早速ビーチフラッグスの動画を観た時に「これはヤバい!すごい!」と感じて、その場で絶対やる、日本チャンピオンになる!と決めました。次の日には野球サークルを退部し、翌々日にはその友達のライフセービングクラブに入りました(笑)

——そんなにすぐですか!

とにかく時間がないと思っていました。ライフセービングはカレッジスポーツでほとんどの人が大学から始めるので、大学1年の秋からスタートする僕は遅いわけです。まず初めにビーチフラッグスの動画をひたすら観て、クラブで速かった先輩に教えてほしいとお願いしに行きました。しかし、秋は監視活動やビーチフラッグスの大会も終わって、プールでの練習に入っていくので教えてもらえず、もどかしい思いをした時期を過ごすことになります。

——しかし、その行動力と積極性は素晴らしいですね。

自分のスポーツキャリアにおいて誇れるものが欲しかったんですよね。水泳を止めた時点でプライドもなかったですし、競技に対してこだわりはありませんでした。一番になれれば何でもいいと当時は思っていました。

野口勝成

——タイミングよくビーチフラッグスに出会ったことも何かの巡り合わせですね。

その時に部活で一緒だった彼に会っていなかったら、今何をしているか分かりませんし、大学卒業後も何かにのめり込んでやっていたことはないでしょう。大げさかもしれませんが、僕の人生の転機だったように思います。

走り出しにくい体勢からのスタートを一番早くしたい

——ビーチフラッグスの魅力を教えてください。

競技そのものの時間は短いですが、たくさんのドラマがあります。マラソンの駆け引きや100m走の爽快感を兼ね合わせた競技です。旗まで20m、時間にして4秒ほどで1回の競技は終わってしまいます。一瞬で勝負が決まってしまうので、目が離せません。特に僕は競技者よりも少ない本数の旗のどれを取りに行くのか、という駆け引きがすごく好きです。強い選手が行くルートによって、他の選手が取りにいく旗の位置も変わってきます。

——同じチームに日本チャンピオンの(※)和田選手もいます。

でも僕はこの前の日本選手権でも優勝したかったので、どこかで絶対勝負する必要があることが分かっていました。和田さんはチームメイトですが、向こうもいつ仕掛けてくるか分かりませんからね。僕も和田さんのように他の選手を圧倒して勝てるようになりたいです。

※和田賢一選手:今年の全豪選手権で2位、全日本選手権2連覇など日本のビーチフラッグスを代表する選手。

野口勝成、和田賢一

全日本選手権2連覇中の和田選手(右)と野口選手

和田賢一インタビュー

——ルールが分かりやすいのもビーチフラッグスのいいところですね。

シンプルなのでルールはすぐに分かってもらえますね。でもシンプルなものの方が掘り下げていくと複雑なんです。いろいろな駆け引きがあることを知った上で観て頂けるとまた違った見方ができて楽しいと思います。

——野口さんがビーチフラッグスをする上で自分のストロングポイントとしているところはどこですか。

スタートです。ビーチフラッグスのスタートの体勢は走る競技の中でも一番起きて走り出しにくい姿勢です。ビーチフラッグスは自分が一番救助しにくい体勢から要救助者のところまでどれだけ早く行けるのか、というライフセービングの考えから生まれたものだそうです。だからあの走り出しにくい体勢からのスタートを一番早くしたいですし、それが僕の強みだとも思っています。

——今回、来年4月に開催される全豪選手権に向けたトレーニング、そして活動資金調達を行っていますが、今までの挑戦を振り返ってください。

昨年の全豪選手権では旗を一本も取ることができませんでした。日本の大会では決勝戦に残ったりしていたので、それなりにできると思って臨んだ全豪選手権でそんな結果に終わり、自分はまだまだ世界では通用しないことを痛感させられました。

そして1年後、今年の全豪選手権ではあと一本で決勝に行けるところまで来ました。

——なぜオーストラリアなのでしょうか。

オーストラリアはライフセービング先進国で、他の世界大会などよりも全豪選手権は一番レベルが高く、世界一を決める大会だと言われているからです。

全豪選手権で一定の成績を残して迎えた今年6月の全日本種目別選手権では4位でした。向こうに行って強くなって帰ってきたと思っていましたが、まだ弱い自分がいて、気負いすぎていたと今振り返って思います。成績を残していくことで気付かないうちに周囲からの見られ方も変わって、自然と感じていたプレッシャーもあったでしょうね。

野口勝成

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