辻内崇伸。元巨人ドラ1が語る、女子プロ野球と歩む次なる夢

「甲子園で150kmを出した左投手」は、たった3人。菊池雄星投手(花巻東高→2009年ドラフト1位・西武)、小笠原慎之介投手(東海大相模高→2015年ドラフト1位・中日)、そして辻内崇伸氏(大阪桐蔭高→2005年ドラフト1位・元巨人)だ。

2013年、辻内氏は8年間におよぶプロ生活に別れを告げた。2016年の現在は、女子プロ野球の育成球団・レイアでコーチを務めている。そんな辻内氏に改めて高校・巨人時代の裏話から、女子プロ野球選手と歩む次なる夢について伺った。

実はプロ野球との接点は多くなかった

——野球を始めたきっかけのところから教えてください。

幼稚園の年長から親の勧めで野球を始めました。うちは4人兄弟で、僕が長男。あとは弟が3人います。全員野球をやりましたが、最後までやっていたのは自分だけですね。

——ドラフトの時に実は巨人ファンだったという話もされていましたが、子供の頃に憧れていた選手はいましたか?

やはり触れる機会として、テレビでやっていたりするのは巨人か阪神だったので、自然とファンになっていきました。小学生までは野手だったので、バッターに憧れることの方が多くて、髙橋由伸さんが好きでした。ピッチャーだと工藤(公康)さんでしょうか。

名門・大阪桐蔭で過ごした高校3年間の裏側!

——高校は大阪桐蔭高校に進学していますが、ならではの“しきたり”などはあったのでしょうか?

大阪でいくとPL学園のような伝統校もあり、そういうところはいろいろな決まりがあることは聞いていました。しかし、まだ当時そんなに大阪桐蔭は知られていなかったので、そういった噂も耳にすることも全くなかったんです。それなら入ろう、と思って行ったらめちゃくちゃ厳しかったです。

例えばジュース買えなかったりとか(笑)1年生のうちは自動販売機で飲み物を買うことを許されないんです。

——その様子を先輩が監視しているということですか?

そうです。ジュースもお茶もダメ。水しか飲めないんです。だからいかに夜中のうちにバレないように買いに行くか、ということです。

自販機は寮の敷地内にあるのですが、大抵買いに行こうとすると誰かに会うので、なかなか難しかったですね。ただ、学年毎で部屋のある階は違っていたので、そこは救いでした。

——甲子園に出場した時のことで、覚えているエピソードはありますか?

出場するとホテル生活になるので、食事がおいしくて、みんな太ります。もう平田(良介・現中日)とかおっさんになってましたよ!

寮だと基本的に何でもカレー味にしておけばいい、みたいなところありましたからね(笑)

あと甲子園では開会式が終わると走って退場して、バスのある駐車場まで移動しなければならないのですが、結構距離があるんです。その途中にバテて歩いていたら、高野連のおじさんにめっちゃドヤされたのは覚えています。

地元の大阪代表なのだから、タラタラやってんじゃないよ、ということだったんでしょうね。
辻内崇伸

——甲子園の土はどうされましたか?

負けた後、無意識のうちにスパイクの袋にたくさん詰めて持って帰っていました。そしたら知らない間にほとんどが家の庭に撒かれていました(笑)小さい瓶に少しだけ残してくれてはいましたけど。今もまだ実家にあるかは分かりません。

——無意識のうちに、ということはあまりその時の記憶はないのでしょうか?

そうですね。知らないうちに泣いていました。「あぁ、終わった…」という開放感とでも言うのでしょうか。平田や中田(翔・現日本ハム)もいたのに、弱小なんて言われて、結構僕らも苦労はしていたので。あとはこのチームでここまでやって来られたことへの感動もあったと思います。

でも泣いた後は意外とみんなケロっとしていました。あれだけ泣いていたのにホテルに戻ったら、どれだけはしゃぐねん!というくらい騒いでいました(笑)「明日から何しよう?」なんて話していましたよ。

——ちなみに辻内さんは部活を引退してから何を一番初めにしましたか?

まずは「あの寮から解放される!」ということでしたね。寮に戻ってからお別れパーティーをして、そこで後輩に伝統のあるユニフォームなどを渡して、その後荷造りをするのですが、それが楽しすぎました。

家に帰ってからは王将の餃子をたらふく食べに行きました。外食とかほとんどなかったですから。寮から出られるのは1週間のうち1日だけで、夕方から夜8時まで。ただ、治療がある人はそれが外出の目的になってしまいます。

——でもピッチャーだと特にケアが必要ですよね。

だから、どこの病院に行くか書き残しをして寮から出て、そこでラーメンやお菓子を食べてから帰ってくる、なんてことをしていました(笑)

——最近、高校生に球数制限を設定するという議論もありますが、辻内さんはどのようにお考えですか?

将来を考えると投げすぎは良くないことだとは思いますが、“今”を生きている人からすれば投げておかないと後悔することもあるでしょうね。

自分は結構球数を投げてきた方だと思いますが、“今”を生きていたように思います。体への負担はだいぶ大きかったですが、投げてきたことに後悔はないです。

一方で今女子プロ野球で指導する上ではとにかく球数を投げるのではなく、強い球を考えながら投げることで数を少なく抑えるようにはしています。怪我をすると一番損をするのは本人です。そして、それが本人の納得いく形なのか、そうではないのか、というところは意識してやらせています。

辻内崇伸

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