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「3週間の出張で得られたのは一言のみ」。木崎伸也が語るスポーツライターという仕事

ドルトムントの応援を体感すべく、バイエルン戦をゴール裏で観戦。サポーターに無理やりマフラーを巻かれて撮影

前回の記事では木崎さんがスポーツライターとなった経緯を中心にお話頂きました。後編となる今回は、その職業を名乗れるようになって”以後”のお話を伺います。

選手につきっきりで取材をすることの大変さや、海外と日本の違いなど…この世界を目指す人にとっては知っておくべき情報であることは間違いありません。そして、11月11日に上梓したサッカー日本代表・本田圭佑選手の取材における裏話も明かされています。

ドイツにおいてジャーナリストは特別な仕事

ドイツには2003年1月から2009年1月までいたのですが、そこの生活で感じたのは、むこうのジャーナリストは『取材させてください』というようなへりくだる態度は全くないという部分です。相手と対等だと思っていて、みんなが知る権利を自分たちは代表して行使している立場だという姿勢が強く、弁護士や会計士みたいな“特別な資格を持った人”と同じような感覚で仕事をしているんです。 これはよく話す例なのですが、高原選手がビルトの記者に、『住所を教えてくれ』って聞かれたことがありました。

木崎伸也氏

バイエルンのドーハ合宿でグアルディオラの練習を取材

それに対して「プライベートだから言わない」と彼は答えたんです。ただ、次の日の新聞を見たらスポーツ欄の一面で、住んでいる家が出ていて、間取りまで書いてあった。 それを受けて、高原選手はチームの広報に『ビルトの記者とは仲良くしておけ』と言われたみたいです。“喋らないのであればこっちですぐに調べて、出すぞ“というようなメッセージだったと思うのですが、そういう事実も目の当たりにしたわけです。

攻めの姿勢というか、報じる権利の義務感というか、権利意識に対して勉強になったというか…感じるものは大きかったですね。だから、常にビルトの記者のイメージが頭の片隅にあります。そこまでやらないにしても、記者として読者の権利を抱えているということを、一番に学んだかなと思います。

岡崎慎司

マインツの練習場で岡崎慎司選手に取材。陸上から取り入れた走り方を聞いた。

日本へ帰国後、収入は半分に

ドイツで仕事をしている中でマンネリ感が出てきて、自分の物差しが出来てしまい、それを多くの人に当てはめて物事を見るようになってしまったことから、ここで変えないといけないなと思い、帰国することに決めました。

ただ、一番の悩みは帰ってから仕事があるかどうか、というところでした。実際に仕事はあったのですが、収入は半分くらいになりましたね。そこで収入のありがたみをすごく感じました。ドイツにいれば通信員としてベースの給料が1日1万円。それプラス、フリーとして他の仕事も好き勝手やらせてもらえていたので。 そういうのがなくなった中、原稿の依頼が来て1,000字で1万円もらえると言われると、その重みを感じて、かつ「一体、10万稼ぐのに何文字書くんだろう」と。そういう不安からスタートしました。

そこから、どこを取材しようか考えて、運良くドイツ人監督であるフィンケが浦和に就任したのでその現場にいったり、帰国して風間さん(風間八宏 現川崎フロンターレ監督)が指揮を取っていた筑波大学に行き始めたりしました。

その後、僕の原稿を読んで声をかけてくれた週刊東洋経済に勤めていた佐々木紀彦さんという方からお話をもらって、東洋経済でも連載を始めたんです。そして佐々木さんがNewsPicksを立ち上げるという話になって、“今までのようにフリーの活動をしても良いのであれば”という条件で参加をさせてもらいました。

そして、今年の4月末にNewsPicksを辞めました。自分で新しいメディアを立ち上げるためです。今は、来年2月オープンを目標に準備しているところです。

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