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中川聴乃が、バスケと歩んだ半生。「生まれたときは仮死状態でした」

卒業後は9年間、怪我との戦い

卒業後は実業団のシャンソンへ3月に入団し、5月には日本代表合宿へ参加したのですが、膝が急に腫れてきて、そこから9年間はずっと怪我との戦いでした。手術も3回くらいしましたが、全く治らない。だけど、試合には出たいから治っていないのに大丈夫といってどんどん無理をして、最終的には練習ができない状態になりました。

最初に入ったシャンソンで7年間プレーをした後、デンソーに移籍をしました。デンソーは選手層がすごく厚くて、若手もこれから伸びると思っていたし、高校の先輩や後輩がいたので、最後のバスケット人生はこのチームでやりたいと思って2年間を過ごしました。実は移籍をするのは簡単ではなく、色々と問題があった中で叶ったんです。シャンソンの社長と話した時に、「いろいろ辛い思いもあったと思う。でもこの経験がアキを強くさせたと思うし、人の痛みをわかれる人にしたと思う。必ずこれからの人生に役立つと思っています。この会社に残って最後までやっていくこともできるけど、移籍して最後にバスケを楽しめる、笑ってバスケ人生を終えられるならそっちでもいい。自由に決めなさい」と言ってもらえた時に、このチームで過ごした7年間は凄く辛かったけど頑張ってきてよかったと、辛かった事が全て感謝に変わりました。

その時はわからなくても、ちゃんと見ている人は見ているんですね。

デンソーに入って2年目で私は完全復活したんです。全国にある治療所を色々と回って、1年間練習ができるようになったんです。そして、“やっとここからだ”と思ったときに得られた気持ちが昔とは全く違うことに気づきました。代表を目指すということは全くなくて、正直なところ、気持ちが下降気味な所はありました。ただ、コートに立たせてもらった喜びというのは素直に嬉しかったんですよね。

ですが、10月に始まるリーグの直前、9月に練習で怪我をして半月板がかけてしまったのですが、オペができないような部分だったんです。その怪我を負ってしまった時初めて「引退」の文字が浮かびました。周りからは『やっと復活できたのにもったいない』と言われていたのですが、私の中では“やっと引退できる”というのが素直な気持ちでした。解放された、感覚ですね。

最後の試合は、監督から『今まで応援してくれた人たちがいたからこそコートに立てたから、その人たちにコートに立っている姿を見せるのが恩返し。最後にコートに立て』と言われて、現役最後にコートに立つチャンスを貰いました。出場時間わずか30秒。でもたった30秒なのに今までで一番純粋な気持ちでコートに立てました。感謝の気持ちが溢れましたね。今まで本当にバスケをやってきてよかったな、沢山の人に応援してきてもらえたな、自分一人だったらここに絶対立てなかったな、と。それくらい色々なことが出てくる感じで、涙が止まらなかったですね。

“ありがたい”と思えるのはすごく幸せですよね。ですから、そういう気持ちにさせてくれたバスケ人生は、辛いことの連続だったけどすごく幸せでした。人が見られない世界を見られたこと、実際に自分が経験したことで感じれた事は私にとっては財産です。何か意味があると思いますし、その財産を次につなげて行く事が私の役目だと思っています。

引退後もバスケの活動に関わる

2015年の5月に引退して、2016年の4月からは新しいことを始めました。引退してから何かやりたいことが出てくるんだろうな、とは思っていたんですけど、実は全く出てこなくて。自分の中では東京か海外で…という思いがあったのですが、まずは東京に出てこようということで、仕事も何も決めずに東京に出てきました(笑) 東京に行くタイミングの時に、産休に入る人がいるから働かない?という相談を受けて。バスケットとは違う社会を知りたいという想いから”ここにお世話になろう”と決めました。そこはグッズの会社で、事務だったり、外に出て人と会っていたりしていました。その中でバスケの世界に戻りたいな、と思ったタイミングもあったのですが、流れが良いときってそういう機会も来るんです。

Bリーグの関係者の方にグッズの提案で会った時に、『今年からBリーグが大きくスタートします』と言われて、入るなら4月から切り替えておかないといけないという話をされたんです。自分の中でもバスケの世界に行きたいという気持ちがあって『本当にやりたければ連絡をくれれば力になります』と話をされて、その日にすぐ連絡をしました。会社の人には失礼だと思ったんですけど、これを逃したら次はないかなと。

チームの広報に入っていくのも1つだし、プロダクションに入って大きくメディアのほうに立っていくのも1つと言われました。その中で、もっと大きい所で自分ができることを増やしていきたいという思いがあったので、後者の方を選択し行動しました。周りの人に自分の意向を伝えた際、今の会社であるJSMの話をされました。会ってみるのも良いんじゃないか、と。いくつか他の事務所の会社の関係者とお話しさせてもらった中でJSMの関係者の方とお話しさせてもらえる機会を頂きました。

会社の人達はもちろん、事務所の雰囲気がすごく良くて、ここにお世話になりたいと思いました。それが今年(2016年)の2月くらいですね。縁が大きいなと思いました。また、バスケのエージェントをやっている方も4月に入社して、新しいスタートを切りました。

また、今は夢先生やBリーグの解説、試合リポーターなど様々な所で頑張っています。また新しい目標に向かってやれる喜びと、引退後もバスケやスポーツの広報に関われているのは凄く嬉しいことです。

いまいまの目標としては、2020年に解説やリポーター、番組などで活躍することです。幅の広さはありますが、固定できる部分を確立しつつ、もう一方で“何かやりたい”となった時に挑戦できるような、同時に2つ3つと色々と取り組んでいきたいという思いはあります。

あとは子供達にバスケの魅力を伝え、経験してきたことを含めて次の世代に伝えて行きたいですね。小中の1番大事な時に携わりたいという思いが強いです。まずは2020年に向けてスキルを磨いて頑張ります。

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