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山沢拓也。ロナウドに憧れたサッカー少年が、ラグビー日本代表になるまで

山沢「サッカーをやっておいて、よかった」

クマガヤSCで3年間指導した富岡さんは、深谷高校への進学を決めた山沢選手からもらった電話が今でも忘れられないと言います。

富岡氏「暗い声で『考えたんですけど、深谷高校(=ラグビー)へ行くことにしました』と電話がありました。男気があって、義理堅い性格なので、3年間見てもらったのに申し訳ありません。すみませんという気持ちが強かったのでしょうね。

『そんなことはないよ。ラグビーを観る楽しみがひとつ増えた。ラグビーでも応援していくから』と伝えましたが。その後も休まず練習に来ました。ラグビーファンの方と話しても、山沢は発想が豊かで、“そう来るか”と思うプレーをするようです。本人曰く、それはサッカーをやっていたおかげだと。高校生の時もラグビー、ラグビーと枠にとらわれないよう、自分が鈍らないようにと後輩たちに交じってサッカーをしていました」

ラグビートップリーグ

サッカーの道に進んでいても、凄かったのでしょうね。そんな山沢選手本人にも話をお聞きしました。

——やはり、サッカーをやっておけば良かったなと思ったことはありますか?

やっておけば良かったなというより、やっておいて良かったと思います。ただ、自分でも時々、サッカーを続けていたら今頃どうなっていたかなと思うことはありますね

——筑波大学4年生の時にはパナソニック・ワイルドナイツと契約し、初の大学生トップリーガーとなり一躍注目されましたね。

山沢 自分的には選手としてもっと上手になりたいと思っている中で、トップリーグでやらせてもらったので、それによって周りから色々期待など言われましたが、それらを全て聞いてしまうと、空回りしてしまうので、意識しないようにしました

——エディー・ジョーンズさんのときから注目されながらも、怪我がありついに代表デビューを果たされましたが、如何ですか?

山沢 周りの人たちのレベルがすごく高くて、練習でも試合でもミスもしましたが、実際に試合に出て、もっとこうしなければいけないといった課題も見えてきたので、そういった意味では良い経験ができていると思います

——今後の目標は?

山沢 大雑把ですが“上手になりたい”ということです。なんでもできるようになりたいが根底にあり、トップリーグやこういった(日本代表)合宿で色々な課題に気が付くことができたので、見つけた課題をひとつ、ひとつこなして、上手なプレーヤーになりたいなと思っています」

サッカー少年時代に憧れていた選手はブラジルのロナウド選手だったとのこと。2002年にアジアで初めて開催されたサッカーの日韓W杯で8得点を挙げ得点王に輝き、ブラジル優勝の原動力となった選手です。2019年にはアジアで初めてとなるラグビーのW杯が日本で開催されます。その舞台で山沢選手が輝く姿を観たいですね。サッカーファンの方もぜひご注目ください!

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