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スポーツブル・黒飛功二朗が描く“スポーツ大国 日本”へ向けたメディア戦略図

黒飛功二朗氏

「電通を辞めたきっかけは東京五輪招致。翌日に辞表を出しました」

2015年の5月に設立した、運動通信社が運営する“スポーツブル”(2016年11月より本格スタート)が注目を集めています。高校生の夏のスポーツ(高校野球、インターハイなど)を完全無料で閲覧できたり、様々な競技のアスリートを起用したオリジナル番組を配信したりと、後発のスポーツメディアながら“攻めた”姿勢、企画を数多く打ち出しています。

従来とは異なる形や視点でスポーツの情報発信をし、ユーザーを集めるこのサービスが目指す世界はどのようなものなのでしょうか。新卒で電通に入社した後、独立して運動通信社を立ち上げた黒飛功二朗さんに、働き方の価値観や、今後のスポーツ界へのビジョンについて語っていただきました。

電通でカッコいいと思うサラリーマンに会えた

僕は大学の時に音楽活動をしていたのですが、これって自己表現活動の最たるものなんです。たぶん、この経験がすごく影響されていると思うのですが、自分の感覚や感性、価値観というのをどこかでアウトプットするということ、自分が表現したいもの、考えている価値観を表に出すということが、僕の中での“かっこいい仕事”の定義になっていた。自分の意思と自分のアウトプットをなるべく連動させる。これが僕の価値観の中では、他の人より強かった気がします。

そういう思いがあった中、僕が就職活動で電通に入りたいと思った理由として、カッコいいサラリーマンに何人も出会えたということがあります。学生時代、僕の中で「サラリーマン=新橋の飲み屋で愚痴を言っているような人」というイメージがあって、それはすごくかっこ悪いと思っていたんです。「働かされている」という印象でしょうか。

ただ、そのイメージとは全く異なる働き方をしているサラリーマンがいるということを、就職活動の中で電通の方と会ったことによって知りました。なので、そのコミュニティの中に僕も入り、自分自身もそうなりたい。そうして入社試験を受け、内定をもらって就職しました。結果的に電通は離れましたが、辞めたいと思ったことは最中に一度もありませんでした。特に新人研修担当の先輩はオーラが物凄くて、今でもお家にお邪魔したり、仕事の相談をする関係でいさせてもらっています。

会社でカッコいい人に恵まれて、人間として、ビジネスマンとしてリスペクトする人が今でもたくさんいます。離れた原因は、とにもかくにも私自身にあります。働く中で自分が一番嫌だと思っていた姿になりつつあるという危機感が生まれました。仕事にも慣れてきて大きなプロジェクトも任せていただいていました。でも、自分の価値観の中で“かっこ悪く”なっている自分に危機感が募ったんです。気づいたら、僕も新橋で夜な夜な愚痴ってました。

その中で辞めようと思った最大のきっかけは、東京五輪招致でした。たしか、休みの日の早朝に五輪の開催地が東京と決まったのですが、翌日朝一に辞表を出したんです。

次の仕事は具体的には決まっていませんでした。大好きだった会社を辞めて他に転職なんて選択肢は毛頭なかった。ただ、自分でやることだけは決めていました。

その直前にやっていた仕事の経験上、ITサービスのグロースさせるという仕事が好きで、そういうような会社を建てたいという思いはあったので、結果的にその分野で起業をしました。最初は、全くスポーツと関係ありませんでした。新規の事業を成長させる、ドライブさせるために、特に大企業が新事業を開発していく中で、小回りの利くベンチャーがそこに寄り添って内部スタッフのように入り、でも大企業が持っているアセットをフラットに冷静に見る。そこに外部とのビジネスアライアンスを持って来て、事業の成長をサポートする会社が必要だと、電通時代に感じていたからですね。

そして、会社をやっていく中で、気づけばたくさんのスポーツコンテンツからネットサービス化、ネットプロモーションの話がやっていきました。その経験の中でメディアの系列問題だったり、大会主導の盛り上げが原因で、十分なコンテンツパフォーマンスを出しきれなかったりする課題が生まれてきました。大会の盛り上げ自体はできたし、もっと言うと、構想の練り上げの部分で寄与できていたと実感できる案件もいくつかありました。ただ、競技の普及を始めとした、そういった“地に足の着いたスポーツのサポート”という部分は、到底このビジネスモデルでは追いつかないなと感じたんです。

スポーツの色んな相談が舞い込んできて、皆さんが何に困っているかっていうのも分かってきたし、「じゃあこんなプラットフォームがあればみんな助かる、ありがとうって言ってもらえるんじゃないか?」というのが、どんどん相談を受ければ受けるほど、必要なもののイメージが僕の中で浮かんできました。僕の今までのネットワーク、僕のアイディア、自分のチームの力でそのままアウトプットしてお返しをしたいなと思ったんです。

もともと困っている新規事業を助けるための会社だったので、スポーツの領域でもそれをやりたいという思いもありましたし、そういう形で作ったのが運動通信社であり、スポーツブル事業になります。 これができたのも、いわゆる放送事業や、他業種のビジネス構造を理解せざるを得ない会社にいた事によるリテラシーのベースがあったというのが大きかったです。

プラットフォームとしての力をどう最大化するか?

CRAZY ATHLETES

今、スポーツブルの中には“CRAZY ATHLETES”という三井不動産さんの協力があってできている番組コンテンツがあります。これは全部内製の番組なのですが、それと連動した形で“CRAZY ATHLETES magazine”というものを作っています。これは三井不動産さんが運営する「ららぽーと」などに置いてあるのですが、表向きはweb上の番組視聴につなげるためのいわゆる番宣ツールなんです。

ビジュアルでアスリートを大きくポンと載せていることで、施設内に置いてある他の紙よりも目立つんです。そこで手にとってもらい、読んでいただくと。ただ、文字数は意図的に少なくしています。ページに記載されているQRコードを読み取れば、サイトに飛んでより詳しいコンテンツが見られると。これは初めてから半年経ってほぼ毎月出しているのですが、「ららぽーとにもうないです」とオフィスに電話が掛かってくることもあります。

目的としては番宣なのですが、なぜこれをやっているかと言うと、三井不動産さんはスポブルがまだベータ版を立ち挙げた3ヶ月後くらいから、年間契約でスポンサーとして付いていただいています。これは信じられないことなんです。僕はどうしても恩返ししたいと思っていて、やれることはないかと。僕らはインターネットの無料媒体で、広告モデルでやっている。その中で三井不動産さんというスポンサーに対して何を恩返しできるかというところで言うと、必ずしも番組内のインストリーム広告を流すことだけではないと思っています。

三井不動産さんのアセットは、もちろん商業施設やマンションなどリアルなもの。ディベロッパーさんの本業でのアウトプットはそれらになります。こういった施設にいる人こそ、「私@三井不動産」という状態になりますよね。そのブランド体験を最も感じる場所で、スポーツコンテンツに触れてもらうという形も大切なスポーツブランディングだと思います。ネットメディアでCMを出すだけでなく、施設に来ている人にスポーツコンテンツを当てる。これは”どちらが良い”という話ではないですし、両方ないと意味がないと思ってます。

そもそも、スポーツというコンテンツを軸に自分が起点でスポンサーさんと向き合った時、必ずしも自社プラットフォーム内で広告を当てることだけが、マーケティングではないと思っています。それは前職で様々な広告のお仕事をする中で学びました。スポンサーのアセットの中にスポーツを入れ込んでいくということも、同じくらい大事だと。まさにこれこそが、そのスポンサーにしか出来ないスポーツとの関わり合いで、そこに大きな意味が生まれると思うんです。

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