【テキスト版】CROSSOVER「STANCE」深堀圭一郎×桑田真澄
世界に誇れる日本の美点は、礼節や道具を大切にする心
深堀 プロ2年目は15勝を挙げるなど飛躍の年になったと思うのですが、シーズン前に目標などは掲げていたのでしょうか?
桑田 1年目に2勝できたので、2年目は8勝を目標にしていました。理由は、プロの世界で2桁勝利を達成するのを、一つの通過点と考えていたから。そして「何が必要か」考えてウェートトレーニングを始めたんです。当時は「ピッチャーは基本的にボールより重いものを持ってはいけない」という時代でしたから、思い切った行動だったと思います。さらに、肩を冷やすためよくないといわれていた、水泳トレーニングやアイシングなども取り入れました。基本的に、練習は毎日ピッチングでしたが「今日は投げるのは休みます。その代わり別の練習をします」と説明して、自分で考えたトレーニングを実践していましたね。
深堀 そんな練習が桑田さんを巨人のエースへと成長させたんですね。
桑田 これ以降、野球界でもウェートトレーニングや水泳トレーニング、サプリメントの活用などが取り入れられるようになったんです。ピッチング練習も、現在はコーチなどから投手に「今日投げない人」と聞いてくれるようになっています。むしろ、3~4日続けて投げていると「休みなさい」といわれる時代です。
深堀 近代的な練習方法の基礎を桑田さんたちが築き上げられたんですね。桑田さんは、プロ入り2年目は「自分の感覚にマッチした」そうですが、どんな感じだったのでしょうか?
桑田 ひと言でいえば「動きと感覚が一致している状態」ですね。実は、プロ入り1年目にも「ピッチングの基本を教える」といわれて、小学校や高校時代と同じ指導を受けたんです。ところが、やはりよい成績は残せなかった。それで、アリゾナの教育リーグから帰国してもオフを返上し、東京で居残り練習をしていたんですね。このときに元プロ野球選手のある方が来てくれて「自分の好きなフォームで投げてみなさい」と、背中を押してくれました。2年目によい成績が残せたのは、トレーニングの成果もあると思いますが、最初から「好きなフォームで投げた」ことも大きかったと思います。ところが3年目はさらに上のレベルを目指したいと思うようになり、「それなら基本が重要」と再びいわれて、迷いが出たんですね。それでも、僕は指導者の方々を恨んだことはありません。理由は教えていただいた指導が、当時「正しい」とされていたからです。しかし、時代とともに状況は大きく変化し、道具や戦術も変わっていきます。それなのに指導法だけは進化を止めている。ですから、時代に合う指導法を常に見いだし、選手を育てることが必要だと思います。
深堀 確かにそうですね。ゴルフ界も、時代に合わせて指導法を進化させていくことが必要だと思います。桑田さんは、野球人としてのキャリアを米国で終えられていますが、いつからメジャーリーグへの挑戦を考えるようになったのでしょう?
桑田 プロ野球選手になるまでは、メジャーリーグは頭にありませんでしたね。しかし、巨人に入団しメジャーリーグで活躍した選手と一緒にプレーしていたときに、彼らから「挑戦してみては」といわれたんです。それでメジャーリーグについて調べ始めて、20歳ぐらいのころに「いつかプレーしたい」と思うようになり準備を始めました。例えば、言葉がしゃべれなければ……と考えて、毎日一つずつ英語も覚えていきましたね。僕は準備が非常に大切だと思うんです。これはピッチングも同じで、準備して投げて、出た結果に対しキャッチャーからボールが返送されてくる間に反省をしていました。例えば「ストレートがシュート回転した……同じボールを投げると打たれるから、どこに気をつければいいか」という感じで準備するわけです。このように現役時代は「準備→実行→反省」を一球ずつ繰り返していました。
深堀 メジャーリーグでは、桑田さんの野球に対する姿勢などをマネされた選手も多いと思うのですが?
桑田 そうですね。パイレーツは若い選手が多いチームでしたから。僕がキャッチャーの構えたところに、正確なボールを簡単に投げると驚かれました。それで、僕をリスペクトしてくれる選手たちが徐々に増えていきましたね。
深堀 メジャーリーグと日本の野球の違いは、どう思われますか?
桑田 米国の野球はひと言でいえば「パワーとスピード」。一方、日本のよさは「堅実なプレーや道具を大切にする心」などですね。グラウンドに入るとき「ありがとうございます」と挨拶したり、礼節を重んじるのも日本野球の魅力だと思います。これらは世界に誇れる美点です。
深堀 確かに礼節を大切にする心は、今後も若い選手に受け継がれていってほしいですね。
スポーツ界の問題解決には相手へのリスペクトが必要
深堀 桑田さんには現役時代についていろいろお話をしていただきました。引退してからの活動についてお伺いしたいのですが、桑田さんは引退後に早稲田大学の大学院に進まれましたが、いつごろから進学を考えられたんですか?
桑田 引退時期が近づいたときに「現役を退いてから何をしたいのか」考えていたんです。そして、子供のころに目標にしていた早稲田に挑戦しようと思い、調べてみると早稲田の大学院には社会人コースもあることが分かりました。しかも、高校を卒業していれば受験できたんですね。このときに大学で一般的な勉強をするより、大学院でスポーツビジネスを学んだほうがベストと判断したわけです。修士論文では野球の歴史をひもとき「野球道とは何か」について考察しました。日本の野球界の指導や理念についての研究です。
深堀 桑田さんは子供たちなどにも野球を教えられていますが、今後はどのように指導したり、理念を伝えるのが望ましいと思いますか?
桑田 「野球道」の中心には、武士道精神があるのですが、これは次の3つの理念で構成されているんです。①練習量の重視(長時間練習しなければうまくならない)、②精神の鍛錬(苦しいことに耐えてこそ強くなり勝てる)、③絶対服従(目上の人には絶対に従う)。おそらく野球界だけでなく、日本のスポーツ界全体が同じような感じではないでしょうか。僕は、これを今の時代に合わせて武士道精神を取り除き、スポーツマンシップを入れるべきだと考えています。練習は量ではなくバランス、精神の鍛錬も「調和」という言葉に置き換え、絶対服従は「リスペクト(尊重)」という考え方にするのがいいと思うんです。仲間だけでなく、審判や相手チームに対してもリスペクトする気持ちを大切にすれば、今スポーツ界で起きているさまざまな問題も解決するのではないでしょうか。
深堀 確かにそうですね。桑田さんは子供たちが使う道具については、どんな点が大切だと思いますか?
桑田 子供の道具を選ぶときに「成長するから大きめを購入する」という方もいますが、よくないと思います。やはり、道具はサイズが合うものを選び、大事に使うのが一番です。深堀 ゴルフ業界にも、数多くのジュニアがいるのですが、クラブが長すぎたり短すぎたり、合っていないケースがよく見られるんです。これではスイングに変なくせがつきやすいので、自分にピッタリな道具を使うことが大切です。小さいときはフルセットではなく数本でもいいので、長さなどが合うもので練習するべきです。そして、好きなゴルフに一生懸命に取り組んで、夢を叶かなえてほしいと思います。
桑田 そうですね。今は「夢が何もない」という若い人が増えていると聞きます。しかし、人は500年も生きられません……わずか100年弱の人生です。ですから、若い人たちや子供たちには「自分がやりたいこと」を見つけて挑戦してほしい。失敗して笑われても、恥をかいてもいい。その経験が必ず3年後、5年後、10年後に人生のプラスになりますから。僕も体格面などいろいろなコンプレックスを持ちながら今まで頑張ってきました。「自分には無理だ」ではなく「僕だからこそ挑戦するんだ」という気持ちで臨んでもらいたいと思います。
深堀 最後に、桑田さんの今後の夢や目標をお伺いできればと思います。
桑田 プロ野球の指導者になることも一つの目標ですね。ただし、これにはタイミングと縁が必要になりますが、僕自身は「いつでもいける準備」はできています。そして、最終的な目標は、日本の野球界やスポーツ界を発展させていくことです。具体的には、スポーツビジネスを進化させたいですね。例えば、プロ野球の収益性を向上させ、増えたぶんを学生野球などアマチュアの環境をよくすることに投下する。やはり、ジュニア世代の環境をよくすることが業界の発展には欠かせませんから。そのためにも、さまざまな野球界の連盟(硬式、準硬式、軟式、ソフトボールなど)が、一つにまとまっていくのがよいと思っています。理由は、現状の体制では「誰かが反対する」と全体で何も決まらないからです。例えば、甲子園大会なども僕は8月の1カ月間で開催したほうがいいと思っています。そうすれば、連戦しなくて済むからです。休息日として空いた日程には、軟式野球や女子野球の全国大会などを入れればいいと思うんです。しかし、このような提案をしても、いくつかの連盟から反対が出れば何も変わらない状況が続きます。ですから、日本の野球界を発展させるためにも、さまざまなことに取り組みたいですね。
深堀 今後も発信力のある桑田さんには先陣を切って、いろいろな活動をしていただければと思います。僕も自分のできる場所で、スポーツ界のために頑張っていきます。今回は本当にありがとうございました。
▼桑田真澄/くわた・ますみ
1968年4月1日兵庫県生まれ、大阪府出身。PL学園高校で甲子園に5季連続出場(優勝2回、準優勝2回)して、通算20勝を記録。85年にドラフト1位で読売巨人軍に入団すると、2年目の87年に沢村賞を獲得。94年には最多奪三振王となり、シーズンMVPにも輝いた。その直後の95年に右ヒジ靭帯断裂の重傷を負うが見事復活。2006年にはメジャーリーグ挑戦のため巨人軍を退団し、07年にメジャー初登板も果たした。08年に現役を引退。通算173勝。
取材/写真・山代厚男
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