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ブライソン・デシャンボーが全米V2 パリ五輪は逃すも…世界ランキングトップ10返り咲きへ

ブライソン・デシャンボーが全米オープン2勝目を挙げた(撮影:GettyImages)

<全米オープン 最終日◇16日◇パインハースト・リゾートNo.2(米ノースカロライナ州)◇7548ヤード・パー70>

ブライソン・デシャンボー(米国)が全米制覇を果たした。2020年に続く、大会2勝目。ジュニア時代から憧れとするペイン・スチュワート(米国、故人)が1999年に全米制覇をした同じパインハーストの地で、トロフィーを高々と掲げ、そして大事そうに抱きしめた。

3打のリードを持って出た最終日は、前半にひとつ落とし、ローリー・マキロイ(北アイルランド)が1打差にまで迫った。12番をボギー、マキロイがバーディとしたことで形勢逆転。デシャンボーがマキロイを追いかけることになり、並んで最終18番に入った。

ひとつ前の組のマキロイが、80センチのパーパットを外したことでボギー。デシャンボーもマキロイと同じく左のネイティブエリアに捕まり、グリーン手前のバンカーに入ったが、これを1メートルにつけるスーパーショット。『ブライソン!』という声援を受けながらそのパーパットを沈めると、拍手喝さいがこだました。

「あのバンカーショットは、僕の人生のショットだった。ウェッジが長くなったから、もっと遠くまで打てるようになったし、ホールの横まで届くようになった。一生感謝するよ(笑)」。パインハーストはデシャンボーにとって「特別な場所」。トロフィーを置きながらの優勝会見では、スチュワートやベン・ホーガン(米国)をオマージュして被ってきた“代名詞”のハンチング帽がかけられた。

当時米通算8勝を誇り、PGAツアーのトップランカーとして活躍していたデシャンボーだが、22年にLIVゴルフへ電撃移籍をした。世界ランクトップ10の常連で、28歳という年齢での決断は大きな驚きとともに報道された。

2022年「マスターズ」のあとに手を骨折。手術を受けなければならず、ゴルフができるか、またトッププレーヤーとして活躍できるかに不安を覚えた。「その4、5カ月の期間はかなりつらかった。明らかに落ち込んだ瞬間がいくつもあった。人生のいろいろなことを考え直したよ」。そして昨年8月のグリーンブライアー大会で「58」をたたき出しLIV初優勝。今年のメジャー大会はマスターズ6位、「全米プロゴルフ選手権」2位と再び脂がのってきていた。

LIV移籍とともに下降していた世界ランキングは、この全米を終えて38位から10位まで浮上した。トップ10入りは22年2月以来のこと。この世界ランキングに基づく五輪ランキングにより出場選手が決められるが、デシャンボーは米国勢6番手でその枠は惜しくも逃した。「東京五輪」では米国代表に選ばれていたがコロナ陽性によって欠場を余儀なくされ、そのリベンジへ一発逆転とはならなかった。

だが、デシャンボーはこれで5年間のメジャー出場権を“延長”させた。「まだ実感がわかないんだ。ただ、みんなにも楽しんでもらいたい。最後のショットは素晴らしいアップダウンだった。夢のようだよ」。辺りが真っ暗になる午後9時すぎまで記念撮影、インタビュー、ファン対応をした。20年大会はコロナ禍で無観客開催。今回は大勢のギャラリーに見守られ、スチュワートさながらの激しいガッツポーズに惜しみない拍手が送られた。(文・笠井あかり)

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