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名門ゴルフ場ってどんなところ? 日本を代表するゴルフ場をエリア別に紹介!

1.名門ゴルフ場とは

名門とは、「由緒のある家柄。名家。また、有名な学校・団体など」という意味です。では、由緒のあるの「由緒」はどんな意味かというと、辞書には「物事の由来した端緒。物事のそもそもの起こり。また、物事の今に至るゆえん。伝えて来た事柄。来歴。※コトバンク」とあります。つまり、名門ゴルフ場とは「立派な来歴を持つゴルフ場」と言い換えることもできるでしょう。

名門ゴルフ場の定義

日本のゴルフ史を振り返ると、名門ゴルフ場の名前が続々と出てきます。日本最古のゴルフ場である神戸ゴルフ倶楽部(兵庫県)、日本最古のパブリックコース・雲仙ゴルフ場(長崎県)、東京ゴルフ倶楽部(埼玉県)、程ヶ谷カントリー倶楽部(神奈川県)、茨木カンツリー倶楽部(大阪府)……。

また、倶楽部とはご存知の通り「クラブ」の当て字で、「政治・社交・文芸・スポーツ・娯楽などで、共通の目的を持つ人々によって組織された会」という意味です。

これらの倶楽部は歴史の荒波にもまれながらいくつもの時代をまたぎ、令和に続いています。日本におけるゴルフの礎を築いてきた、まさに由緒正しき存在なのです。

なお、日本の8割以上のゴルフ場が会員制です。

会員制のゴルフ場は主に預託金制、株主会員制、社団法人制、任意団体の4種類がありますが、中でも名門といわれるゴルフ場に多いのが公益を目的とした社団法人制と、会員が株主として出資する株主会員制です。軽井沢ゴルフ倶楽部(長野県)など、同好の士の集まりである任意団体のゴルフ場は数が少なく、超名門とされています。

名コースとの違い

名門とは別に、名コースという表現もあります。「名」とは、「優れている、評判が高い」という意味です。

名コースは、一流の設計家が造ったコース、ビッグトーナメントが行われているチャンピオンコース。戦略性が高く、プロや上級者から一目置かれているコースなど、コースを称える表現としてよく使われています。コース自体の素晴らしさはもちろん、コースコンディションやロケーションの良さなども、名コースの条件に含まれます。

そうした総合力の高さから、米国のゴルフマガジン誌や、英国のゴルフコースランキングサイト、日本のメディアによるゴルフ場ランキング等でも上位に選出されることが多く、それが名コースとしての知名度をさらに押し上げています。

名門倶楽部には井上誠一や上田治といった名匠が設計したコースが多く、トーナメントの舞台になったコースもたくさんあるため、名門、かつ、名コースというゴルフ場は少なくありません。しかし、比較的新しいゴルフ場でも総合的な評価の高さから、「名コース」のみならず「名門コース」と賞されているところも多数あります。

そこで本記事後半のゴルフ場紹介では、伝統ある名門倶楽部だけでなく、新たな名門ゴルフ場も含めて、日本を代表するゴルフ場をエリア別に幅広くピックアップして紹介しています。

名門コースと名コースの違いについては、『おやじゴルフニュース「名門コースと名コースの違いって何だろう」』の記事もご覧ください。

関東七倶楽部ってどこ?

名門ゴルフ場を語るうえで無視できないのが、関東七倶楽部。これは、関東にある7箇所の名門倶楽部です。

1913(大正2)年開場 東京ゴルフ倶楽部(埼玉県)
1922(大正11)年開場 程ヶ谷カントリー倶楽部(神奈川県)
1929(昭和4)年開場 霞ヶ関カンツリー倶楽部(埼玉県)
1930(昭和5)年開場 我孫子ゴルフ倶楽部(千葉県)
1931(昭和6)年開場 相模カンツリー倶楽部(神奈川県)
1932(昭和7)年開場 鷹之台カンツリー倶楽部(千葉県)
1937(昭和12)年開場 小金井カントリー倶楽部(東京都)

どこもビジターのみのプレーは不可ですが、東京ゴルフ倶楽部は2024年に行われる第89回日本オープンゴルフ選手権の会場に決まっています。観戦に行けば、コース内に足を踏み入れられるチャンスです。

我孫子ゴルフ倶楽部は毎年、桜の時期に合わせて「市民観桜会」を開催し、我孫子市民らにコース内の桜を特別公開しています。また、神奈川県ゴルフ連盟による「スペシャル神奈川県民ゴルフデー」に申し込めば、メンバーでなくても相模カンツリー倶楽部でプレーすることも可能です(県内在住者・在勤者など条件あり)。

こうした機会を活用すれば、高嶺の花である関東七倶楽部との距離がぐっと縮まるはずです。

会員になるハードルは非常に高い

名門ゴルフ場、特に名門倶楽部の会員になるのは、容易ではありません。

そもそも数が限られますから、市場に出回っている会員権は限られます。当然ながら会員権の価格はケタ違いで、会員になるには厳しい審査をクリアしなくてはいけません。ほかのゴルフ場の会員になっていること、在籍年数◯年以上の正会員や理事の紹介者がいること、面接のほかテストプレーを受けることなどさまざまな条件を満たしていないと、入会が認められません。

関東七倶楽部でいえば、売買がなされているのは我孫子ゴルフ倶楽部、鷹之台カンツリー倶楽部、小金井カントリー倶楽部の3コースのみ。いくらお金を積んでも会員になれるわけではありません。非常に狭き門ですが、だからこそ究極のステータスだと言えるでしょう。

2.日本を代表するゴルフ場をエリア別に紹介!

前述した通りこの記事では、伝統ある名門倶楽部だけでなく、新たな名門ゴルフ場も含めて、日本を代表するゴルフ場を、エリア別に幅広くピックアップして紹介していきます。

北海道・東北の名門ゴルフ場

小樽カントリー倶楽部(北海道)
北海道最古のコースです。その歴史は、1928年にできた3ホールから始まり、同年に9ホールになりました。これが今の旧コースです。18ホールの新コースは1974年のオープンで、日本オープンゴルフ選手権のほか、近年では2023年ニトリレディスゴルフトーナメントの舞台になっています。

・北海道クラシックゴルフクラブ(北海道)
ゴルフの帝王ジャック・ニクラスが設計を手がけた林間コース。ジャック・ニクラスの傑作のひとつで、本人自らの「故郷である”ミュアフィールド・ヴィレッジ”をイメージして設計した」という言葉通り、美しさと戦略性が高いレベルで融合しています。2016年日本プロゴルフ選手権大会の舞台になっています。

夏泊ゴルフリンクス(青森県)
青森県北部、陸奥湾に突き出た夏泊半島北端のシーサイドに展開するコース。ゴルフ発祥の地・スコットランドに似た気候と風土で、三方が海に囲まれた土地ゆえ海風の強さも本場リンクスを彷彿させると人気があります。1995年には日本プロゴルフ選手権大会が行われました。

関東・甲信越の名門ゴルフ場

東京ゴルフ倶楽部(埼玉県)
1913年、欧米でゴルフを嗜んだ当時の各界指導者によって設立された、日本初の日本人の手によるゴルフ倶楽部。初めは東京都・世田谷区の駒沢にありましたが、埼玉県・朝霞に移転。その後、狭山に移り、現在に至っています。2024年は、8度目となる日本オープンゴルフ選手権が開催されます。

相模カンツリー倶楽部(神奈川県
開場は1931年。設計は、日本オープン初代チャンピオンである赤星六郎です。戦時中は農地にするために開墾されたり、戦後はクラブハウスが焼失したりするなどの不幸に見舞われましたが、倶楽部を愛する人々の尽力によって再開を果たしました。サブグリーンは井上誠一の監修により、追加で造成されたものです。

・軽井沢ゴルフ倶楽部(長野県)
日本で最もプレーするのが難しいと言われるゴルフ場で、開場は1931年。白洲次郎が理事長を務めたことでも有名です。彼はプリンシプル(原則)を重視していたため、倶楽部の原則に反することは認められていません。田中角栄が総理大臣だったときにアメリカ大使を連れ、プレーさせてほしいとやってきましたが、当時理事長であった白洲次郎が大使に対して「日曜日はメンバーズ、オンリー」と流暢な英語でお断りした、というエピソードが残っています。

北陸の名門ゴルフ場

片山津ゴルフ倶楽部 白山・加賀・日本海コース(石川県)
日本海側最大規模54ホールのゴルフ場で、1957年に白山コース、67年に日本海コース、70年に加賀コースが完成。設計は佐藤儀一です。加賀コースは96年、加藤俊輔の設計・監修により全面改修し、全長7,000ヤード超のコースに生まれ変わりました。過去には日本オープンゴルフ選手権や、日本女子オープンゴルフ選手権が行われています。

能登カントリークラブ(石川県)
金沢市街から車で約40分、能登半島の入口に造られた27ホールのシーサイドコースです。設計は初代PGA会長としてプロゴルフ界を牽引した安田幸吉で、1968年に18ホールが、71年に9ホールが完成。三菱ギャラントーナメントほか、数々の大会とともにその歴史を刻んでいます。

中部の名門ゴルフ場

川奈ホテルゴルフコース富士コース(静岡県)
1936年にオープンした富士コースは、米国『ゴルフマガジン』誌の世界ゴルフ場100選に毎回選定されています。設計は、英国人設計者のC.H.アリソン。深く、かつ、アゴがせり出しているアリソンバンカーや海風が戦略性を高めています。フジサンケイレディスクラシックの会場としてもおなじみです。

三好カントリー倶楽部(愛知県)
名古屋市東部の丘陵に広がるゴルフ場で、1961年に開場。距離的には短いけれどクセのある東コースと、7,335ヤードと飛ばし甲斐のある西コースを有します。1970年の東海クラシック第1回大会から会場になっており、当時は男女のツアーが同時進行する大会で、男子ツアーが西コース、女子ツアーが東コースで行われていました。

近畿の名門ゴルフ場

茨木カンツリー倶楽部(大阪府)
「大阪に初のゴルフ場を」という思いから二人の若手実業家が中心となって建設計画を進め、1923年に設立。東コースは昭和天皇のゴルフのコーチを務めたスコットランド出身のプロゴルファー、ダビッド・フード、西コースは井上誠一による設計です。2023年の日本オープンゴルフ選手権など、数々の試合の大舞台になっています。

廣野ゴルフ倶楽部(兵庫県)
1931年、来日中だったC.H.アリソンにゴルフ場候補地の視察をしてもらったところ、建設にふさわしい土地であると確信。その後ホテルに3日間こもって設計を完成させたといいます。2019年は大規模工事のために9か月間コースをクローズし、輝きに磨きをかけました。幾度も日本オープンゴルフ選手権の会場になっています。

鳴尾ゴルフ倶楽部(兵庫県)
創立は1920年、3ホールからのスタートでしたが少しずつホール数を広げ、24年に18ホールを持つ日本初のリンクスコースになりました。28年の日本プロなどさまざまな試合が行われてきましたが、近年では2020年日本シニアオープン会場としての記憶が新しいところです。

中国の名門ゴルフ場

広島カンツリー倶楽部(広島県)
地元財界の要望により誕生したゴルフ場で、1955年に西条コースが、62年に八本松コースが完成しました。設計は、前者が丸毛信勝、後者が上田治です。1972年から2007年まで続いたウッドワンオープン広島(当初は広島オープン)や、2004年日本女子オープンゴルフ選手権の会場になっています。

下関ゴルフ倶楽部 (山口県
下関市内から車で約40分、松林一色の白浜・八ヶ浜に広がるリンクスです。開場は1956年で、設計は上田治。日本オープンなど、数々のトーナメントが行われてきました。なお八ヶ浜はその昔、ここから遣唐使が大陸に渡ったといわれ、1番ホールの中ほどに元寇防塁遺跡が残っています。

四国の名門ゴルフ場

・エリエールゴルフクラブ松山(愛媛県)
エリエールゴルフクラブ松山は瀬戸内海国立公園の大パノラマを一望する丘陵地に展開し、プレイヤーの挑戦意欲をかきたてる戦略性の高いコース。大王製紙エリエールレディスオープンが開催されているゴルフ場です。

Kochi黒潮カントリークラブ (高知県)
太平洋を一望するダイナミックなコース。1989年に18ホール、91年に27ホール、93年に全36ホールが開場となりました。国内男子ツアー最終戦・カシオワールドオープンの会場としても有名です。太平洋・暖流コースはフラットで開放感があり、黒潮コースはトリッキーなホールが多く、ワンウェイ方式でプレーします。

九州・沖縄の名門ゴルフ場

芥屋ゴルフ倶楽部(福岡県)
開場は1964年で、設計は赤星四郎。玄海国定公園の中でも名勝奇岩として知られる「芥屋の大門」を見ながらプレーできるアウト、美しい円錐形の糸島富士こと可也山(かやさん)を望むインから成ります。Sansan KBCオーガスタゴルフトーナメントの開催コースであることに加え、玄海産の天然鯛を使用した「鯛茶漬け」も名物です。

・フェニックスカントリークラブ(宮崎県)
1974年以来、ダンロップフェニックストーナメントの舞台となっている日本屈指の名門ゴルフコース。日向灘に面した広大な黒松林に沿って美しくレイアウトされた27ホールからなり、シーサイドコース特有の海風、空中のハザードともなっている松という自然が織りなす造形は、その美しさとは裏腹にエキサイティングなコースとなっています。ダンロップフェニックスは今年、第50回を迎えます。

那覇ゴルフ倶楽部(沖縄県)
沖縄本島南部、八重瀬町の比較的フラットな丘陵地に造られたゴルフ場で、開場は1975年。本土復帰40周年に当たる2012年、第77回日本オープンゴルフ選手権の舞台となりました。長い歴史を持つ日本オープン史で初の沖縄開催です。グリーンまわりのガードバンカーや巧みに配された大小の池が戦略性を高めています。

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