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野球との“二刀流”から杉浦悠太がゴルフを選んだワケ プロ入りする息子へ父が送った言葉とは…

息子のツアー優勝を名古屋から駆けつけた父・博倫(ひろみち)さんは見守った(撮影:米山聡明)

<ダンロップフェニックス 最終日◇19日◇フェニックスカントリークラブ(宮崎県)◇7042ヤード・パー71>
 
日本男子ゴルフツアー史上7人目(8回目)のアマチュア優勝を達成した22歳はかつて野球少年でもあった。4歳でゴルフを始めた杉浦悠太(日大4年)は、小学生のときに少年野球チームに所属し、“二刀流”のスポーツ生活を送っていた。

「ケガの予防だったり、体を作るには、いろんなスポーツをやったほうがいい」という父・博倫(ひろみち)さんの思いもありながら、少年は自ら、その生活に没頭した。たとえゴルフの試合前だとしても、野球の試合で負けたらバッティングセンターに向かってバットを振っていたという。そんな負けず嫌いな性格は、今大会でどれだけ緊張していてもドライバーを握って力強く振り抜いていた姿にも重なってみえる。
 
博倫さんがシングルプレーヤーを目指そうと自宅に作った“鳥かご”は、いつのまにか息子の場所になった。父のベストスコア「80」を抜いたのは、小学校低学年の時。「石川遼さんがツアーで何度も優勝しているのを観た。かっこいいなと思った」とテレビに映る選手らに憧れを抱き、プロゴルファーを目指すようになった。
 
野球ではなくゴルフを選んだ理由についてもこう語る。「楽しかった。野球も楽しかったけれど、ゴルフがどんどん上達していくときでもあったので楽しかった」。博倫さんもその決意を応援し、いつしか“鳥かご”にはナイター用の電球も足された。練習しろ、というような口出しはもちろん一切なく、ただサポートしながらその成長を見守った。
 
2019年にJGA(日本ゴルフ協会)のナショナルチームに入った。比嘉一貴、金谷拓実、中島啓太と受け継がれたチームキャプテンは、中島から杉浦に託された。「僕が勝手に“次のキャプテンは杉浦悠太くん”って宣言してしまった。1年間ナショナルチームを支えてくれたと思う」と中島は当時を振り返り、「キャプテンの存在は大きいし、こういうところを見せるだけで次のナショナルチームにつながると思う」と優勝争いを演じた先輩として賛辞を送っていた。
 
身長は172センチと決して長身とはいえないが、大会4日間のドライビングディスタンスは298ヤードで9位。ドライバーについては「得意ではないけれど…」と大会期間中に控えめに話していたが、今週はどれだけ緊張してもドライバーを振り切ることをテーマのひとつとして臨んでいた。飛ばしの理由については「大学に入ってトレーニングの量が増え。飛距離は伸びたと思う。体重も増えてはいないので、全身のトレーニングのおかげ」という。
 
単独首位で決勝ラウンドに入った3日目から、父はプレーを見守り、初優勝を見届けた。表彰式後には笑顔のハグで喜びを共有した。「結果が出ない時期もあったのでうれしい」と父は目を細めた。
 
アテスト後すぐのプロ宣言には「したの?」と父は驚きながら笑ったが、22歳68日目に勝利を飾り、晴れて“プロ杉浦悠太“が誕生した。日本ゴルフツアー機構(JGTO)のメンバー登録も済ませ、早速今週の「カシオワールドオープン」でプロ初戦を迎える。
 
「楽しくやってほしい。楽しくやれば、多少つらくても乗り越えられる」とエールを送った父。将来的に海外挑戦も視野に入れる息子は「応援してくれるギャラリーの方が多いような選手になりたい。まずプロとして1勝を挙げることが目標です」と誓い、新たな一歩を踏み出した。(文・笠井あかり)

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