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大ピンチの中で心によみがえった師・中村寅吉の教え 最後の直弟子が初優勝を挙げた裏側【名勝負ものがたり】 | ゴルフのポータルサイトALBA.Net

今振り返る、師の厳しくも暖かい教え(撮影:ALBA)

歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

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1988年7月3日。千葉県の成田スプリングスカントリークラブでは、関東プロゴルフ選手権最終日が行われていた。当時日本オープン、日本プロゴルフ選手権などと並ぶ「公式戦」。日本最古のプロゴルフトーナメントである日本プロゴルフ選手権は1926年、関東プロゴルフ選手権はその5年後の1931年に第1回大会が開催された歴史と格式のある大会だ。同週に開催された同じく公式戦の関西プロで勝った倉本昌弘の「公式戦タイトルは値打ちが違う」という言葉が、それをハッキリと表している。

初日、嵐のような雨の中で4アンダーの首位に並んだのが丸山智弘と、川俣茂だった。丸山は前年のアコムダブルスで芹沢信雄と組み優勝し、「中村寅吉最後の直弟子」として知られていた。中村は1957年に地元日本・霞ヶ関CC(埼玉)で開催されたカナダ・カップ(現在のワールドカップ)で、小野光一とコンビを組み団体優勝を成し遂げ、同時に個人部門でも優勝を飾り戦後復興期の日本に第一次ゴルフブームを巻き起こした立役者でもあった。

丸山はこの試合の直前、ハリ治療により苦しめられていた腰痛が解消。2日目も丸山は好調で、1イーグル、4バーディを奪う快進撃で「66」をマーク。トータル10アンダーにスコアを伸ばし、2位の牧野裕らに7打差をつけ、独走態勢で前半を折り返した。決勝ラウンドに入った3日目も、スコアを1つ落としたが2位の新関善美と牧野裕に3打差で最終日を迎えることになった。

3日間も首位を走れば、報道陣もネタに困り、師である中村からのアドバイスなどを根掘り葉掘り聞くことになる。それが連日報道されたたために、丸山は「俺の話したことを、何でもかんでも(マスコミに)しゃべるな」と師匠から雷を落とされる。さらに最もプレッシャーのかかる最終日前夜、丸山がかけた電話に師・中村は出なかった。後で「あいつは俺の声を聞くと安心するので、わざと出なかった。73で怒っているんだ、と思わせたかった」と中村は明かしているが、最終日のティイングエリアに向かった丸山はそんな本心を知る由もない。

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