父のもとへ優勝を届ける!尾崎家の名代・末弟直道が挑んだ奇跡の大逆転【名勝負ものがたり】 | ゴルフのポータルサイトALBA.Net
カシオワールドオープン優勝から一週間後の奇跡だった(撮影:ALBA)
歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。
悲報が尾崎将司・健夫・直道の3兄弟に届いたのは、1991年12月4日。日本シリーズの開幕前日のことだった。父・実さんが急性心不全のため76歳で急逝したとの報せだった。
通夜は故郷・徳島県海部郡宍喰町で、大会初日の夜に行われることが決まっていた。喪主を務める長男・ジャンボと二男・健夫は欠場を決め実家に戻ることを決めたが、末弟の直道は前週のカシオワールドオープンで優勝を飾り、賞金ランク2位に浮上したタイミング。初めての賞金王が、日本シリーズと大京オープンの残り2戦にかかっていた。
3兄弟が全員欠場しては、大会にも迷惑がかかる、との配慮も働いた。直道が、当時の複雑な思いを語る。「僕は身内の死とかは、ゴルフよりも絶対に大事だと思っているんで、当然宍喰に帰るつもりでいた。でも気が付いたら、ジャンボもジェットも参加メンバーから抜けてしまうわけ。これはまた相当な穴を空けることになるな、ということで“(直道に)やってみないか?”という話になった。でもやっぱり親父と会いたい。死に顔を見てからじゃないと、と思って何とか帰る方法はないか、と考えたの。そうしたら主催者の読売さんがヘリコプターを用意してくれるということになったんだよね」。
初日の開会式。ジャンボとジェットは不在ながら、参加選手全員が1分間の黙とうを捧げてくれた。しかし直道も、初日のゴルフまでは思うに任せない。当時の取材ノートには、直道のこんなコメントが記されている。
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