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イップスを乗り越えて 岡本綾子とのマッチレースに完勝した小田美岐【名勝負ものがたり】 | ゴルフのポータルサイトALBA.Net

80年代の小田美岐(撮影:ALBA)

歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

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小田美岐が動揺の中で見たのは、8メートルも先にあるカップの向こう側にはねたボールが、そのまま吸い込まれる光景だった。最終日の1番グリーン。「『打っちゃった!』と思った長いパーパットが、入っちゃった。それで気持ちが落ち着いたんです」。

時は1991年8月25日。真夏の静岡、富士山麓周辺はきれいに晴れ上がって絶好のトーナメント観戦日和になった。その日、富士市にあるリバー富士カントリークラブでは、伊藤園レディスの最終日が行われていた。

お茶の大手メーカー・伊藤園が茶どころ静岡で開催して7年目。トーナメントはすっかり地元にも定着し、この日は1万6185人の大ギャラリーが詰めかけていた。それは最終日最終組に、スーパースターの岡本綾子がいることにも起因していた。米国人以外で初の米ツアー賞金女王となったのが87年。それからまだ4年しかたっておらず、岡本もまだ軸足をアメリカに置いていた頃だった。米ツアーがまだシーズン中のこの時期に、岡本のプレーを見られる機会は多くない。そんな事情もあって最終日最終組が回るホールごとに、何重もの人垣ができていた。

この年の大会を初日からリードしたのは、プロ10年目、32歳の小田だった。初日、いきなり66のベストスコアをたたき出すロケットスタートに成功した小田は、2日目も格上の岡本との直接対決になりながらも71にスコアをまとめ首位をキープ。3年ぶりとなる通算6勝目にも王手をかけていた。

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